自分はどうあるべきか?

自分がやりたいこと
自分に求められていること
属する組織の向かう方向性

などなど、色々ある中で我々は生きているわけで、何かやるからにはうまくいくと良いですよね。

そのために、未来に向けてこうしたいとか
組織は、そして自分はこうあるべきだとか
ビジョンが必要で、そこに向かって色々やるのですが…

個人的な欲望だけではうまくいかない、というお話しです。
特に組織・チームでやる時です。

そういうのって大抵はうまくいかないのですけど、何ででしょう?
これ、新入社員がよくぶつかる壁じゃないかな。

それは、組織は個人の欲で動く義理はないからです。
個人の欲を叶えるためにあるのでは無いのだから当然ですが。

よくありがちなのは、理屈に合っているからとか、個人の価値観で良いと思っているからという理由で仕事を通そうとして、同意が得られないとか、周囲が動いてくれない、挙げ句の果てには否定されるなんてことがあります。

これ、簡単に言っちゃうと、コミュニケーション不足ですね。

意外と忘れがちなのは、というか、誤解されているのが
人は理屈では動かない
ということです。

簡単に言うと、「気持ちが乗らないと動かない」「嫌なものは嫌」なのです。

義務なら嫌々やるかもしれませんが、良い仕事には結びつきにくいですね。
仕事量が多かったり、難易度が高かったりするとなおさらです。

これ、興味深いのは、自分が他人には平気で同意を得たりせずに仕事のオーダーをしたりするくせに、自分が同じことをやられると嫌だったりするのです。
そんなことありませんか?あるでしょう。

こんな例なら分かりやすいかもしれません。

「勉強しろ!」
とか言われたとするじゃないですか。

勉強しなければならないこと、勉強ができた方が良いことは、誰だって分かってます。
理屈では分かっているのですよ。
でも、気持ちが乗らなければやる気にはなりませんよね。

対して、自分が好きなことには喜んで労力を払うでしょう?
学校での暗記なんて苦痛なのに、自分が好きなことならスラスラ覚えられたりするじゃないですか。

仕事も同じです。

必然性や価値があっても、気持ちが乗らなければ人は動きませんし、そもそも内容を理解しようともしません。
必ずしもそうじゃないこともありますが、良い仕事をしたいなら、そう思っておいた方が良いです。

なので、まずやるべきことは、理屈を説明したり、いきなり指示をしたりということではなく、ビジョンやゴールの価値を共有するってところなのでしょうね。
気持ちが乗ってくれば、あとは早いです。

もう一つ重要なこと。
個人的な欲望で動いていると、次々に現れる困難に抗えなかったりするのですよ。
内的なことを諦めるのは簡単ですから。誰にもバレませんしね。

でも、組織内での自分の役割、立ち位置を「自分はこうあるべき」と決めてしまうと、そう簡単に諦めるわけにはいかなくなります。
責任を自覚するってヤツです。

この責任を、ネガティブなプレッシャーではなく、ポジティブなモチベーションとして利用できるようになる経験ができると良いですね。
もっともそれは価値観の問題かもしれませんが。

責任の大きさって、価値の大きさでもあるわけですから。

彼らの情熱に影響を与えるために…で、どうする?

若い連中の問題は、彼らの問題だから勝手にせい!
とか
言うことに従って、こうやれ!
というわけにはいきません。

未来は皆でつくっていかないと、大したものにはなりませんから。

恐らく年長者が文句ばかり言ったところで、大して状況は変わりません。
文句で心が前向きに発動することは無いからです。
それに言うことに従わせたところで、それが今の問題の根本なのだから何も解決しません。

年寄りが、「そんなんじゃダメ」とか「こっちの方が良い」と力業で誘導するようなやり方をしたら、結果はたかがしれていますし、それでは現状と変わりません。
それをよりパワフルにやったところで状況は悪化するばかりでしょう。

若者達に頑張ってもらうのは、もちろん重要です。
でもそれは、頑張りたい!という源が必要なわけで、それは皆で力を合わせて作っていくしかありません。

で、ここで勘違いしがちなのは、彼らに細かい指示をしたり、手取り足取り何かをやってあげるとか、環境をお膳立てするとか。
相手の心を直接いじろうとするようなやり方、それをやるからうまくいかないのですよ。

そういうのって、結局は「やらせる」ということになるわけで、やらされるから「最低限にしたい」ってことになるのです。

彼らの前向きな心が発動するような環境があれば良いだけで、それを作る必要があるのです。

どうせ「全員を…」なんてのは無理ですよ。
そうするためには強制力が必要ですから、そんなのはハナからやめた方が良いです。

年長者は、楽しく頑張って盛り上がっていれば良いのです。
ただし、財力にものを言わせて消費するようなのではなく、やはりチャレンジです。

彼らに環境を押しつけるのではなく、皆でチャレンジする空気感をつくっていく感じでしょうか。

それを見た彼らが憧れたり触発されたりするなら、それはそれで良し。
それは具体的な内容ではなく、盛り上がっている雰囲気とか、何でも良いのです。

自発的に、やりたいことをやるようにならないと、盛り上がってきませんから。

正直なところ、そんなことできるのかいな?とも思いますが、あまり気にせずに「やりたいこと」や「やるべきこと」にチャレンジするべきです。
それで未来は大きく変わると信じてます。

彼らの情熱に影響を与えるもの

どうもうまくいかない原因は、一般的に推奨されることが悪い方向に働いている気がしてなりません。

例えば「真面目さ」なんかに代表されると思います。
この「真面目さ」をどう捉えているか。

出過ぎたことをしない
かな。で、
失敗せず、最低限にやる
というのが方針ですかね。

確かにそれなら管理側に余計な手間を掛けず、最低限の労力でボーダーをクリアするようなやり方になるかもしれません。
いわゆる効率の良いやり方かな。

そもそもそれは、ゴールとすべきものではなく「手段」なので、手段と目的がひっくり返っている。

でもそれが学校で自然と養われてしまっている気がしています。

それを学生に突きつけて、「そんなんじゃイカンじゃないか!」と言ったところで、そもそもそういった効率の良いやり方を彼らに提示したのは、我々年長者です。

「一生懸命勉強して、将来楽に暮らしていけるように」
とか
「自己の利益を最大化するように」
とか
「効率よくやれ」
とか。

「トレンドを考えて、それに乗っかるように」
なんてアドバイスもするでしょう。
そもそも好きでもないトレンドに乗るためのことなんてやったところで、うまくいくはずないと思うのです。

そんなことを繰り返していくうちに、自分の理想とか好みとか、そういった最も大事なことから離れていって、自分の理想を想像する力を手放してしまう。
そうなったら、何かに夢中で取り組むような、成長するために最も大事な資質を失ってしまいます。本来、そういう資質は誰しも子供の頃に持っていたはずなのに。

結果、「楽して得して効率よくやろう」みたいなことになっちゃうのは仕方ない気がします。
パッションが無くてチャレンジできなかったりするのは、アドバイスや周囲の情報を重視した真面目さから来ている気がするのですけど、どうでしょうか?