正解とか不正解とか

学生は学校で学んでます。

そもそも学ぶって何だ!?
なんて考え始めると
どんどん深いところに行っちゃうので
これは別の機会に譲りましょう。

学校では
「正解を出せるようになる」
というところでしょうね。

「~ができるようになる」
が理想なのでしょうけど
実践的に何かをやる機会は
そうそう無いので
それはあくまで理想です。

さて
「正解を出せる ようになる」
なんか良さげですね。

でもこれ
すでに存在しているけど隠されている正解
それに対して「合っているか」ってことですね。

なので
正解を覚えているとか
ある特定の方法で正解を導き出す方法を知っている
といった意味です。

怖いのは
正解・不正解
という二元論に走りやすい思考が形づくられる
ということだと思っています。

メカ系の仕事って、一見
合ってるとか間違ってるとか
良いとか悪いとか
そんな世界のように見えるかもしれませんが
そうでもない部分も多いのです。

例えば
同じ役割を果たす
異なるメーカー製の機械が
結構違う設計だったりすることもあります。

そんなことは機械系に限らず
あらゆる製品に言えることですが
結局のところ
基本的な原理とか構造とか材料とか
共通項が多かったとしても
それらをどう料理するかというのは
設計者の考え方次第で
センスとかアイデア次第という部分も多いのですね。

そういう世界を
正解とか不正解とか
そういう判断基準で括っちゃうと
発想が貧困な製品ばかりになって
つまらない世の中になっちゃうのではないかと思います。

経験の浅い学生などは
部品を設計して図面を描くと
私のところに持ってきて

「これ、どうですか?」

って聞くんですよ。

これ、「合ってますか?」という意味です。

たぶん、先輩達は
それを横目で見ながら
「あ~、それ、やっちゃダメなヤツだ~」
と思っていることでしょう(笑)

図面を描く授業なら
それでも評価できるかもしれません。

でも
彼らがやっているのは実践なわけで
部品単品の図面を見せて
合ってる間違ってるも
良いも悪いも無いのです。

どういう役割を果たす部品で
周囲との関係がどうなっていて
どういうつもりで形づくったのか
それが良否を決めるわけで
単品で良いだの悪いだのってことは決まりません。

でも、そういう経験しか無いなら仕方ないんです。
条件反射みたいなものです。

こういう風に「おかしなやり方」が露呈するということは
そんな風に考えてしまっていることが分かったということで
決して悪いことではないのです。

だって、それを元に
やり方を、どう変えたら良いか分かるわけですからね。

とはいえ、自分のやり方や考え方を変えるというのは
結構難しいことかもしれません。
特に気持ちがネガティブになっているときなんかは。

なので、部屋の風土作りが大事になってくるのです。
いかにポジティブな空気感を作るか。

気持ちがポジティブになっていないと
今の自分の状況を受け入れて
先に進むなんてできませんから。

気持ちがポジティブなら
いくら失敗したって良いんですよ。
全部成長する材料になるから。

まぁ、そんな理想はあるのですが
彼らも私も人間なわけで
言うほど簡単ではありません。

だからこそ頑張るのですよ。
それこそ正解なんて無いのでしょうけど。

絶滅危惧種を救え!

マジメ君や良い子ちゃんは
ダメな部分を直そうとします。
だって昔からそう言われてきたから。

好きなこととか
得意なことがあっても
ダメな部分を突っ込まれてきたからでしょう。

なので
ダメ出しされるのを嫌がるし
ダメな部分を何とかしようとします。

そうすると
「良くなる」
と信じています。

ダメなところを良くする
つまり
ダメなところを無くそう
とういうのが行動原理だったりします。
どちらかというと
恐怖が動機になりやすい。

何かアイデアを出したり
設計したりするときには
いわゆる「成立性」を求める傾向が強い。

「形にはなってんだけど
セールスポイントが無いねぇ」

こんな結果になりやすくて
やることに時間を掛けます。
なぜって
恐怖が動機になっているので
恐怖から逃れるために
キッチリやる傾向が強いのです。

なので
うまくいっても、こうなることが多い。

「形にはなってんだけど
セールスポイントが無いねぇ。
でも、もう時間が無いからこれで行くか」

残念ながら
やることに時間を掛けちゃうものだから
経験の数が増えなくて
恐怖から逃れる手立ても分からないまま
ということが多いので
恐怖のループから脱出できない。

