ピンチはチャンス それは教育も同じ

大学へは、次のステージのために
つまり、社会に出て仕事ができるようになるために行くわけですが、果たしてそうなっているのでしょうか?

まず一つ。
社会に出て仕事をするというのは
他に提供するための価値を生み出すことなのだけど
そもそも、これはどういうことなのかが分かるようになっていない。

そして二つ目。
そのためには何が必要なのか?

それが問題です。
恐らく、これといった確実な答えは無い。
正確には、いつの世でも通用する恒久的なものは無いと言ったらいいのでしょうか。

特にインターネットが一般化して、実用的なAIが出現して、経済や環境やエネルギーなど
様々な問題が深刻化してきたらなおさらです。

今は過渡期で混沌としている渦中にいるのかもしれません。
これからどのような世の中になっていくのかを明確に言うことはできないでしょうが、今までと違う状況になるということは言えるのではないでしょうか。
ものごとの価値自体が変化してきています。

学校にいる人間として考えてしまうのは
では、何を変えるべきなのか?
です。

教える内容は、時代に沿ったものにする必要がありそうです

…って、本当にそうなのか?
教える内容の問題なのか?それだけで良いのか?
新しい知識さえあれば、新しい時代にマッチした新しい価値を創り出せるのか?

「教える」
という形そのものは、そのままで良いのか?

教える(言う) – 覚える(やる)

この方法(形式)だけで良いのか?

良くないです。
恐らく、頭の中に突っ込む知識の量とか質だけの問題では無い。

ものごとの価値だけが変化するのではなく、仕事の仕方そのものも変化するのだから、知識だけの問題では無いはずです。

ひょっとしたら、学校だけの問題では無く、学生の、家庭の、社会の問題でもあるかもしれません。
なので、学校だけで何とかなる話では無いのかもしれません。

とはいえ、学校は大事でしょうね。
人づくりから始めないと社会は変わらないから。

何にせよ、このままでは行き詰まるのは必至で、チキンレースの様相を呈してきたぞ…なんて思っています。
チキンレースはちょっと違うかもしれませんね。
そのまま行っちゃうと崖から落ちちゃうのだけど、崖までの距離は分からない。その状態から道を逸れて、何があるか分からない暗闇に突入できるかい?
みたいな感じですかね。

でも夢工房は、昔からどうなるか分からない暗闇で、「あそこに光があるぞ!」って信じて全力疾走してきたようなものなので、何を今さら…って感じなのですけどね。
ただ、時代に合わせた微調整と、コロナ禍のリハビリみたいなものは必要でしょうけどね。

ま、「面白くなってきたぞ!」ってことです。