キミはそこにいるのか?

最近難しいなぁと思っていることがあります。
まぁ、最近に限ったことでもないのですけどね。

この仕事を始めて20数年経ちます。
理系の機械科なんて、言ってみればエンジニアを育てるための仕事なので、その世界を目指すものであれば、大なり小なり夢があるものでした。
「こんなのを作ってみたい」とかね。

それが徐々に無くなってきました。
「夢」が無いってことです。

とはいえ、「これが夢だ」と言えないだけで、心の片隅にやりたいこととか好きなことはあったりするものですが、それも徐々に減っている気がします。

それに加えて、自分がどうすべきか分からない、なんて話も聞く頻度が上がってきた気がします。これは色んなことに対して。

困ったものです。

一体、なぜこんなことになるのだろうな、と考えたり…していません。
たぶんこれ、考えるまでもない、馬鹿げた問題だったりしませんか?
そんな気がするので、こういうのはマズイのかもしれませんが、先入観で判断しちゃってます。

こうなる理由は、自分でゴールを設定したり、やることを判断したり、結果を評価したり、そういう経験がなさ過ぎるためでしょう。
違いますかね?

ゴールは誰かに設定してもらうもの
何をやるかは誰かに決めてもらって指示されるもの
結果は誰かが評価してくれて知らされるもの

自分は決められたことをやるだけ。
自分の肉体はそこにいるけど、思いとか心とか意識とかは関係なくて
「出された問題に対して、正しい答えを出せば良いんだよ!」
ってことなのかな。

それが効率の良い、システマチックな教育ってことなのかな。

でもそれでは、言われたことしかできないですね。
開発とか創造的な仕事できないじゃん。

そんな自分になっちゃうのは、環境のせいであって自分のせいではないですね。
自分のせいではなくて、いつの間にかそうなっちゃていたとしたら、自分でも何がどうなっているのか分からないでしょう。
だとしたら、どうにもならないかもしれません。

原因はともかく、そうなっている自分に対して問題意識を持って、自身のゴールを設定できるなら、何とかなるかもしれません。

大事なことは何だろう?

ちょっと前に記事にしましたが、哲学者カント曰く、徳の無い利己的な行為とかは「悪」なのだそうです。
皆がそれを継続的にやって、社会がうまく回らないようなことは「悪」だと。

うん、なるほど。

確かに利己的な考えや行いは良くない。
誰もその恩恵を受けられないのは当然だし、それは持続不可能だから。
持続不可能なら、最終的には第三者が何とかしなければならなくなる。

で、利己的とは、自分の利益ばかり見てるわけですけど、その「自分」はどこまで考えてるの?というのも重要だよなぁ、なんて考えたりもするのです。

自分自身、ただ一人ってのが基本形でしょうけど、自分が属している組織だけどか、そういうこともあるでしょうね。
組織と言っても、大小あるでしょうけど。

一体どこまで拡大して考えると「徳」に変わってくるのでしょう?

…なんて考えたりもしますけど、まぁ結局は、自己の利益より他の利益を優先するのが「徳」なわけで「善」なわけです。

当たり前で、とてもありがたいことですね。
で、それは大事なこと。

学校では、知識とかスキルとかを身に付けるために学ぶわけですが、それは一体何のためになるの?ってのは、クリティカルに重要なのだと思うのです。
特に我々技術系の人間にとっては。

だって、技術に善悪は無いのですよ。
それをどう使うかによってそれは決まる。
もちろん技術の持つ価値もしかり。

カントの哲学から言うと、自分が食うための技術は「悪」なのだろうか?

そんな気もします。
が、自分が食うためには、対価が必要で、対価を得るためには技術に価値がある必要がある。
その価値は他人が決めるわけで、結局は、どうやって人様を喜ばせるのか?という話になりますね。

となると、人を喜ばせるには何が必要か?とか、そのために技術をどう使うべきか?とか、そういったことが大事になるのですよね。

技術屋さんは、面倒で大変なこととをすることによって、自分がリスクを取ってお客さんを喜ばせたり、驚かせたりするために頑張るわけで、それは「善」だぞ、なんて思ったりもします。

そんなことを考えていると、ものを作るって実に深くて面白いよなぁ、なんて思うのですよね。

そうか、垂直統合か

企業でいえば、1社で生産から流通、販売までをやるとか、そういう形態を指します。

水平統合ってのになると、同業を買収するなどして拡大していくことですね。

分かってはいたけど、そう言い表すとは知らなんだ。
そういえば、そんなワードは以前から聞いていたなぁ。

で、別に事業として垂直統合したいとか、水平統合したいとかではなく、ものづくりの話なのですけどね。

ものを作るとしたら、どういうやり方が性に合ってますか?というお話しなのです。

色々スタイルはありますよ。

例えば、何も無いところから形を考えて模型を作ったりするなら、そういうのを「スクラッチ」って言いますよね。確か英語でもそう言います。

組み立てるだけなら、プラモデルみたいなキットを使うという手もあります。
ただ、マニアックな世界では、単に組むだけでなく、ディテールにとことん拘るとか、色々ですが。

別に何が良いとか悪いとか、そういう話では無く、どの工程からどの工程までをやりたいのかな?何がお好み?とか、どうしたい?って話なのですけどね。
仕事・趣味に限らず。

私なんかは、やはり自分で考えて、作って、使ってみて、と、全部やりたいタイプです。
それが得意とか不得意とかは置いておいて、そういうのが好みです。

そんなふうに、できるだけ自分で作りたいなぁ、という人がいたり、作るのは性に合わないから買うのだ!という人もいるでしょう。

学校でものづくりを教えていたりすると、その辺について言いたいこともありますが、結局はどんなスタイルを採ろうと、目的に合っていれば良いよね、とか、ゴール到達のためにその強みを活かす必要があるなら良いんじゃないの?と思います。

せっかくだから、皆にものを作って欲しいとは思います。
そういった実際に手を動かす経験は極めて重要ですから。

仮に設計者になるのだから、別に製作するのが仕事じゃないよ…となっても、ものを作った経験の数は、仕事の内容に圧倒的な差を生みます。

とはいえ、別に全員に腕自慢になって欲しいとも思っているわけじゃないのです。

学生のうちは、せっかく色々経験できるのだから、上流工程から下流工程まで一通りやってみて、それらをにのようなバランスで力を入れて、一連の経験として組み立てていくかってのができるはずなんですよ。
まぁ、言ってみれば学生のスキルの垂直統合ってところですかね。

で、自分はどういう戦略でいくの?というのを学生のうちに決められたら、社会に出た後は楽しいだろうなぁ、と思ったのです。