義務とか責任とかそんな動機でも良いのだけど
そんなことばかりだと結局は
果たせなかった場合の恐怖が動機になってしまって
最低限を目指すでしょう。
そしてそれは習慣になる。
まず「失敗しないように」と。
そのために一番良い方法は
チャレンジしないことです。
そう、今回もチャレンジのお話しです。
恐怖感を持ちながらチャレンジすると
たとえ動けても
理想的なところへは向うことはできずに
無難に、最低限になる。
そんなことをいくら繰り返したところで
身に付いた習慣は同じ結果を生むわけで
その結果に苦しむ本人にもどうにもならない。
習慣を変えない限りは。
なので
やはり心が求める動機が必要でしょう。
これをどうにかしたいので
日々、色々トライしています。
まず「恐怖」は何か?
ということなのですが
これは恐れおののくような
典型的な恐怖というより
「分からない」という
単純なことなのではないかと思っています。
人が暗闇を恐れるように
分からないことは怖い。
そういう感覚に近いのではないかと。
じゃぁ、分かってしまえが良いわけですが
やったことがないことを
いざやりましょう
というのがチャレンジですから
当然ながら、どうなるかは分からないわけです。
ここでゴールの明確化が効いてきます。
「こうするのだ」
と。
「最終的にはこうするのだから大丈夫」
と思っていれば
過程では何が起きるか分かりませんが
最終的にどうなるかは分かるわけです。
その「最終的にどうなるか」は
単なる思い込みなのですが
その過程で
「諦めずにやり切るのだ」
と、腹が決まっているのなら
単なる思い込みというより
シナリオのようなもので
自分がそれを信じているなら問題なしでしょう。
それを自信というのですね。
自信は、できるから持つものではなく
信じているから持てるのですね。
単なる思い込みで
ちょっとバカみたいに見えるかもしれませんが
そんなものだと思います。
デッカイ事を成し遂げた人は
ことを遂げた後だからこそ賞賛されますが
チャレンジ前と過程では
「バカか、お前は」
と思われていることも多かったはずです。
というわけで
「できるかどうか」
ではなく
「やる!」
と、決めてしまえば良いわけです。
そうしたら、驚くほどシンプルなシナリオが描けるはず。
あとはやるだけ。