お盆に思うこと

このところ、いわゆる初盆ってやつで
春に突然「喪主」になって困惑しながらも
周囲のサポートのおかげで何とかなりながら
気付いたら、めっきり仏教的な世界に入り込んでいます。

当然ながら、そこで目にするもの、触れるものは
仏教的なアイテムが多いわけで。

位牌にはじまり
お鈴(おりん)とか
香炉とか
墓石とか
お寺での法要があれば
それに伴うアイテムたち

木、石、磁器、陶器、真鍮
などでできた品々
仕上げといえば漆ですかね。
まぁ最近はラッカー系の塗料がほとんどでしょうけどね。

ここしばらくは付き合いが希薄だった
それらのアイテムから
何を感じているかというと

やはり
何となく懐かしく馴染むというか

材質や、仕上げ、手触りや音など

それらは我々と1000年以上
ヘタすれば数千年以上も付き合ってきた素材。

一生懸命生きたら
そんな素材でできた
木の箱に入って
磁器の壺に入って
石の下に入っちゃうのだな。

死んでからも結構忙しいな。

まぁ、それまでは頑張ってみるか。

何で勝負する? その6

まぁつまり
自分の価値をどのように定めるか
ということなのですけどね。

散々言っていますが
人の持つ価値は
他人が決めるものです。

既存の尺度はありますけどね。
学校の成績などは最たるものです。
その尺度が何の役に立つのか
というのもありますが…
所詮は他人が決めた物差しですからねぇ。

これなら絶対とか正解
なんてものは無いわけで

自分が信じたものを突き詰める
ってので良いんだよなぁ
と思うのです。

結局のところ
そんな風にのめり込むところから
価値は発生するわけで

だったら
好きなこととか
今、自分がやっていることとか
そういったことにこだわってみる
ってのがベストなのだと思います。

そういう縁とか機会とか
そういうのがあること自体
実はとてもラッキーなわけで。

ヘタに迷ったり考えたりしたって
どうせ正解なんて無いのですから
止まってる暇があったら
動いた方が良いのです。

やれば何かしら分かるし
結果がどうあれ
長い目で見れば損はしないのはもちろん

諦めずに続けていれば
気付いたら凄いことになる

そう思うのです。

どうなりたいのか

自分の将来の理想像をイメージするって
思いのほか大事なのでは?
と思うのです。

大事どころではないな。

だって
何のためにってのが無いってことは
動機が無いってことで

理由が無いことでは
おのずと限界が決まってしまう。
(理由が無いことに関しては
また別の機会に興味深いお話をしましょう)

ただ、どの程度具体的に?
というのは
学生の場合は難しい問題かもしれません。
だって社会に出てないから。

でも、経験が無いってことは
夢を見放題ということでもあるわけで
思い切り高望みして良いと思います。

将来の理想像は一つのゴールなわけで
それが無いと必要なものは見えてこない。

夢を見ましょう!