流れを変えるぞ

学生がレーシングカーを作って海外の大会に挑戦する
Formula SAEの活動を開始して
ざっくり20年が経ちました。
やるからには、もちろん目標は優勝です。

総合4位までは行きましたし
部門賞も取りました。
発祥の地、アメリカの大会の歴史には
Formula SAEの流れを変えたとして
当チームの名前が刻まれています。
でも、未だに勝てていません。

その後は停滞したり
少々浮き上がってきたり

でも、このままのやり方を継続しても勝てない。
だって前回は勝っていないんだから
そのやり方ではダメなんです。
当たり前だ。

この活動は、学生が主体的に取り組んでいるので
基本的には彼らの意思でものごとが決まります。

彼らは4年で卒業してしまうものだから
どうしても継承が難しくなります。
知識や技術はもちろん、もっとも大事なのは
チームとしてのモチベーションの維持・継承です。
でも、そんなのはライバル達も同じはず。
何かが足りない。

面倒を見ている教員として言わせてもらえば
20年も継続的に海外大会に出ていること自体凄いことだと思います。
車を作り続けること一つとっても大変なのに
技術的な情報をまとめたり
輸出入の手続きをはじめとする事務仕事
現地での各種オペレーションとか
スポンサーを見付けたり
何もかもが大変です。
よくやるな、と思います。

でも、目標は海外大会優勝なんです。

このところ
メンバー達の心に火が付いたように思います。
このままじゃダメだってことは分かってる。
どうにかしたいという具体的な動きが見えてきました。

すでに色々な新しいチャレンジを始めていて
経験の数も増えてきています。

日本は世界に誇る自動車大国ではありますが
今や海外の大会で戦い続けている日本のチームは彼らしかいません。
ですが、彼らが成果を出せれば
きっと色々なことが変わり始めるはずです。

海外参戦をやめた他大学のチームも
再び動き始めるかもしれません。
俺たちにもできるはずだ!って。

そういうのは
きっと高校生以下にも伝播していくはず。
日本人は凄いことできるんだぞ!
という希望を持って欲しい。

Formula SAEは
海外ではいまだに大会内容と規模の拡大を続けています。
日本のチームがこのまま大人しくしていて良いはずがありません。

きっとできるぞ!

ビジョンありき

日々学生と付き合っていると
考え方が大事
ということがよく分かります。

車を作るうえでは
色んなパートに分かれて仕事をするわけです。

そのパートを担当している設計者は
車の一部を設計することになるのですよね。当然ながら。

なので、小さな一つの部品を設計したりするわけですが
何も無いところから
突然、ある一つの部品の形を決めるわけではありません。

自分の担当パートの全体を見て
周辺部品との関係などを決めるのは当然ですが
それこそ車全体を見て
車のコンセプトに沿った設計をする必要があるわけです。

こういったことは
スキルと言えなくもないですが
どちらかというと
考え方の部類かと思います。

コンセプトに準じた設計をするためにどうするか
なんてことはまさに考え方でしょう。

仏像を作るのに
いきなり目から彫ったり手から彫ったりしないでしょう。
各部の造形ができるなら、全体が作れるわけではない。
知識やスキルがあれば、全てできるわけでもない。

仏像を彫るには
まずは材料をよく見て
その中に埋まっている仏様を取り出すように彫っていくのだ
というような話を聞いたことがあります。

理想的な仏様の姿形はすでに決まっていて(決めていて)
その実現のために彫るのだよ
という感じですかね。

こういう匠レベルの話は行き過ぎかもしれませんが
ものをつくるというのは総じてこんなふうに
全体のビジョンがあって
そこからブレークダウンして細部が決まるものです。

という考え方があってはじめて
必要な知識やスキルが明確化されていくわけですよね。
そりゃもちろん
ある程度の基本的なことは知っておく必要がありますので
相応の事前の学習は必要でしょう。

しかし
勘違いしてはいけないのは
基礎をどんどんやっていったり
その応用をやったりしていけば
最終的な製品に行き着くかというと
決してそんなことはないということです。

良い仏像を作るには
もちろん考える経験が必要で
作ってみる経験も必要でしょう。

しかし
最初にビジョンを思い描いて
その具現化のために努力をして
やっと作った仏像を眺めて…

「うおおお!こんなんじゃなーい!!」

と斧で叩き割る。

あれ?
こんな話をしたかったんだっけ?

ともかく
出来不出来はともかく
理想を実現するために
理想を描いて
その実現のために
細部をどうするか決める
というようなプロセスをグルグル経験して欲しいのです。

そして
苦労して作った車を走らせて

「うおおお!こんなんじゃなーい!!」

と叫んで
ヒーヒー改善して欲しいのです。

なので
経験が浅い学生が
小さい部品一つを設計するのに
どうしたら良いか分からなくて
手が止まっているのを見ると

「わははは。お前もか!」

と思う反面
「なるほど。これを何とかするのが自分の使命なのかもな」
とも思うのです。

人生山あり谷あり…こんな表現もあるよ

吉田松陰先生曰く

士たるものの尊ぶところは
徳であって才ではなく
行動であって学識でない

かくありたいものです。

何も「才」と「学識」を最小化せよ
なんてことはないけど
重要なのは「徳」や「行動」です。

「徳」を身に付け「行動」が伴っていれば
「才」と「学識」は自ずと身に付く
というか
身に付けざるを得なくなるのではないでしょうか。

でも逆に
「才」と「学識」があれば
「徳」が身に付き「行動」ができるかというと
そんなことはない気がします。

あぁ、徳が欲しい。

実は似たようなことを
孔子もドラッカーも言ってます。
やはり時代が変わっても
本質は変わらないというところなんでしょうね。

そうそう
ドラッカーと言えば
興味深いことを言ってます。

大きな強みを持つ者は
ほとんど常に大きな弱みを持つ。
山あるとことには谷がある。
しかもあらゆる分野で強みを持つ人はいない。

それはそうですよね。
しかしですよ
良くありがちなのが

谷を埋めるために山を削り取っている

どうでしょう
そんなことが起きていませんか?
意外とありがちではないでしょうか。

でもこれは
「どうありたいのか」
によってこれは変わってくるかもしれません。

あらかじめ決められた範囲において
指示されたことを実行する

そんなミッションなら
山を削り取って谷を埋めて
つまり
強みを犠牲にしてでも
弱みをカバーして
いわゆる「そこそこの状態」にしておく
というのは得策なのかもしれません。

しかし、クリエイティブなことをゴールとするなら
これはちょっと危険なやり方でしょうね。

なので、高い山をつくろうとしている学生をサポートしたい。
でも
ついつい彼らの「谷」を見てしまって
埋めさせたくなっちゃったりするのには要注意。

中には埋めるべき谷もありますが
埋める必要がない谷との判別が重要です。

でも、結局、谷を埋めるも放置するも
それは本人次第なのですし
谷なんか見ている暇があったら
山を高くする努力をして欲しいところではあります。

とはいえ
山があまりに高くなる反面
谷が果てしなく大きく深かったりすると
卒業できない可能性があるので気をつけないとね!