考えるということ 2

問題を解く
これは考えるというよりも
作業なのでは?

という話でしたが
だとすると
今の学校は、それを助長しているわけで
やればやるほど考えなくなる
とも言えるのではなかろうか。

その行き着く先は…

問題は他から与えられるもの

という感覚の固定化。
これかな。

そういうのがあっても良いとは思うけど
そればかりってのはどうかな。

でも、今やそれは常識ではないでしょうか。

学校ってのは
言われたことを覚えるところ
出された問題を解くところ
そうなってますよね。

そんなのばかりだと

身の回りの現象や環境
自身の現状などなど
そういった当たり前のことに対して
疑問を感じて改善していく

まぁつまり
現状を疑い、改善していく

そういったことが
できなくなっていくでしょうし
現にできなくなってきている。

当事者にとってはそれは日常で
当たり前なことで
だから何?
ってなものだと思います。
そんなものでしょう。

でも、これは大問題。
色々な意味で。

今、この瞬間は良いかもしれないけど
この先は?
自分は良いかもしれないけど
自分が属する社会は?
問題を出してくれる人がいるうちは良いけど
そういう人がいない状況ではどうする?

何より
言われたことをやるばかりでは
価値を創造することはできないし
そんなの面白くなくて
続けるのは難しいでしょう。

では、どうしましょうね?

考えるということ

「考える」とは、一体どういうことなのか?

これが最近考えているテーマの一つ。

というのも、どうも
授業やテストで問題を解く
というようなことと
クリエイティブな思考
などは、ちょっと違うぞ
と思っているのです。

テストで問題を解くようなときって
確かに頭は使っているのだけど
何かちょっと違うというか

知的作業と言ったらいいのか
創造的なことを考えているときと違うのですよね。
うん、明らかに違う。

というのも
例えば学校の授業の成績が良くても
創造的な能力が高いとは限らないわけですよ。

覚える能力や
それらを使って何かしらの処理をする能力

それと
経験をしたことがない未来のことを想像する能力
これはあまり関係が無いな
と思うのです。

両方とも
「考える」
と文字にしてしまえば同じように見えるけど。

なので
よく、勉強ができることを
「頭が良い」
なんて言いますが

経験したことがないことに取り組むとか
そういったときには
その評価は適用できないわけで

つまり
知的作業に対する能力が高いからといって
開発などの
現在無いものを形にするとか
答えのない課題を解決するとか
そういったことに対する能力は保証されないわけです。

まぁ、両方あるにことしたことはないのだけど
人の力には限りがあったり
時間的な制約もあるわけで
どちらかに特化する戦略は有効だったりするわけです。

とはいえ
どうやってその能力を伸ばすのか?

具体的にどうこうというのはともかく
ロジックとしては…

勇気をもって積極的に突っ込んでいって
想像して試して
その結果を素直に受け止めて
諦めずに改善のループを回す

まぁ、そのような姿勢で
物事に取り組む機会があればベストでしょうね。
これは間違いない。

ポジティブとネガティブ

性格だから消極的なのは仕方ない
とか
経験とか実績が無いから消極的なのは仕方ない
というように
性格とか経験とか、そういったところに関連付けて
「仕方ない」ということにしたくなったりしませんか?
気持ちは分かります。

でもそんな時に望んでいるものは何でしょう?
どうしたいのでしょうか?

きっと「うまくいくといいな」
と思っているのではないでしょうか?
まぁ、大抵はそうですよね。

じゃぁ、そのためにはどうしたら良いでしょう?

まぁ、色々あるでしょうけど
心構えとしてシンプルなのは…

積極的であること

その結果としては色々起きるでしょうけど
これは絶対です。

バットは振らなきゃ当たりません。

積極的な気持ちでバットを振り続けていれば
いつか必ず当たります。

フォアボールやデッドボールが良いのだ
というなら話は別ですが。

ちなみに英語では
積極的なことをポジティブと言います
消極的なことはネガティブです。

思考により結果は決まるわけで
「うまくいくといいな」
と思うなら
そのための心構えはシンプルなのです。

え?ビギナーなのに空振りしたくない?
それは非現実的ですね。