究極の選択ではないけど

「失敗」と呼ばれるものは、大きく分けて二つあると思っています。

やって失敗するか?
やらずに失敗するか?

チャレンジするってのは、うまく行かないかもしれないけどやるってことで、これは「やって失敗する」ですね。

対して、失敗したくないとか動機になって、やらないとか、先送りにすると、結局はトライできる回数が減ったり、そもそも実行する機会を失ったり、「失敗している」という実感こそ少ないものの、経験とか成長といった面では失敗と言って良い。これは「やらずに失敗する」ですね。

基本的なスタイルが前者の場合は、そのままバリバリ行って頂くとして。

後者の場合は、本人が思っている以上に根深い問題だったりするのです。

というのも「やらずに失敗する」スタイルの場合、そうなっていることを自身が意識していなかったりします。

さらに、そうしていると習慣化してきますので、それが普通になっちゃって、行動がより強化されても気付かなかったりもします。

「やって…」と「やらずに…」は、生まれついて持ち合わせた特性だったりするのかもしれませんが、後天的に身に付くことも多いと思います。
私は、そういったものは環境によって自然に身に付くものだと思いますが。
まぁ、どちらでもいいのですけどね。

いずれにせよ、それらの特性を必要な方に変化させるのは、凄く重要なことだと思います。

だって、何か新しいものを作る仕事に限らず、仕事を「やる」ってのは避けられないわけで、何事も実行によって学んで向上していくものでしょう?

だったら、「やらずに…」が基本的なスタイルになっていると、最終的に苦しい思いをするのは当然なのですよ。
それは自身も周囲も。

でも、誰しも…というか、若い頃って経験が無いわけで、そういう状態だと失敗の可能性を匂わせるものに対して過剰に反応しがちですよね。

だって、「分からないこと」って恐れの根源になりやすいですからね。

というわけで、どうしたらいいかは明白ですよね。

どこまでやるかは自分次第ですが、「足りない」よりは「やり過ぎ」の方が、ゴールに対する調整は容易です。
ちょっぴり覚悟が必要ですけど。
よく「バカになれ」って言いますけど、そういうことです。

底を打ったら上がるだけ

今日は当チームのスポンサーであるホンダの青山本社へ活動報告に行ってきました。

もちろん成果が出せなかった訳なので、大した報告はできなくて申し訳ない限りなのですが、皆さんから色々とアドバイスを頂き、学生達にとっては大変貴重な機会となりました。

実は今回の遠征では、図らずも私が以前から気になっていたことが一つ明らかになったのです。
それは
成績が低下するなど、劣化した組織が立ち直ることができるのか?
それはどれほど容易なのか?どれほど困難なのか?
そんなことです。

まぁ、大変困難だったわけですが。
もちろんこれは、私にも大いに責任があることも承知しています。
それも含めて困難さを実感しました。

上昇するにしても、下降するにしても、「慣性力」みたいのは強力に効いてきます。
変化の難しさと、その価値を実感しました。

不謹慎かもしれませんが、それが分かったのは大収穫です。
そして幸いなのは、そんな状態にありながらチームのモチベーションは逆に上がっているということです。

一度底を打ってしまえば、もうやるしかないわけです。どんなチャレンジをしても全てプラスにカウントできます。

実を言うと…この時を待っていました。

遠征で見えたこと できないのはなぜ?

遠征に行く前に、この状態では戦えないというのはすでに分かっていました。
その予兆を感じられるのは、年の初めなのです。

例年、そのシーズンの開発をスタートするのは1月です。
まずは企画から始まって、設計、製作、テスト…と進めていくのですが、だいたい企画の段階でどのようなシーズンになるかは見えています。

企画の内容、決定されるまでの期間、そんなことをしている状態の熱意などなど。

今年はマシンが最低限形になった状態で遠征に行きました。
開発内容としては、実にお粗末なものです。

なぜそうなるかというと、やっている本人の人間性がそのままマシンの形となって現れているに過ぎないわけで、さらに言うならアドバイザーである私の状態も関係しているはずです。

そんなマシンを大金をかけてオーストラリアまで送って、ダメなのを承知で大会に参加したのが今回です。
何度か「そんなマシンを送っても意味ないだろう」とは言いましたが、最終的にはチームの意思ということで発送して大会参加となりました。

でも、大会での学生の様子を見られたのは大きな収穫でした。
もちろん、これからどうしていくかは彼ら次第なのですが、私は現状から脱するヒントが得られましたから。
ただ、「こうすればいい」という明確な答えが見えたわけではないので、試行錯誤は続くでしょう。延々と。

さて、ではなぜこのような状態になっているのか?
簡単に言ってしまうと…

  • 主体性が無い
  • 勇気が無い

と、だいたいこれらに集約される気がします。

で、「これらを手に入れろ!」と言ったところで無理なのは分かっています。
今までの環境で、そんなものは必要無かったか、無い方が都合が良かったからです。
彼らが意識的に、自発的にそうなることを選択したわけではありません。

そもそもコロナ禍の自粛環境下で、主体性と勇気を持ってゴリゴリやるヤツなんてのは厄介者だったはずで、大人しく受け身になるなんてのは処世術として必須だったはずです。

今や強固な習慣として身に付いてしまったこの状態を、いかにひっくり返すか。
というか、彼らがそう望まないことには何も始まらないので、そういう環境をいかに構築していくか。
今や強固な習慣として身に付いてしまったこの状態を、いかにひっくり返すか。
というか、彼らがそう望まないことには何も始まらないので、そういう環境をいかに構築していくか。
大問題ではありますが、やり甲斐はあるかもしれません。

もちろん、偉そうなことを言っている自分だって、似たような傾向の問題を抱えているはずだと思っています。
まぁ、皆で修行する必要があるってことです。