認知能力と被認知能力

「出来は悪いのだけど何とかしたいぞ!」
という工夫を重ねてきた自分としては
以前から記事にしているとおり

いわゆる「お勉強」のような
形式知よりも

やらないと分からない
暗黙知(経験知)に
重きを置く戦略でやってきたわけです。

もちろん、その時は意識的ではありません。
直感です。

これは結構成功したというか
面白かったわけです。

だって、経験しないと分からないことって
最初はうまくいかないことが多いので
皆が敬遠したりして

結構、やってる人は少なかったりすることもあって
その経験自体に希少性が出てきます。
継続すればなおさらです。

そういうのって優位性にしやすいですからね。

希少性や優位性を持てる事自体が
満足感を得られる元になったりもしますし。

さて、形式知とか暗黙知ってのは
要は知識なわけですが

知識は使うためにあるわけで
そのためには「能力」が必要になります。

学校で習得したり、養われるのは
記憶力とか
言語理解力とか
論理的思考力とかですかね。

こういうのを「認知能力」といいます。
知能検査とか学力で測れる「力」ですね。

これらは、授業で教えたりできます。

それに対して「被認知能力」というのがあります。
私の大好きなヤツです。

これは…

人間関係を構築する力とか
自己管理能力とか
責任感や協調性
想像力やモチベーションなんかが含まれます。

ここで言うのは「能力」ですから
知識として理解するこだけではダメで
できないとイカンわけです。

これらは
失敗を恐れずにチャレンジして
うまくいかない失敗から学んだり
諦めずに工夫したりして乗り越えたり
仲間と力を合わせてジタバタしたり
感情を含めたアウトプットに対するフィードバックから学んだり

そんな風に、実体験として経験しながらでないと得られないものばかりで
こういった能力は、授業では養えません。

ですが
こういうのを軽視しすぎではないかな
と思うのです。

これらは言ってみれば
生きるために重要な能力でもありますが

数値化して評価しにくいですから
学校では授業科目にできません。

レベルが上がったところで
お受験には一切役に立ちません。

ところが!

認知能力は大事な能力ですが
そもそも、それを実際に使う際には
被認知能力が必要なのです。

なので、被認知能力が養われていなければ
「知っているけどできない」
ということになる。
そりゃ当然ですね。

逆に
被認知能力ばかりが成長しちゃうとどうなのか?

恐らく、そちらはあまり心配要りません。

なぜかというと
被認知能力が高まると
認知能力が欲しくなるからです。