何のための学び? 「自分事」にしよう

他人事ではなく、自分事にしましょうよ。
と言うお話しです。

例えば、何かの理論があったりして
授業では、それが何に必要なのか実感できないままに「覚えろ」みたいなことになります。
それは何かのための手段なのですが、その「何か」が腹に落ちていなければ、頭に入っていきにくい。
本当に必要だと思っていないものなんて、本気でモノにしたいとは思えないでしょう。
まるで他人ごとのような学びになります。

学校では、それが受験のためとか、単位のため、なんてことになっていますが。
そもそも、受験とか進級とか卒業なんてのは、最終的なゴールにはなりません。
だって、それは手段に過ぎないから。

なので、学校での学びは、手段のための手段を学ぶ
みたいな複雑怪奇なことになっていて
そんなものはそう簡単に腹に落ちないでしょう。

なぜそんなことになっているかというと
汎用的な学びをしなければならないからでしょうね。

要は、色んな分野にまたがったことを勉強することが前提になっていて
具体的なゴールが提示できないのです。

例えば、クルマが好きな学生に、力学とかを教えても、そう簡単に頭に入っていかないでしょう。
クルマを設計するのに力学が必要だと分かっていても、です。

もっと具体的なクルマのビジョンを想像して
その使用用途とか、求められる性能とか、構成する要素…
と、落とし込んで、その末に

「この部分には、こんな力がかかるのだけど、こういう結果が欲しい。
じゃぁ、どうしたらいい?」

みたいなことになれば、かなりやる気になるはずです。
だって、自分が好きなものを構成するための具体的な手段ですから。

で、実際に作って、できたものを試して、出た結果について

「じゃぁ、次はどうしよう」

と考えてトライしてみる。

海外大会に行くなら英語が必要になるし
イベントで事業展開のプレゼンテーションがあるなら、そのスキルも必要になる。

こんな学びがあって良いと思うのですよね。
というか、これこそが学びだと思っています。

我が国は少子化に向かっているのであれば、学びもそれに合わせて
少人数で、より質の高い実践的なものにしていけば
何の問題も無いどころか、より高い価値を生み出せるはず。

何のための学び? こんなのどうかな?

やはりね、やりたいことをやるのが一番でしょう。
大学生は義務教育は終えているわけだし、義務的なやり方はいい加減終わりにしても良いと思います。

やりたいことを徹底的にやろう
やりたくないなら、やらなければいいじゃん

こういうのがあっても良いと思うんですよね。
そういうのが心配な人は、あらかじめ用意されたプログラムを粛々とこなせば良い。

やりたいことをとことんやれば、かなり尖ったパフォーマンスを持てるのは間違いないでしょう。
仮に最終的な成果が満足いかないものだったとしても、です。
そこから学ぶものは大きいから。

そう、そういうことから得る経験や、気付きこそが「学び」だと思うのです。
しかも自分から掴みに行っているわけで、やらされるのとは大違い。

こういった経験から得たものは、そう簡単には忘れません。
自分にとって必要だったから得たものは、その後も何度も使うことになりますし。

対して、授業で覚えたことは、卒業したら数年もたたずに忘れてしまうことが多い。
学校で色々学ぶのは良いですが、すべてが必要なことではありませんし
使わないことなんて、いずれは忘れてしまいます。

現在の教育の形は、効率を追求した結果だと思うのですが
果たしてそれは、何に対する効率なのか?
そもそも、教育に効率を求めるのは良いことなのか?

こういうのは常に考え続ける必要がある気がします。

やりたいことをやるために行く大学の中で
さらにやりたいことにフォーカスした夢工房
ここでは授業ではできないチャレンジをするのです。

何のための学び? なんでできない?じゃぁどうする?

勉学が得意な人
というか、好きな人
と言ったら良いのでしょうか

そういう人は、しかるべき学校に行きますし
そうでない人も、相応の学校に行きます。

中には、勉強ができて、自分の好きなことも勝手に伸ばしていけるような逸材もいるでしょう。
けど、その数は少数だし、そういう人材を大量生産するのは不可能でしょう。
なので、ここでは除外します。

ここでフォーカスするのは、それほど勉強が好きでも得意でもない人です。
でも、そんな人もほとんどが、かつては夢を持っていたはずです。

そもそも何で勉強が得意じゃないかというと、好きじゃないからです。
頭では、それが必要であろうことは理解できても、心から欲していないから、やる気が起きない。

でも、大学みたいに、ある特定の分野を選んでいるなら、それは興味のある、好きな分野であるはずではないですか?

なのに、なぜやる気が起きないのでしょう?

理由は色々あるでしょうけど、実体験から言うと…

例えば、自分の好きな機械について学びたいと思ったとするでしょう。
そんなとき、もっとも大事なのは最終的なビジョン。
つまり機械そのものを作ったり、といったことです。
そこに夢を見て大学を選ぶわけです。

しかし、学校ではいわゆる基本から入ります。
一般的には、その「基本」が、何のためなのかよく分からないままに、できるようにならなければならない。
そんなのがウジャウジャあって、好きじゃなくて不得意なものに対して大きな労力を払うことを要求されます。
そうしないと卒業できないから。
(そもそも、このやり方が逆だというのはこの辺をご参照下さい)

結果として、自分のパワーの総量のうちの大部分は、好きでもなくて苦手なことに使わなければなりません。
好きなことにそのパワーを投入したら、凄いことが起きるかもしれないのに。

もちろん、苦手なことを克服するのも時としては大事なのですが、それをやる気になるのは「何のため?」が腹に落ちているときです。

そんなことを繰り返すうちに、「好きでもないことをやらされる」という時の感情やら姿勢やらが習慣となって身についていきます。
その習慣がその後の行動原理を決めるわけですから、残念ながらうまくいくはずはありません。

「基本」は大事なのですが、それを吸収できるのは、その必要性が実感できているという前提があります。

なので、最終的なビジョンやらゴールについて考えたらり試したりして、「うまくいかねぇなぁ。何でだ?」というタイミングでそういったものが目の前に表れたらどうでしょう?

そりゃ飛びつくでしょう。

そんな環境を構築する工夫が必要だと思うのです。