コロナ禍で得られたこと

本学の今期の授業はほぼ終わりました。
で、あっという間に年末です。

このコロナ禍に見舞われて2年くらい経つのですね。
早いものです。

世の学校では
軒並み学生の成長が低迷しているのでしょうか。

今の2年生は
入学してから実践的なことは
ほとんどできていなかったりするのではないでしょうか。
授業はオンラインばかりですものね。

大学によっては
「学費返して」
みたいなことになっているそうです。

本学の実情で言うと
オンライン授業だからといって
コストが掛かっていないわけではありません。

むしろ大学はオンラインに伴う設備の増強とか
大工事をして教室に新たに換気設備を導入したり
教員はオンライン用に授業の内容を考え直したり
資料を丸々作り直して準備したり
正直なところ平常時より大変だったりします。

でも、そういったことは在宅の学生からは見えませんものね
「金返せ」と言いたくなるのも仕方ないのかもしれません。

この間、夢工房はどうしていたかというと…

当初、手を使った実践的なことを
できる限りやろうとしていましたが
早々に諦めて
オンラインだからこそ可能なことに注力する
と腹を括っていました。

なので、いわゆる「人間学」の方向にシフトして
エンジニアとして
人として
どうあるべきなのか
そんな内容と
オンラインでも可能な設計作業を進めることにしました。

ただし、ミーティングや現状報告や質問の頻度は結構高めにして
とにかくコミュニケーションの機会を増やす方向で。

とはいえ、そんな状態が2年も続くと
さすがに脱落する学生も出てくるわけですが
残った学生の数は思いのほか多くて
彼らのモチベーションは結構高かったりします。

なので、ボチボチ実作業ができるようになった最近では
かなりの勢いで成長しています。

スキル面もメンタル面も伸び放題です。

オンラインの状態でモチベーションを上げて
反面、実情はやりたいことができないわけですから
「乾いた」いわゆるハングリーな状態になっていたのでしょうね。

これは、夢と現実のギャップが大きくて
そのギャップを埋めたいという欲求が高まっている
理想的な状態です。

そんな状態で実作業ができるような状態になったので
それこそ乾いた砂が水を吸い込むように
凄い勢いで成長しています。

毎年行っていた海外大会も
2年連続で遠征中止となってしまったわけですが
それでも学生達は落ち込むわけでなく
次へ!次へ!!
となっています。

正直なところ
4年生は、本来行けるはずだった
海外大会を2つもロストしてしまったわけですから
大変気の毒ではあるのですが
それでも何かしら得るものはあったはずです。

誤解を恐れずに言わせてもらえば
人生の中で
こんな大規模な疫病に遭遇して
乗り越えた経験なんて
そうそうできるものではありません。

そこでの経験は
いずれきっと活かせる時が来るはずです。

なので
全然損した気はしないのですよ。

失ったものや得られなかったものを考えても
何も良くなりませんから。

むしろ良い経験したと思っています。

さて、来年はどうなるかな。
今から楽しみで仕方ないのです。

人はなりたいようになる

適性とか資質とかありますよね。
宿命とか運命とかもありますね。
性格なども同様だと思うのですが…

今の自分の現状は
なんか仕方なく決まっちゃったような
いつの間にかそうなっちゃってるような
そんな気がしませんか?

恐らく、こういったものは
大抵の場合
本人が意識せずに
自然と形づくられているはずです。

確かに先天的なようなもの
生まれながらにして
すでに決定づけられているようなものは
あると思います。

そしてそれは結構強力です。
ちょっと逃れがたい。

でも
もし現状に満足いかないとしたら
どうしたら良いでしょう?

何かやりたいことができちゃったけど
自分の考え方や、やり方では無理だぞ
となった場合などです。

現状の自分が
なぜ今のようになっているのか
と考えると…

もちろん満足いっていないことや
気に入らない所もあると思うのですけど

結局は好きでそうなってるのだな
と思っています。

何かを変えようとしても
他の「ある何か」を優先して得ようとすると
そうならざるを得ない
そういうことなんだろうな、と。

分かりやすいところでいくと

得たい何か

それを実行するには障害となる何か
それらを天秤に掛けて
障害となる方を選んでいる
…というか、障害となる習慣や考え方をやめられない
とういうことなのだと思います。

もちろんそれは
無意識だったりして
自動的にそうなっている。
なのでますます手強い。

というわけで
満足いかない現状は
無意識の自分が選んでいる結果だ
ということです。

ある意味
なりたいようになっている
ということですよね。

たぶん、これに気付かなければ
何も変えられない気がします。

だって無意識だから
気付きようが無い。

なんか凄い矛盾のような気がしますが
無意識の存在を認めれば
それを発見することは不可能ではありません。
自分の行動を確認して
「何でだ?」
と考えれば良いのです。

ただ、ここで
「何でだ?」
の結果に対して執着しすぎて
悩んではいけません。

過去は変えられないので
それをやると自信を喪失して
モチベーションが下がります。

なので
「じゃ、こうしよう!」
と次のチャレンジを決めましょう。
それをやってみて欲しい結果が得られなくても
また変えるなり
継続してみるなりすれば良いのです。

これ、意識的な行動ですね。
繰り返すと無意識となって
習慣が上書きされます。

ということは
意識的に
なりたいようになれるわけです。

これが今日のネタの結論です。

これを
どのようなレベルまで適用するか
それは自分次第です。

うまくいくためのポイントは分かっています。

好きなことをやることです。
もしくは
やっていることを好きになることです。

好きなことのためなら頑張れますから。

言うほど簡単ではありません。
私も分かっていながら
ジタバタやってる修行僧ですから。

でも、簡単じゃないから価値があるのですよ。

設立当初の精神の大切さ

大学に勤務して早20年が経ちました。
勤務早々、夢工房で学生達の面倒を見始まったので
これまたおおよそ20年。

学生が自分達の力でレーシングカーを作り始めて
20年が経ったということです。

まぁ良く続いたもんだ
と感心してます。

組織がスタートする時って
色んな形があると思うのですが
当初に崇高な精神があると
継続できるのだなぁ
と思ったりしています。

夢工房でレーシングカーを作る
プロジェクトチームが結成されて
動き始まったときに
何か立派な、文字にできるようなものが
あったわけではありませんでしたが
そこに学生達の純粋な精神があったのは間違いありません。

そもそも、経験のない学生達が
自分達でクルマを作って
海外で戦おうと思うことすら勇気が必要ですが
それを実行に移して、諦めずにやり遂げる
それを支えた精神はパワフルで純粋なものでした。

こんな大変なこと
我欲だけではできませんし続きません。

私利私欲って
結構小さい欲望だったりして
困難があると簡単に諦めることができるのです。

立ち上がり当初に、そういったものがあったからこそ
20年も続いたのでしょう
そう思っています。
もちろん環境や、周囲の理解や応援があったことも
継続できた大きな要因です。

1907年創立の我が東京電機大学が
1世紀以上も存続しているのは
やはり崇高な精神があったからでしょう。

技術は人なり
実学尊重

シンプルですが実に本質的。
何かに迷ったら
すぐにここに立ち返れば良い。

私は本学の卒業生ではありませんが
これはシビレます。

組織の風土が人をつくるというのは確かです。

なので
「そこにいる」
「そこでやる」
というのは結構重要なことなんですね。

今年は海外のイベントには出られませんでしたが
学生達は、ちっともしょぼくれていないどころか
ますますパワフルに活動しています。

来年が楽しみです。