もちろん
「やらされ感」が強いので
萎縮して視野が狭まって
アイデアは出にくい傾向です。

でも、うまく成長すると
決められたことを
キッチリやるエンジニアになるかもしれませんね。

面白いんか?それ。

余計なお世話ですね。

ところが馬鹿野郎は
どうせ全部キッチリなんてできやしない
と思っていたり
そんなもんでは勝負できない
と思っているフシがあって
人と違うことで勝負したがります。

なので
「ずるい」
と言われることをあまり気にしないというか
むしろそう言われることが快感だったりします。
(卑怯といわれるのは嫌だったりしますが)
たちが悪いです。

どうせ出来が悪くて
周囲から褒められる事なんてないので
皆をを驚かせてやろう!
なんて思ってます。
しょうもないです。

当然怒られることは多いですが
盛り上がることも多いです。

「バカみたいだけど
面白そうだからやってみっか!」

で、もちろんうまく行かないことも多いのですが
そんなのは改善すれば良い話なので
色々やって、色々経験することになります。

「やらなければいけないこと」
よりも
「やりたいこと」
にフォーカスするので
手数が増える傾向があって
必然的に経験の数は増えていって
余計なことをいっぱい知っています。

もちろん世の中には
前者も後者もいていいのです。
というか
両方いないと困るのですが

学校では後者は全く評価されないので
絶対数が少なすぎる。
今や絶滅危惧種です。

夢工房は
そんな絶滅危惧種のワンダーランドでありたい。

技術は人なり…?

イメージの話

何かしらの計画を実行するとき
現状と未来のゴールとが
時間軸で結ばれていて
その線に沿って進んでいく

その過程では
色々やることが計画されていたり
目安が設定されていたり
それらを必要なレベルで達成していき
(いわゆるマイルストーンですね)
ゴールに到達する
という感じでしょうか。

現状と未来のゴールを結んだ線を
未来に向かって進んでいくときには
色々周囲を見渡さないといけません。

多くのアイデアが必要になるし
自分の事ばかりやっているわけにはいかないから。

なので、未来への線を進んでいるときには
視野の広さという「幅」が必要になります。
知識や技術などの「幅」も必要ですね。

その過程では
知識や技術などのレベルも重要になりますね。
熱意も重要です。
これらは言ってみればこれは「高さ」かな。

そんなことを考えると
現状から未来への時間軸上を
テクテク進んでいく過程は
ピッと結んだ単なる直線の上に
所々マイルストーンが置いてある
そんなイメージじゃなくて

未来に向かいながら
幅と広さが変化するのだから
先へ進みながら
広くなったり高くなったりする
立体的なイメージです。
…分かりにくいですね。

ともかく私は
そんな風にイメージして
どんな局面で
どんなことが必要になるかとか
負荷がどう変化するか
なんてことを想像したりしてます。

あと、何か複数のもので構成されたものを計画するとき
何かシステム的なものですね。
そういうときはどうしてますか?

設計されて、ある程度の形になる前には
もちろん「形」はありません。

なので、最初はイメージ図とか
文章とかからスタートするでしょうけど。

そういうのを文章で書いちゃいますか?
箇条書きとか?

そんな時、文章で書いちゃうと
文章の並びなどがイメージを固定してしまうことがあります。
優先順位とか難易度とか
相互の依存関係も分かりにくいですね。

ヘタに固定化して考えちゃうと
発展性がなかったり
問題が解決しなかったりします。
でも、要素相互の関係を変えると思い付くもことありますね。

なので、そんな時はブロック図のようなもので表現するといいですよね。
難しく考える必要はありません。
状態を簡単に表すためなので、簡単に描けないといけません。

要は、四角の中に文字を書いたものを線で繋ぐだけです。

これをポストイットなどでやったりしても良いでしょうね。
書いてから動かして関係を変えられますし。
ノートだと書き直しが必要になりますから。

PCでもできますよ。
思考支援ツールとか
マインドマップとか呼ばれているソフトウェアがあります。

ただこれも、PCは曖昧さを許さないという弱点があって
場合によっては手書きにかなわない部分もあります。

まぁ、今回挙げたイメージは人それぞれだと思うのですが
色々とイメージを広げたり
関係を変えたり
そんなことが結構効いたりしますよ
ということが言いたかったのです。

継続性は重要ですが
常に一本調子で淡々とり続けても
あまりうまくいかないものです。

時として
スピードやパワーが必要になったり
静かに深く潜ったり
その時に応じて変化が必要になりますから。

イメージは、そういう時の助けにもなります。