依存の話

人は一人じゃ生きられないので
人間社会は相互依存なわけでで
お互いに価値のやりとりをしながら
何とかうまいことやっていたりするわけです。
ギブ・アンド・テイクってやつですね。

ギブせずにテイクばかりしようとする
「効率の良い生き方」というか
「都合の良いやり方」をしようとすると
大抵はうまくいかなかったりします。

残念ながら、そういうことって
若いうちは気付かなかったりするものですが

子供は親に完全に依存する状態からスタートするので
ある程度は仕方ないのですが

大学生ともなると
そういう状態から徐々に脱していって
いわゆる独り立ちをするために学ぶわけで
そういう状態って難しいですよね。
本人にとっても
周囲にとっても。

既存の状態から変化するって難しいものです。
自身の考え方や、やり方を構築する時期なので
その「難しい時期の過ごし方」が重要です。

そこに親なり教員なり
時として、メディアやネットや企業の情報などが入ってきて
本人をコントロールしようとします。

それは自分が思ったようにしたいから。

「心配だから」
なんてのは良く聞く話ですが
それは自分が心配したくないだけの話です。

学生本人にとっては
自分で考えて試して
何をすると何が起きるのかを知って
その経験を使って自身を構築して
未来をつくっていく必要があるわけで

それが「外部の指示で動く」
なんてことになってしまうと
結局は、自分で考えられない、決められない
ということになります。

テストの問題を解くばかりが
「考える」じゃないのですよ。
もっと大事なことがある。

依存の難しいところは
依存されていると気持ちよかったり
(頼りにされているという満足感)
依存していると楽だったり
(勇気が必要な判断や行動は不要)
双方ともメリットがあることです。

ただ、夢工房みたいにチャレンジする環境だと
下手な依存は厄介です。

もちろん一人じゃできないことをやっているのだから
相互依存は必須なのですが…

相手が自分の想像の範囲外のことをやろうとした時に
果たして許容できるか?

相手の想像の範囲外のことをやることができるのか?

これは本人のパフォーマンスはもちろん
学生と教員の関係にもよるし
学生と親の関係にもよるでしょう。
つまり環境にもよるということ。

でもやはり、本人が
「早く一丁前になりたい!」
と思ってくれないとね。

なかなか難しい問題ですが
何か魅力的なロールモデルでもあるといいのかな?

ま、これも引き続き検討しながら
トライ・アンド・エラーで模索していきましょう。

人の心は何で燃えるのか?

私が学生の頃は
レースに出る
とか
レースで勝つ
なんてことばかり考えてました。

今思うと、手段的なことを目的化していたのですね。
まぁ年齢的にも、そんなもんだろうなと思うし
単純だったな、とも思います。

最近の若者は、ものづくりから離れている気もするし
リアルなアクティビティから離れていっているようにも見えます。

まぁ、個別で見れば、色々と情熱を燃やして
頑張っているケースも当然あるのですが
概観ではそんな感じなのかな
という気もします。

で、若い世代に対して年長者が色々と思ったりするわけで
それは多くの場合は不満だったりするのですが
忘れてはいけないのは
そんな風にしたのは自分達だということです。

主体性がとか自律性がとか言いたいでしょうけど
言われたことに素直に従うように育ててきて
今さら急に何言ってんだ?という話です。

そりゃぁ、そこそこの年齢になれば
自分で考えて行動を
となるのでしょうけど
急には無理ですし、人生の大半を
そうやって過ごしてきた慣性力は
強力に働き続けるでしょう。

子供のいない公園
夜遅くまで塾に通う子供
夢を口に出して言えない若者

そんな環境を作って
子供達が適応するように仕向けたのは
全て年長者です。

誰が悪いとか
責任を取れとか
そんなことを言ってもどうにもならないし
むしろ責任を追求されるとしたら
それは私の世代なのでしょうけど
そんな責任取れません。

いつの世も同様なのでしょうけど
こういうのって
それぞれの世代が希望を実現しようとして
努力した結果で
読みが外れちゃったり
内外の事情の変化があったりで
まさかこうなるとは思わなかった
ということなのでしょう。

各時代それぞれの世代に
未来に対する希望があって
それを実現するために頑張って
その結果が現れただけの話です。

冒頭の私が学生の時分はレースに燃えていた話ですが
恐らく今の世代から見たら
「単純バカ」でしょうね。単に。

そして社会に出てからは
それなりに頑張ってやってみたわけですが
そういった経験から
対象が何にせよ情熱を注いで何かをやる
というのは、例えようが無いほど貴重な経験となる
というのは確信を持って言えます。

なので
「何でも良いから超頑張ってみろ」
って言いたいところですが

そんなことを言って「やらせて」しまったら
身も蓋もないし
言われてやって燃えたところで
そんなのは、たかがしれているわけです。

今の世代は
単純なことでは燃えられないのかな
なんて思うのですが

それだけ社会が複雑化しているのでしょうか
昔ほど単純では無いのは明かだとは思いますが
よく分かりません。

10代後半から20代前半の時期を
守りに入ってくすぶっていたら
それが価値観の基礎となって
未来に向かってのベクトル決まるのだから
面白い人生にはならないんじゃないか
それは極めてもったいないことなんじゃないか
と、そう思うのです。

そんな残念なことにならないように
むしろ彼らが燃えて盛り上がるために
自分には何ができるのだろう?

なかなか難しい課題です。

一歩前へ

学生達を見ていて思うこと…

「惜しいっ!」

どういうことかというと
もうちょっと頑張ってみたらいいのに
ということなのですが
ちょっと説明が必要です。

例えば、夢工房の学生達
一般的な見方をしたら、頑張ってます。
かなり頑張ってます。

でも、もう一押し行けます。
何が行けるかは、人や状況によりますが
まだ限界からは遠い。
本人がどう思っているか分かりませんが
恐らく本人も
限界まで余裕があることは分かっているでしょう。

恐らく多くの学生達も
似たような状態だと思います。

限界まではほど遠い状態で日常を過ごしている。

何も
なんでもかんでも限界域までプッシュしろ
とか、そういうことではないのです。

何でも良いので
何か一つでも良いので
もう一歩頑張ってみたりすると
「あら?まだ行けるかも」
という気付きがあるはずです。

面白くなるのはそこからです。

そういう状況になかなかならない
というか、そういう状況にならないように
常に安全領域に留まろうとしているのは分かります。

だってみんなそう言うもんね。

無理しないように
リスク取らないように
って。

延々とそういうことを聞かされてきたから
自然とそんな行動を取ってしまって
それが習慣になっているのは分かります。

でも、それ
キミのために言ってるんじゃないんだよ。
知ってた?