何でもあれば良いってもんじゃない

かのピーター・ドラッカーの奥さんのドリスが、こんなことを言ったそうです。

「習慣的な暴飲暴食は肥満と怠惰を招く。
同様のことが情報にも起きている。
無思慮な情報の摂取は人を精神的な肥満と怠惰に導く」

ドラッカーの奥さんですから、たぶん50年くらい前に言ったのではないかな。

「肥満と怠惰」って、何か分かる気がするのです。
今は無料でバンバン情報が手に入りますからね。
それによって、よりアクティブになっているかというと、どうもそうでも無い気がする。

もうちょっと手元の話題にフォーカスしてみると、例えば教育です。
学校での教育、塾での教育、SNSを含むネットからの情報…と、大量の情報を日々浴びるようにして生活していたりするわけです。

それらの情報は、「何かのため」つまり何かしらのゴールのためにあるわけですが、果たしてうまく利用されているでしょうか。

昔はネットが無かったので、情報は自分で掴みに行くしかありませんでしたし、今に比べればかなり量も少なかったような気がします。

「気がします」と断言しないのは、苦労して手に入れた、限られた情報に対して、かなり細かいところまでしゃぶりつくしていた気がするからです。
学生時代は、レースやバイク関係の書籍を手に入れるのに、数十キロもバイクで走って買いに行く…なんてやってました。
そして、そうやって得た情報は隅々まで目を通したし、実際に利用することも多くて、その結果、経験として定着する割合が高かった気がするのです。

苦労して手に入れた情報、使わなきゃ損だ!みたいな感じでした。

対して、「労せずして」に限らず、「望まずして」というのもると思うけど、そんな風に手に入った情報は、果たして有効に使えていて、彼らはハッピーなのだろうか?
望むゴールは手に入っているのだろうか?

そんなの聞くだけヤボで、情報の入手性によって、それを利用した結果が左右されたりするのは当然です。
だって、入手性が良いってことは、価値が低いってことでもあるから。

その辺がトレードオフになっちゃってるのでしょうね。

うまくいく兆し

失敗して、つまづいて、行き詰まったらどう思うか?
まぁ、うまくいかない時ですが。

恐らく普通、気持ちは下向きになるでしょう。ですよね?

でもそれが、うまくいく兆しだったりする、と思うことがあるのですが、そんなの信じられますか?

こういうことです。

うまくいかないことに遭遇しているということは…

簡単なところでは、何をすると何が起きるかが分かった、ということです。
こうするとうまく行かないことが分かったのです。
それはやらないと分からないことです。

誰でもできる簡単なところを通り抜けたということで、ここから先に進むことができれば、独自性とか優位性とか、何かしらの価値が得られるというサインかもしれません。
多くの人は、そこで諦めますから。

何が難しいか分かった!ということかもしれません。
それは一般的にとか、自分にとってとか、色々だとは思いますが。

何にせよ、それを乗り越えれば成長できるということです。
何にせよ、その「うまくいかないこと」には価値があるのです。リサイクル可能な経験です。

「向いていないからうまくいかない」のではありません。
そこで諦める人が「向いていない人」なのです。
うまくいかなくなるたびに諦めていたら、誰でもできることしかできない人になってしまって、全く面白くありません。
偉人伝を見てみましょう。
成功者達は、あなたよりもっともっと、とんでもない失敗をしています。

うまくいかないことで快感を感じられるようになったら、あなたは立派な変態で、偉人達の仲間入りをする一歩手前かもしれません。
少なくとも、普通なら諦めるところで諦めなければ、それはもう普通ではないのです。

ひっくり返すべきもの

どうしたら物事はうまくいくのだろう?

抽象的ですが、色んなことに対して共通して言えることが欲しいので、むしろ具体的でない方が良いのです。
これ、とても大事で大きなテーマです。

「どうしたら」ってのには、色々含まれます。
もちろん知識やスキルも含まれるのですが、これらの上限はメンタルとかマインドとか、心理的なものによる影響が大きいですよね。

もちろん、知識やスキルが心理面に影響を与えることもあるとは思います。
鶏が先か卵が先かのような話になってしまいますが、以下の状態に対して、「まずは知識を…」のような解決は不可能ではないかと思います。
それが可能なら、自粛下のオンライン授業で何とかなっていて、そもそもこんな問題にはなっていないはずですから。

ここまで発展してきたネット社会の便利さの弊害と、コロナ禍による自粛やオンライン化の影響だろう…なんてことを記事にしましたが、この二つの合わせ技の威力は絶大で、かなりガッチリ「受け身」で「守る」という基本姿勢が定着している感があります。

オンライン化された、動かずに画面を見ていれば良い授業は、基本的に受け身で、アクティブに新しいものを作り出すために必要な資質と全く逆なものが身に付いてしまいます。
と書いて気付きましたが、そもそも多くの授業は受け身ですね。それが強化されたと言うべきかもしれません。

それによってどういう傾向になったかというのを、パッと思い付く範囲で挙げてみましょう。もちろん、左側が理想で、右側が結果です。

積極的・消極的

外向的・内向的

未来を想像する・想像しない

視野が広い・視野が狭い

早い・遅い

オンラインの授業などで数年やって身に付いた姿勢は、そう簡単には変わらないのかもしれません。
何せ、この状態でいることは結構楽なんですよね。
なので、無意識に本能的にそっちに向かっちゃう。

本当にどうしたものかと思ってしまうのですが、これが分かっているならひっくり返すだけなのです。
言うのは簡単ですが、一体どうしたら良いものやら。

やはり本人が「こうありたい」と思わないことには、どうにもこうにもなわけですが、そのためにどうするか。
彼らを強く惹きつける力を持った何かが必要でしょう。絶対に。
無意識に、本能的に動いてしまうのを自ら妨げて、方向転換したくなるほどの力が必要です。

もちろん夢工房にはネタはあります。
それをどう使うかが大事なところでしょうね。