AIの台頭に伴って求められること 4

前回の最後の方で
「人の心」というワードを出しましたが
なんで?
というのが今回です。

そもそもAIは省力化のツールなわけですが
省力化ができると
面倒なことをしなくて済むわけです。
そのためのツールなのですから当然ですが。

しかし、世の中の価値の根源は
「面倒なこと」
だったりするのです。

そんなの当たり前ですね。

面倒ではない簡単なものには価値はありません。

面倒は嫌だけど価値は欲しい
それは矛盾でジレンマ。

AIがやってくれることは
知的作業の一部です。
が、知的作業とはいえ
大抵は多少なりとも肉体的な負荷も伴います。
書いたりタイプしたりだけでなく
言ってみれば、脳ミソを使うのだって
肉体的な負荷の一部と言っていいのかもしれません。
脳ミソの動作には凄いカロリー使いますから。

そんな面倒を回避できるのはメリットですが
面倒なことに対する忌避感は強化されるでしょう。

産業機械、IT技術、AIと
技術が、科学が発達すればするほど
面倒から解放されていきます。

そして当然ながら
面倒なことをやりたがらなくなります。
そして価値が低下する…
というループに入って下降していく
そんなシナリオが見えてきますね。

安心で安全で便利でお得な世界を追求
というか、それが自分発でなければ
追従と言った方が良いのかもしれませんが
そんな方向を向いていて
そこから脱出したいなら何かが必要です。

それは勇気とか欲とか
何かしらの心の力ではないかと思うのです。

とはいえ、皆さん
何のためだか良く分からないことを
幼少の頃から散々「やらされ」ちゃって
もう飽き飽きなんじゃないでしょうか。

だとしたら
行き詰まっちゃったり低迷したりするのは当然でしょう。
それはもう、個人も組織も、国もです。

と、そんなふうに問題提起して
危機意識を煽ってお終いにしたいわけではなく
ここからが大事なところです。

「面倒なのがイヤ」
というのがAIの台頭で加速するならば

やらないと分からないことは
ますます分からなくなります。

それはつまり
暗黙知を得る機会が凄い勢いで無くなっていく可能性がある
ということです。

であれば
暗黙知の価値が急速に高まる可能性がある。

でも、それを得るのは面倒で勇気が必要なので
心の問題なわけです。

好きなことをやるなら面倒をいとわないとか。
使命感を感じる何かがあって、そのために頑張るとか
そのための環境が価値を生み出していく可能性があるのではないか
と思っているのです。

それが今回言いたかったことです。

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