今年は試される

ずいぶん長いことコロナ禍続いていて
皆さん参ったと思います。

夢工房も色々大変でした。

何せ「つくってナンボ」なのに
物に触れないのですから。

でも可能な範囲でジタバタやってきました。
色々やり方も変えました。

おかげで多くが高いモチベーションを保って
頑張ることができました。

意外なことに
オンライン環境下でも
彼らは結構な成長を見せてくれました。
特にマインドの面で。
これは正直なところ想定外でした。

今年はその成果が試される年です。

どういうことかというと
100%コロナ禍の環境を通り抜けてきた4年生の就職活動と
コロナ禍の中で入学してきた1年生、2年生を含めた
開発の成果が形になる年だからです。

4年生に関して言えば
果たしてこの期間でどれだけ
精神的に
技術的に
成長することができたのか
それが企業から必要とされるのか。
これは大変興味深いところです。

そしてメンバー達は
このような環境で
どんなマシンに
どんなチームに
することができたのか
それを大会で試されます。
大会が開催されればね!

当チームが狙っているオーストラリア大会は
12月の開催なので
ひょっとするとコロナは終息してるかも!

昨年は全ての大会が中止でした。
(正確には、マシンを走らせるイベントは中止)
なので
ひょっとするとオーストラリア大会が
コロナ明け初のイベントになるかもしれません。

まだまだ思い通りに動けない部分もありますが
条件は皆同じです。
この結果によって
我々のたどってきたやり方と
その方向性がどうだったのかが見えます。

最近では
スポンサーさんにお願いしている部品が仕上がってきたり
さらに新しいメンバーが加入したり
色々と勢いづいてます。

さて
どこまで行けるかお楽しみ!

モチベーションベースの学びへ

他人は変えられない
と良く言われますね。
実際その通りかと思います。

その理屈でいくと
学校で学生をいわゆる「できる学生」に変えることなんてできない
ということになります。
まぁその通りだと思います。

本人が変わりたいと望まない限りは何も起きません。

じゃぁ、学校は何もできないのか?
というとそうでもない。

基本的に大学なんかは
本当に学びたいことがそこにあるから行くわけで
本来そこに大した問題は無いはずなんですが
まぁ、そうはいきませんよね。

というわけで
伝統的なやらざるを得ない仕組みの登場です。

一定レベルに達しないと
進級できない
卒業できない
という仕組みです。

この仕組みは「恐怖」を原動力にしています。
なので多くの学生は恐怖から逃れることをゴールに設定します。

そして
やらせればやらせるほど
やりたくなくなっていく

この仕組みでは
最大限うまくいっても恐怖から逃れることができるだけです。
なので多くの学生が言うでしょう
「将来は安定した暮らし(楽な暮らし)がしたい」
って。
当然です。

そんなこんなやっていくと
本当は学びたいことがそこにあったから行ったはずの大学が
めんどくさい存在になります。
できればやりたくない
という感じ。

あれ?
希望を持っていたはずの学生が変わりましたね。
でも「そっちじゃないのになぁ」という変わり方です。

何度も言ってますが
そんな状態で得た「何か」
それはそんなに役に立つんでしょうか?

そりゃまぁ何もやらないよりは良いのかもしれませんが
もっと良いやり方があるはずです。

大学だって今まで何もやってこなかったわけではありません。

一頃、「ものづくり」の重要性に着目して
日本中の多くの理工系大学が頑張ってましたね。

そもそも理工系大学に行きたい学生は
ものが好きなので、モチベーションが上がります。
これはかなり効果が上がったのではないかと思います。

でも今は正直なところ下火になってしまっていると思います。
だって教える側がものをつくったことが無い世代に変わりつつあるから。

自分の専門じゃないことなんて教えられないじゃん
もの作ったことないんだから教えられないじゃん
と言いたいところでしょう。

とはいえ打開策はあります。

やったことがなくても
分からないことに関するアプローチ方法は
先生方は知っているはずなのですよ。
だって大学の先生って研究者ばかりなんですから。
何だか良く分からないものを明らかにする専門家ですもの。

