今を一所懸命

「今できることを一所懸命やる」
というのと
「できることだけやる」
というのは違います。
大きく違います。

今、自分がやるべきだと思っていることを一所懸命頑張るってのは、実に大事なことです。

それはそれとして

就活の時なんかに良くある話だと思うのですが、今、自分ができることを探す。それを仕事にする…みたいなことを考えがちですよね。

でも、そんなもの無いから学校にいるんじゃん!?ってことなんですよ。

なので当然、「できる」ようにならなければならないわけで、
じゃぁ、一体何ができるようになりたいの?
これが最初に考えるべきこと。

そのために、まずゴールを定める必要があります。
当然ながら、それは「今できないこと」です。

なのですが、これが結構難しかったりする場合があります。

「今できないことはゴールに設定できない」と思っている場合が意外と多いのです。
これ、よく考えるとおかしいんですけどね。
よく考えなくてもおかしいですが。

だからこそ、就活で「今できること」をベースに考えてしまったりするのでしょうね。

今できていないことを「やる!」って言うのがためらわれるような何かがあるのでしょうね。

「できもしないことをやるとか言って、バカみたい。」
みたいな反応が怖かったりするような感じでしょうか。

バカで結構ですけどね。

まぁ、それはそれとして、「ゴールを設定して頑張る」ってのはとても重要です。
もちろん、理想のゴールに到達するべく頑張るべきです。

で、理想のゴールに到達できないと意味が無いかというと…「それじゃ意味が無い!」というつもりでやるべきなのですが、結果がどうあれ、頑張れるってのが最も重要です。
そこに待ち受ける困難をいかに乗り越えるかとか、そんな経験ももちろん重要です。
で、それらは自分の内的なことです。

そんな当人を外から見ると、そういうチャレンジを継続できている者には期待ができるよね、となるのです。

はい、そういうことです。
その期待値が価値の源泉なんですよ。

参考までに書いておきますが、学校での研究などが、そのまま仕事として通用するかというと、多くの場合は無理でしょう。とても話にならないと思います。
内容もスピードも。

学校でやってる研究内容は、企業内でやったら三分の一くらいの時間でできちゃいますから。
中には凄い研究しているとこともあるのですが、そういうのは一握りでしょう。

なので、学校で何を学んだかというのは無意味とは言いませんが、内容がそのまま期待されているということは無いってのが現実だと思います。
それに、授業での学習内容などは、誰でも知ることができる内容です。
当然ながら、独自性とかアドバンテージにはなりにくい。

その証拠に、就職試験の面接でも、授業のこととか研究内容なんてあまり深くは聞かないでしょう。
「ふ~ん」ってな感じです。
ヘタすりゃ、研究始める前に面接しちゃってる訳だし。

なので最も重要なのは、ゴールの設定と、到達すべくどうしたか?ということです。

というわけで、そのために「今を一所懸命」ってのが大事ですよね、となるわけです。

本質+逆境=成長

おお、変な公式だ。

学校で、目の前に具体的な問題を出されて、それを解く
なんてことばかりやっていたら
ものごとの本質を考えたりする必要はありません。

むしろ、そんなことは考えない方がいいかもしれません。
時間の無駄だから。

「なんでその問題解かないといけないんですか?」
なんて聞いて怒られてる暇があったら
何か暗記でもしていた方が良いでしょうし
そもそも、そんなことを疑問には思わないでしょうし
最近の学生が質問(自ら問う)なんてしないでしょうけど。

なので、そういう環境にいたら
「何のために?」
という、ものごとの本質を考えることはできなくなるでしょう。
当たり前ですが。

なので、「勉強ができる」と「仕事ができる」はイコールじゃないよね
ということになるのでしょうね。

仕事は、本質の部分を押さえないとうまく行かないから。

理想を言えば、勉強ができて仕事もできたら良いのでしょうけど
まぁ、両方とも良いレベルに仕上げるなんてのは難しい
というか
仕事をやってみて、足りない部分は「学び直し」なんて手も無くはない。
というか、多くはそんなことをしてたりしますが。
仕事していて、足りないことがあったら勉強しますもの。

何が言いたいかというと

現状の教育のシステムを変えるなんてのはまず無理なので
そういう本質を探るようなことをやるのなら
やはりレースとかコンペティションは最適ですよね
ってことなのです。
本質を掴まないとうまく行かないことだから。

まぁ、簡単ではありませんし、高いところを望めばのぞむほど大変ですが。

でも、何をどうやっても、いずれは困難なんてのは来るわけで
逆境が大きければ大きいほど成長できるってものなのです。
むしろ逆境は成長のためには最大のチャンス。

それを受け止められる価値観を持てるかどうかが成長のカギってことです。

正しいと信ずることを行いなさい

正しいと信ずることを行いなさい。
結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。

インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンジーの言葉です。
名言です。

ガンジーが、どんなことをした人かは教科書で見たことがあるでしょう。
ただし、教科書の記述はあまり詳しくないでしょうし、私なんかは何が書いてあったかなんてさっぱり覚えていません。
そもそも内容なんて理解しようとせずに、ガンジーの顔写真に髪の毛を描いていたりしたでしょう?
したはずです。
そんな人にはWikipediaですね。

ガンジー、実に勇気のある人です。

人の持つ性質というか、特性というか、そういうので最も重要なものとして、「勇気」とか「優しさ」とかがあると思うのですが、そういうのってまるっきり独立したものではなくて、相互に関係しているものだと思っています。

どういうことかというと、やさしさを発揮するにも勇気が必要だったりするでしょう。
逆に、勇気を発揮するにも、他を思いやる心が必要だったりする。
そういうことです。

そんな風に、大事な特性って色々あるのだろうけど、何が一番表だって現れるのかというのもあるわけで、チャレンジで行くならやはり勇気ってことになるのでしょうね。

でも、何度も言っているように、コロナ禍の環境において、むやみに勇気を発揮することは非常にリスキーだったわけで、そんな環境を何年も生きてきた我々は、自分でも気付かないうちに勇気やらパッションやらを失っているわけです。
これはもう断言してしまって良いと思うのです。

気付けば腰の引けた世の中が、いつの間にやらやたらと面倒なシステムで構築されていたりして、おかげでやりたいことをやるのには、いちいち面倒なハードルを越えなければならなかったりもします。

厄介なことに、安心・安全で便利なシステムなんてのは、その中に収まっているなら勇気が要らない仕組みになっています。

システムに限らず、一度構築されてしまったものは、なかなか変えられなかったりします。
我々の心もそうです。

価値あるものって、だいたい勇気でできていると思うのです。
やる勇気、継続する勇気…

成長するというのは、現状の自分から変化することなので、そういうのも勇気が要りますね。

と、そんなことを思う一日でした。