権利と義務と責任と

我々は様々な権利を持っています。
そして、その権利を行使する自由を持っています。

自由に権利を行使して
後悔の無いように
やりたいことをやったら良いと思います。

自由には責任が伴う
と言うじゃありませんか

まぁ、まさにその通りで
大抵は、責任とか義務とかがセットで付いてきます。

興味深いのは
権利を行使するときに

それによってできること
にフォーカスする人と

それに伴う義務とか責任
にフォーカスする人がいます

まぁ、内容にもよるとは思いますが
そういった傾向はあります。

これ、簡単に言うと

自分ができること

自分がやらなければいけないこと
(言ってみれば、やらされること)

そのいずれかにフォーカスする傾向があるということです。

そういうのって志向とか習慣とか
そういうものなのでしょうけど

義務とか責任を、やりたいこととを秤にかけて
割に合うとか、自分が得するとか
ということになると、やるのでしょう。

気持ちは分かります。
そういうタイプは
堅実だ
とか
賢い
とか言われるのかもしれません。

反射的に反応して
義務や責任を回避する人もいるかもしれませんが。

私などは、あまり賢いタイプではないので
「秤にかける」みたいな難しいことをする前に
やりたいこととかチャンスに手を伸ばしちゃうのですけどね。
あ、これも反射的ですね。

そういう考え方というか、価値観というか
それは
チャレンジと、それに伴うリスク
に対する姿勢にも通じるものがあると思います。

責任やリスクが伴わないようなことをやったところで
恐らくあまり面白くありません。

価値があったり面白かったりするのは
常に面倒な方で、リスクがある方です。

レーシングカーを作る
なんても最たるもので
面白さと大変さと権利と義務と責任とが
渦巻いているような世界です。

凄く面倒だけど
凄く面白い。

そんなことを意識して生活してみるだけでも
ちょっと面白い日常になったりしますし
何か発見があるかもしれませんよ。

そう思うのですが、どうでしょうね。


キミは完璧か?

完璧じゃないよね。
完璧だったら学校行ってないもの。

人間死ぬまで完璧になんてなりませんけどね。
でも、今のままじゃ満足いかんのですよね。

夢工房の学生達も
全く完璧じゃありません。

むしろ、コロナ禍でリセットがかかったような状態からの再スタートなので
ジタバタもがいてます。

そういう状態でも、理想は高く!
それが大事。

ゴールを低くセットして妥協し始めたらキリがありません。

でも、理想を高く設定すると
なかなか上手くいきません。
そりゃそうだ。

で、多くの場合、どういったことが起きるか…

学校教育は、正解不正解の世界です。
そんな環境で長年やってきたら

アイデアを出すのだって
設計するのだって
「正解を出さなきゃ!」
「完璧にしなきゃ!」
みたいな考え方をします。

すると
何もできなくなっちゃうのですよ。

だって、不正解を出すのなんてイヤですから
アウトプットできない。

でも、経験の無いことをやっているのだし
まして、世に無い新しいものを作っているのだから
いきなり完璧なものなんてできるわけないのです。

なので
延々と考え続けるとか
思考停止するとか
そんなことになります。

そうなると開発は止まって
間に合わない
という最悪の事象が発生します。

それは最悪です。
プロジェクトの「死」です。

では、どうしましょうか?

まずは考えましょう。
でも、考えて良い時間を見積もった上で。
ダラダラと延々とはダメ。

そして、ダメでも良いからアウトプットしましょう。
沢山アウトプットしましょう。
すると、何がダメなのか分かります。

これ、学生には難しいことです。
正解じゃ無いことを承知でアウトプットするのは悪い子ですから。

でも、良いのです。

だって、分からないものは仕方ない。

でも
考えないで聞く
というのは最悪です。

考えずに楽に手に入れた情報は
あまり役に立ちません。

成長というのは
現状から変化する
ということですから

ダメでも良いので現状の考えをアウトプットして
それに対する評価を元に
考え方を変える

そうやっていけば成長できます。

大事なのは
正解を出すことでは無く
できる自分に変化していくことです。

「思い」が「考え方」を決めます。
「考え方」が「行動」を決めて
それによって「結果」が決まります。

これらの根源の部分の
「思い」とか「考え方」
それらを変化させることが最重要。

知識とかスキルは
知りたい!
できるようになりたい!
という気持ちが
「思い」があれば行動しますので
手に入ります。

これを凄いスピードでやれば
「できる自分」に変化していくことができます。

ちょっとずつの変化を
凄いスピードで回していく

これです。
いっぺんに大きく変化するのはとても難しいですが
これが継続できれば、大抵は凄いことになります。

現に、今いる1年生達は入学してから4ヶ月。
彼ら自身は、納得いく開発レベルとスピードになっていないと思っているでしょう。
遅れることも失敗することも多々あります。

しかし、普通は4ヶ月で
これだけのことができるようにはならないと思います。
知識やスキルはもちろん
メンタルタフネスだって
何もしない1年生に比べたら
そりゃぁもう大したものです。

これを4年間継続できたら…
凄いことが起きます。

そう、やればできるのです。
どうやるかが問題です。

「教える」について

昔ながらの職人さんは
弟子に教えません。

技を盗む
という方法で技術を継承してきました。

この方法にはメリットもデメリットもあるでしょう。

メリットについては深読みすれば
いくらでもネタは出てきます。

これは思い込みとか勘違いかもしれませんが
結局は親方と同じ
もしくは親方より良いものができれば良いわけで
詳細な方法は問わない
というところがあるのではないかな
と思っています。

親方がいちいち教えていると
弟子は自ら考える必要は無く
言われた通りにしかできなくなる可能性があります。

デメリットは
分かりにくい
ってところでしょうか。

学校では
「こうやるんだよ」
と教えます。

で、それを覚えれば良い。

もちろん
この方法にもメリットとデメリットがあります。

簡単に知ることができる
というのは最大のメリットでしょう。

でもそれは
最大のデメリットでもあるのです。

自分の興味の有無にかかわらず
情報が提供される

よって、興味を持つ必要が無いのです。
言われたことをやれば良いのですから。

従順に従うことも求められます。
やることに対して疑いを持つのは悪い子で
従わなければ点数はもらえません。

これ
考えなくなる
ってことです。

「やれ」と言われてやるのだから
理由も目標も興味も無くて良い。
むしろそんなものは邪魔でしょう。

そんなやり方を
小学校から大学まで
16年間もやったら
それはもう、そのやり方から簡単には抜け出せないでしょう。

挙げ句の果てには
就活セミナーやらで
さらに言われたことをやる

これは本当に社会が求める教育なのでしょうか?

言われたこと疑問を持たずに
覚えたりやったりする
それが上手にできるのが理想の技術者?

そんなことはない。

この構造は
我々年長者が良かれと思って作ってきたわけですが…
いや、私は作ってはいませんが
現状を継続する片棒は担いでいますので
責任はあると思っています。

でも、この構造に従っているとマズイぞ
と気付いたとしたら
それを継続するか否かは本人の決定によります。

まぁ、これに関しては
誰が責任を取れるわけでもないのですが

このままじゃ行き詰まるのは確定していませんかね?
というのが今回言いたいこと。

どうするのが正解かなんて、未来のことは分かりませんが
自分で考えて、信じることを一所懸命やってみる
なんてのは、いつの世でも価値のあることです。