ジャンルが多少違っても
物事の本質は同じだったりするので
何かのスペシャリストは他の色々なこともできたりしますし
自ら学ぶのも上手。

でも
学校は
特に大学は
(すでに)知っている人が
知らない人に
一方的に伝える(講義する)
そんな固定概念がある。
それが変化を邪魔します。

分からない連中が集まって
「どーすんだ、これ?」
とか言って
何でも良いからやってみて
何度も何度もやってみて
色々見えてくる

これ
本当の学びなんじゃないか
と思います。
そうやって得たものは一生忘れませんよ。

もし、やるだけやって
最終的にダメだったとしても
その中で学ぶことは大きいはず。
なので無駄なことは無いはずです。

もちろん
現状のような講義ベースの学びはあっても良いと思うのです。
でも、モチベーションベースの学びがあっても良いのではないかと思います。

いわゆる「賢い人」は
いつの時代も必要です。
でも、そんな人ばかりじゃ
どん詰まりになります。
賢い人は賢くリスクを回避しようとしますから。

問題は
何だかわかない
どうしたら良いか分からない
そんなことにトライするには
リスクを避けて通れないということです。

なので
これまた何度も言いますが
勇気ある馬鹿野郎が必要とされる時代が必ず来るはずです。

一応言っておきますが
ノータリンでもいいということではなく
必要なのはパッションですからね。

ノータリンだって…古いね(笑)

盛り上がる前には沈むのは必然

若者に対する社会からのニーズって何でしょう?
つまり若者達の使命って何だ?
ってことになると思いますが。

この後の社会を支えていくことですよね。
社会の未来に貢献することでしょう?

若者は自身の志を形にしたい
ってところかな。

彼らがどんな未来をつくるのか
その期待値に対してチャンスが与えられる。
就活なんかは分かりやすい例です。

大学などは
そのための準備期間ということになりますね。

彼らが望むのは
誰かが望む未来?
思いもよらないような未来?

いずれにせよ
社会は若者にチャンスを与える必要があります。
どんなチャンスかは本人次第だし
与える側次第。

誰かが望む未来を形にしたいということであれば
それは自分以外の誰かが想像できることを実現したいということ。
であれば
チャンスを提供する側も理解しやすいですね。

それに対して
思いもよらない未来
これは理解できる人が少ないし
トライするにもリスクが大きい。
でも、うまくいけば
独自性とか希少性という面では
大きな価値が創造されるということになりますし
チャレンジする姿勢は
自身のその後はもちろん
周囲にも影響をもたらします。

ただし
いずれにせよ問題があります。
社会が望むことと
本人が目指すこととの間に
大きなギャップというか
勘違いがある。
さらに
それが埋められようとされていない。

もちろん
社会からのニーズや
学生本人が思うことの
差異やレベルは様々なので一括りにはできませんが
ここではそういうことが言いたいのではないのです。

いわゆる社会人だって学生だって
会社だって学校だって
同じ社会に存在しているのに
あまりに意思疎通ができていないじゃないか
ということです。

それこそ
親は社会人で子供は学生だったりするし
アルバイトしている学生は会社で仕事をしているでしょう?
なんでこんなに接点があるのに分かり合えてないのでしょう?

何を言っているのかピンときませんか?

簡単な例でいうと
そう
やはり就活がわかりやすいですね。

何で就活に臨む学生が
どうしたら良いかわからない状態になったりするのでしょう?

就活前の普通の学生だってそうですよね
夢を実現するために
何をどうすればいいかわからないでしょう?

チャレンジ傾向の学生でも
失敗したり怒られたりを
やたら恐れてたりする場合もあります。

何でそんなことになっているんでしょうね?
だって
世の中には夢を実現している人が実際にいるんですよ。
その人に聞けば良いんじゃないでしょうか?
本だってあるでしょう?
読めば良いんじゃないでしょうか?

やればわかること
やらなければ分からないことって
世の中にはたくさんあって
とにかくやりゃぁ良いのにね。

と、ここまで書いて思いました。
やっぱりそんなシンプルにはいかないかもしれません。

「夢」とか言い始めると
避けて通れないのは
チャレンジと
それに伴うリスクなんですよね。

本人も親も学校も
リスク回避が最重要事項であれば
そりゃ話が難しくなるでしょうね。

豊かな社会になって安定期になると
そこからはリスク回避の動きに入っていくのは
当然なのかもしれません。

なるほどなるほど。

でも、全員じゃないしね。
そういう状態からのリバウンドもあるでしょう。
こういう状態だからこそ見えるものもある。

さぁ、どうしようかな。
楽しくなってくるぞ。