何のための学び?

学校での「学び」って
テストで良い点数を取るためにとか
単位を取るためにということですよね。

では、テストで良い点数を取ったり
単位を取るのは何のため?

進級したり卒業したりするためでしょう。
それは何のためかというと

社会に出て仕事をするため
多くは会社に入るため

ということは
成績が良ければ会社に入れたりするという認識ですね。
その成績の程度によって、いわゆる良い会社に入れたりすると。

そう思うんだろうなぁ。

いわゆる「できるヤツ」が勉強できたりするケースはあるでしょうけど
そんなこともあるって話であって
勉強ができたからといって、仕事ができるとは限りません。

学力はあるに越したことはないでしょう。
けど、学力が全てではありません。

学校では学力が全てですが
社会に出た途端、求められるものが変わるわけです。
なかなかタフな状況ですね。

そもそも最近では、入社試験の前に成績証明を求める企業は減っていたりするわけですが。

一流企業に入っても
3年後には4割くらい辞めちゃうって知ってますか?
(ちなみに夢工房の出身者は非常に離職率が低く、20年経過時点で10%くらい)

彼らの学力が十分じゃなかったから?
そんなことはない。

もっとも
「学力」の意味するところが
(自ら)学ぶ力
だったら実に健全なのですが

学校では
決められたことが
できるとか、覚えるとか
そういうことを意味していて
それを競ってるわけですよね。

そういうことが好きな人はそうすれば良いし
そういう人も必要だとは思います。

でも、そういう人ばかりで良い仕事できるのでしょうか。
そういう人ばかりで良い世の中になるのでしょうか。

これは聞くまでもないですね。
それで良ければ、我が国は
もっとハッピーな国になっているはずです。

と、今回はまるで愚痴とか文句を言っているような内容になってしまいましたが
これはこの後のための前振りのつもりです。
問題提起ですね。

こういった問題を解決するために
我が夢工房は何ができるのか?
それが我々の課題なのです。

もちろん、そこには正解は無いので
チャレンジなわけですが。

夢はあるかい? その9

夢は叶う
と思っていれば、けっこう叶うものだし
夢は叶わない
と思うと叶わないものなんだよ

そんなおとぎ話ありませんでしたっけ?

今回は、パッと思い付いた重要なポイントをお伝えしましょう。

ポイントその1
そもそも信じていないことができるわけはない

信じて、必要な行動をすれば良いだけの話です。

「信じていればできるよ」
は信じられないけど
「夢なんて叶うはずがない」
は信じられる??
何か変ですね。

これはつまり、やらなくて済む方を信じたいだけでは?

ポイントその2
自分で掴む
という自覚を持とう

自分は
受け取る側であり
反応する側だ
ということになっていませんか?

誰も他人の夢を叶える義理はありません
自分で掴みに行けば良いのです。

ポイントその3
プライオリティを明確にしよう

欲しいのは夢を叶えることであって
それが第1優先です。

失敗を避けたい気持ちは誰しも持っていて
気持ちは分かりますが
失敗しなければ夢が叶うわけではありません。

我々は、持っている力の総量に限界があります。
これをどのように使うかを考えましょう。

楽をしたいとか、失敗したくないと思うと
やらなくて済むための行動をしたり
やらなくて済むための言い訳を探し始めます。
それはトッププライオリティではありません。
気を付けましょう。

ポイントその4
環境は大事

環境の影響は大きいです。
その環境を作るのは人です。

場所や設備などの環境も大事かもしれませんが
もっとも重要なのは人です。

夢を叶えるために頑張っていると
「そんなのできるわけない」
という人が現れることがあります。

タチの悪いことに
「お前のためを思って言ってるんだ」
なんて言ったりすることもあります。
大抵は嘘です。本人に自覚は無いでしょうけど。

「無謀な挑戦をして、失敗して、傷付いて欲しくない」
なんて言う人も現れるかもしれません。
それ、「成長するな」ってことです。

傑作なのは、たまに
レーシングカーを作って、クルマの開発者を目指す者に
「現実を見ろ!」
とか言う人がいたりすることです。

夢を現実にしようと実際に行動している人間にとっては
何を言っているのか理解不能なアドバイスですね。

愚痴や文句ばかり言っている人には気を付けましょう。
人のせいにするということは
自分のせいではない=自分はやりたくない
という気持ちの表れです。

人間関係は自分で作れる環境の一つです。

と、今日思い付く限りではこんなところかな。
また思い付いたら記事にしましょう。

今しかできないことがある

夢工房で仕事をしていると感覚が麻痺してきます。
というか、日常の基準が一般的ではなくなってくる。

ここの学生達、レーシングカーとか惑星探査機とかを作って、海外のイベントにチャレンジしてます。
で、「勝ちたい!」とかやってるわけです。

そもそも、学生がクルマや惑星探査機を作ったりすること自体、普通ではないし、まして海外の大会に打って出るのも普通ではないと思います。

ここでは、誰からも「やれ」と言われてもいないのに、自発的にチャレンジして、それが20年以上も継続している。
もちろん、長いことやっていれば山も谷もありますが。

それが夢工房の日常です。

自分が作ったマシンで海外で戦うなんて経験を
それで世界一を目指すなんて経験を
どれだけの人ができるのだろうか?

学生の時期とは限らず、人生を通して
という長い時間軸で見ても
たぶんそんな機会は一度もない人がほとんどでしょう。
普通、そういうチャンスは得られません。

それができるのは夢工房にいる数年間だけ。
ですが、20歳前後における、ここでの経験は確実に人生に大きな影響を及ぼします。

でもそれは、夢工房の「普通」です。

これはつまり、自分にとっての「普通」(物事の判断基準や価値観)が、この活動によって大きく変化するということです。

「やろうと思ったらできる」と思えるか、思えないか
そしてそれを、やるか、やらないか
その違いは実に大きいのです。

社会に出てから、何をどのようにやるのか?
それは自身の持つ物差しによって決めるわけですが、それがいわゆる普通でなければ、得られる成果も普通ではないのは当然です。