「普通」なんて幻想だ

多くが「普通」になりたがりますが
そもそも「普通」って何ですかね?

「普通」を望む者が望んでいるのは何でしょう?
たぶん「皆と同じ」とか「労せずに…」のようなものですかね。

まぁ、突出したものは不要でしょう。
というか、そんなものがあったら
目立っちゃって面倒なことになるから
イヤなのかもしれません。

そもそもそんな価値観を持つのは
本人自らが選択したというより
環境の問題ではないかと思っています。
散々ネタにしてきましたが。

学校教育において
言われたこと全てが高いレベルでできると
何でもできるスーパーマンのような存在になります。
「言われたこと」というのが問題ではありますし
学校の中でしか通用しない話ですが。

そうなるのは難しいので
広範囲のことを、そこそこのレベルにしようとしているのが実際です。
言ってみれば普通の人を育てる仕組みですかね。

何か一つ、超人的な能力を持っていても
他がダメなら大学は卒業できません。

極端な言い方をするなら
大学は強みを伸ばせる仕組みではない。

たぶん強みを見つけることくらいはできるだろうけど
それを思う存分伸ばす機会は少ないでしょう。

普通を目指して何が悪いんだ?と言われれば
別に悪くはないと思います。

でも大抵は、就活を目前にして慌てたりしているわけで
自ら望んでそうなったのに、一体何やってんだか
という気もしますが。

ただ、強みを活かすということは
強み以外を、弱みをどうするのだ
というトレードオフや問題も抱えるわけです。

ただし、それは組織における
マネージメントで解決できる問題
でもあるわけで

むしろ色々な強みを持った者が集まって
相互に補完し合う集団というのは理想ではないかな。
色んな意味で。

普通の人達が集まって
皆で普通のことをやったところで価値は生まれませんから。

さらに言うなら
普通であることは本人が希望する価値観に過ぎず
周囲から価値を供給する側(に属したいと思っている学生)に対して
求めるものではないですよね。

普通の人は普通になろうとするので
心情的に強みに執着することはできないのは当然のことです。
そんなリスクを取るのはバカバカしいし怖いから。

でも、新しいものを生み出す開発なんて仕事は
そもそもがチャレンジなわけで、言ってみれば
リスクなどのトレードオフとかマネージメント
が仕事みたいなものです。

世の中、色んな人がいていいわけで
皆が普通に揃うような環境では
続くものも続かなくなっちゃうのではないでしょうか。

でも、今年の夢工房を見る限り
まぁ、捨てたもんじゃないかな
とも思うのです。

AIの台頭に伴って求められること 4

前回の最後の方で
「人の心」というワードを出しましたが
なんで?
というのが今回です。

そもそもAIは省力化のツールなわけですが
省力化ができると
面倒なことをしなくて済むわけです。
そのためのツールなのですから当然ですが。

しかし、世の中の価値の根源は
「面倒なこと」
だったりするのです。

そんなの当たり前ですね。

面倒ではない簡単なものには価値はありません。

面倒は嫌だけど価値は欲しい
それは矛盾でジレンマ。

AIがやってくれることは
知的作業の一部です。
が、知的作業とはいえ
大抵は多少なりとも肉体的な負荷も伴います。
書いたりタイプしたりだけでなく
言ってみれば、脳ミソを使うのだって
肉体的な負荷の一部と言っていいのかもしれません。
脳ミソの動作には凄いカロリー使いますから。

そんな面倒を回避できるのはメリットですが
面倒なことに対する忌避感は強化されるでしょう。

産業機械、IT技術、AIと
技術が、科学が発達すればするほど
面倒から解放されていきます。

そして当然ながら
面倒なことをやりたがらなくなります。
そして価値が低下する…
というループに入って下降していく
そんなシナリオが見えてきますね。

安心で安全で便利でお得な世界を追求
というか、それが自分発でなければ
追従と言った方が良いのかもしれませんが
そんな方向を向いていて
そこから脱出したいなら何かが必要です。

それは勇気とか欲とか
何かしらの心の力ではないかと思うのです。

とはいえ、皆さん
何のためだか良く分からないことを
幼少の頃から散々「やらされ」ちゃって
もう飽き飽きなんじゃないでしょうか。

だとしたら
行き詰まっちゃったり低迷したりするのは当然でしょう。
それはもう、個人も組織も、国もです。

と、そんなふうに問題提起して
危機意識を煽ってお終いにしたいわけではなく
ここからが大事なところです。

「面倒なのがイヤ」
というのがAIの台頭で加速するならば

やらないと分からないことは
ますます分からなくなります。

それはつまり
暗黙知を得る機会が凄い勢いで無くなっていく可能性がある
ということです。

であれば
暗黙知の価値が急速に高まる可能性がある。

でも、それを得るのは面倒で勇気が必要なので
心の問題なわけです。

好きなことをやるなら面倒をいとわないとか。
使命感を感じる何かがあって、そのために頑張るとか
そのための環境が価値を生み出していく可能性があるのではないか
と思っているのです。

それが今回言いたかったことです。

AIの台頭に伴って求められること 3

AIがもたらすものは何でしょう?

労力の低減ですね。
まさにそのためにあるわけです。

どんな労力かというと
考える労力なわけです。
頭脳の省力化です。

ただ、何でもかんでもAIが勝手にやってくれるかというと
もちろんそんなことは無いわけで
一体何を知りたいのかとか
何をどうしたいのかとか
つまりゴールを明確にできないと
AIにお願いすることもままなりません。

ChatGPTなどを使ったことがある人なら
お分かりかもしれませんが
AIにお願いするにもスキルが必要です。

とはいえ、そんなのは要領さえ掴んでしまえば良いわけで
そもそも、そういうオペレーションを簡単にしていくことが
技術の進歩です。

その辺の細かい内容は専門家に任せるとして
考えることの一部をAIがやってくれるのは間違いなくて
便利な楽ちん状態が手に入るわけです。

AIの出現によって、(ある程度)頭脳労働をやらずに
最適解(のようなもの)が得られるようになる
ということですね。

これによって目的を達することに伴う
手間を減らすことができたり
やらずに済む機会が増えたり
ということになる。

つまりこれは
成果を上げる際の失敗の数が減る
ということです。
一般的には「効率が上がる」なんて言いますが。

効率が良いということは
成果が上がるが経験の数は減る
ということで、それは
成長の機会が減る
ということでもあるでしょう。

成果を上げられているのに
成長できない?
そもそも、AIに依存した簡単な仕事は
成果にカウントされにくくなっていくでしょう。

AIを利用した仕事の価値が一般化するなら
価値は減少して当然です。
それが「普通」になるということですから。
なので、より高付加価値を追求するなら
その上を行く必要があります。

それが一体何なのかを考えたら
それこそ色々出てくるでしょうし
AIでできないこと
つまり、より高い価値を持つゴールの設定
だったりするのも間違いないでしょう。

その筋は、そんなことになるのかなと思ってますが
こういう省力化での発展方向に向かって
従来の手間が掛かることに価値が無くなるかというと
決してそうは言い切れない部分もあったりするでしょう。
でも何より重要な部分は、人の心の変化ではないかと思っています。

そんなわけで
テクノロジーが不要になったりはしないのですが
一般化して価値が低下して
人の心に関する価値の追求みたいな時代になってくるのではないかな?
というのが今考えていることです。

たぶんまだ続く