色々あるけど正解は一つじゃない

たまに思うのですよ
独裁政治の国に生きている人は幸せなのかと。

我々の側から見ると
窮屈で困難そうだけど
そこに住んでいる人は
まんざらでもなかったりするのではないだろうか。
そもそも価値観が違うというのもあるでしょうから
単純比較は難しいとは思いますが。

独裁制の場合、統治者が決めたことをスピーディに実行できる
というメリットがあったりします。
この辺は自由主義国にはマネできないでしょう。

厳しい自然環境で生活する場合
強力な権力を持った少数が統治した方が
メリットがあるのだと聞いたこともあります。
確かに独裁制の国は厳しい環境に多いのかも。

そんなふうに
デメリットもあればメリットもあるのですね。

とはいえ、独裁制の国に住みたいとは思いませんけどね。

でも、向こうから見れば
こっちが不幸な国に見えるのかもしれなくて
「あんなところには住めない」
と思っているかもしれませんね。
自由主義国ならではの
しょうもない事件なんてのは
独裁制の国に住んでいないと分からないのかもしれません。

独裁にしても自由にしても
いずれもプロパガンダが効いている気がしなくもなくて
本当のところは行ってみないとよく分からないのかもしれません。

ベトナムなんて社会主義国だけど
行ってみたら、なんとなくホノボノしてるような雰囲気でしたし。
あそこは独裁ではないのかな。

そうそう、プロパガンダといえば
昔エジプトに行った際に
お土産物屋で値引き交渉をしたら
「安くするから、みんなに俺の店をプロパガンダしろ!」
と言われたのを思い出しました。
そうか、あなたたちはそう言うのか(笑)
これはどうでも良い話だけど
プロパガンダで思い出した愉快な思い出。

何が言いたかったかというと
正解とか不正解とか
答えは一つではなかったりするよね
というようなことなのです。

でも、学校教育は正解がなければならない世界
そうしておかないと評価できないから

なので、学校で普通に学ぶと
課題には正解があるのだという考え方になる
それは当然。

でも、多くのことには
メリットもあればデメリットもあったりするのが普通で
「何のためにどうするの?」
というようなことが重要なのですよね

というようなことが言いたかったのでした。

ものを作るのも同様で
正解なんてそもそもありません。
それは自分で作るものですから。

イメージして頑張る これが基本でしょう

人が何かをやるときは
自分がイメージできるところまでしかできないのですね。

なので
あらかじめ、やりたいことや、やるべきことに対して想像して
そのイメージを大きくしておかないと
そもそもチャレンジのゴールを高いところには設定できません。
そうしないと
ポテンシャルは大きくならないし
パフォーマンスは発揮できない
ということになります。

ということは
どうやってイメージを拡大するかが問題なわけですが…

これはもう
自分がどうしたいかによって決まっちゃうでしょうね。

だって、上を見たくなければ見ないわけで
仮に自分が興味がある世界を見ていたって
望みが低ければ上の方なんて想像しませんものね。
当然ですが、その想像以上のことなんて
やろうとするはずはありません。
だったらできないのは当然。

対して望みが高ければ
興味や探究心が発動するはずで
「その先はどうなんだろう?」
という想像が働きますよね。
想像しちゃったらやるしかないでしょう!

というわけで
やはり大好きなことを
ワクワクしながら頑張るのが一番
ということです。

とか言うと
好きなことを探したり…
なんてなっちゃうケースも多いかと思いますけど
あまりお勧めできません。
大抵は、チャンスを逃したり時間切れになっちゃうから。

じゃぁどうするの?

まずは直感的に「これだ!」と思ったらやってみる
もっと好きになるまで
もっとできるようになるまで
とにかくやる
というのは大事だなと思うのです。経験上。

まずはやってみて
ちょっとぐらいうまくいかないことがあっても諦めるな
ってことですよ。

そもそも、うまくいかないことが無いようなことなんて
そうそう無いだろうし
あったとしても大した価値はありませんから。

それに
やはり多くは、そこで諦めるのですよ。
ということは、そこを乗り越えられれば
一段高いところや
一歩先へ行ける
ということですよね。

頑張っていれば
そのうちうまくいくかもしれないし
継続する中で見出せることがあったり
継続そのものが価値になることもあります。

チャレンジャーがうまくいくための基本的なところって
そんなに複雑で難しいことではなくて
結構シンプルなのだと思います。

分からないことは恐怖だったりする…ので

義務とか責任とかそんな動機でも良いのだけど
そんなことばかりだと結局は
果たせなかった場合の恐怖が動機になってしまって
最低限を目指すでしょう。
そしてそれは習慣になる。

まず「失敗しないように」と。

そのために一番良い方法は
チャレンジしないことです。

そう、今回もチャレンジのお話しです。

恐怖感を持ちながらチャレンジすると
たとえ動けても
理想的なところへは向うことはできずに
無難に、最低限になる。

そんなことをいくら繰り返したところで
身に付いた習慣は同じ結果を生むわけで
その結果に苦しむ本人にもどうにもならない。
習慣を変えない限りは。

なので
やはり心が求める動機が必要でしょう。

これをどうにかしたいので
日々、色々トライしています。

まず「恐怖」は何か?
ということなのですが

これは恐れおののくような
典型的な恐怖というより
「分からない」という
単純なことなのではないかと思っています。

人が暗闇を恐れるように
分からないことは怖い。
そういう感覚に近いのではないかと。

じゃぁ、分かってしまえが良いわけですが
やったことがないことを
いざやりましょう
というのがチャレンジですから
当然ながら、どうなるかは分からないわけです。

ここでゴールの明確化が効いてきます。

「こうするのだ」
と。

「最終的にはこうするのだから大丈夫」
と思っていれば
過程では何が起きるか分かりませんが
最終的にどうなるかは分かるわけです。

その「最終的にどうなるか」は
単なる思い込みなのですが
その過程で
「諦めずにやり切るのだ」
と、腹が決まっているのなら
単なる思い込みというより
シナリオのようなもので
自分がそれを信じているなら問題なしでしょう。

それを自信というのですね。

自信は、できるから持つものではなく
信じているから持てるのですね。

単なる思い込みで
ちょっとバカみたいに見えるかもしれませんが
そんなものだと思います。

デッカイ事を成し遂げた人は
ことを遂げた後だからこそ賞賛されますが
チャレンジ前と過程では
「バカか、お前は」
と思われていることも多かったはずです。

というわけで

「できるかどうか」
ではなく
「やる!」
と、決めてしまえば良いわけです。

そうしたら、驚くほどシンプルなシナリオが描けるはず。
あとはやるだけ。