モチベーションベースの学びへ

他人は変えられない
と良く言われますね。
実際その通りかと思います。

その理屈でいくと
学校で学生をいわゆる「できる学生」に変えることなんてできない
ということになります。
まぁその通りだと思います。

本人が変わりたいと望まない限りは何も起きません。

じゃぁ、学校は何もできないのか?
というとそうでもない。

基本的に大学なんかは
本当に学びたいことがそこにあるから行くわけで
本来そこに大した問題は無いはずなんですが
まぁ、そうはいきませんよね。

というわけで
伝統的なやらざるを得ない仕組みの登場です。

一定レベルに達しないと
進級できない
卒業できない
という仕組みです。

この仕組みは「恐怖」を原動力にしています。
なので多くの学生は恐怖から逃れることをゴールに設定します。

そして
やらせればやらせるほど
やりたくなくなっていく

この仕組みでは
最大限うまくいっても恐怖から逃れることができるだけです。
なので多くの学生が言うでしょう
「将来は安定した暮らし(楽な暮らし)がしたい」
って。
当然です。

そんなこんなやっていくと
本当は学びたいことがそこにあったから行ったはずの大学が
めんどくさい存在になります。
できればやりたくない
という感じ。

あれ?
希望を持っていたはずの学生が変わりましたね。
でも「そっちじゃないのになぁ」という変わり方です。

何度も言ってますが
そんな状態で得た「何か」
それはそんなに役に立つんでしょうか?

そりゃまぁ何もやらないよりは良いのかもしれませんが
もっと良いやり方があるはずです。

大学だって今まで何もやってこなかったわけではありません。

一頃、「ものづくり」の重要性に着目して
日本中の多くの理工系大学が頑張ってましたね。

そもそも理工系大学に行きたい学生は
ものが好きなので、モチベーションが上がります。
これはかなり効果が上がったのではないかと思います。

でも今は正直なところ下火になってしまっていると思います。
だって教える側がものをつくったことが無い世代に変わりつつあるから。

自分の専門じゃないことなんて教えられないじゃん
もの作ったことないんだから教えられないじゃん
と言いたいところでしょう。

とはいえ打開策はあります。

やったことがなくても
分からないことに関するアプローチ方法は
先生方は知っているはずなのですよ。
だって大学の先生って研究者ばかりなんですから。
何だか良く分からないものを明らかにする専門家ですもの。

ジャンルが多少違っても
物事の本質は同じだったりするので
何かのスペシャリストは他の色々なこともできたりしますし
自ら学ぶのも上手。

でも
学校は
特に大学は
(すでに)知っている人が
知らない人に
一方的に伝える(講義する)
そんな固定概念がある。
それが変化を邪魔します。

分からない連中が集まって
「どーすんだ、これ?」
とか言って
何でも良いからやってみて
何度も何度もやってみて
色々見えてくる

これ
本当の学びなんじゃないか
と思います。
そうやって得たものは一生忘れませんよ。

もし、やるだけやって
最終的にダメだったとしても
その中で学ぶことは大きいはず。
なので無駄なことは無いはずです。

もちろん
現状のような講義ベースの学びはあっても良いと思うのです。
でも、モチベーションベースの学びがあっても良いのではないかと思います。

いわゆる「賢い人」は
いつの時代も必要です。
でも、そんな人ばかりじゃ
どん詰まりになります。
賢い人は賢くリスクを回避しようとしますから。

問題は
何だかわかない
どうしたら良いか分からない
そんなことにトライするには
リスクを避けて通れないということです。

なので
これまた何度も言いますが
勇気ある馬鹿野郎が必要とされる時代が必ず来るはずです。

一応言っておきますが
ノータリンでもいいということではなく
必要なのはパッションですからね。

ノータリンだって…古いね(笑)

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