教育の限界…なのか?

というのは大げさで
ちょっと表現に問題があるかもしれません。

何が言いたいのかというと

「教える」
によって
「やる」

一般的にこれが教育だと認識されていますよね。
これだと、言われたらやるってことになりがちです。

とっもお勉強ができる皆さんは
学ぶ事自体が楽しかったり、それが喜びに直結するというか
私などには計り知れない領域に生きているので
ちょっと想像着かないのですが

世の中、そんな人ばかりではなくて
というか
ほとんどは、そんな人ではありません。

じゃ、どんな人?

できれば勉強したくなくて
やれって言われたら仕方なくやる
やらないと卒業できなかったりするから仕方なくやる
卒業できないとまともな職に就けない(と思っている)からやる

そんな感じでしょう。
まぁ、科目とかにもよるのでしょうけど。

で、言われたら渋々やるのでしょうけど
それはもう、小さい頃から言われ続けてるわけですよ。

言われるからこそ嫌になる
ってのはあると思いますが。

どう考えても
本人が望んでいないやり方であって
そんなやり方で頭に入れたものが
どれだけ役に立つんだ?
と思っちゃうのですよ。

そもそも、本人が必要と思ってもいない知識を
テストやら単位やらのために暗記するようなものを
学びとか教育とか言っていて良いのでしょうか?

教育は
教え育むって書きますが
本当に育まれててんの?
って思っちゃいいます。

そういうのもあっても良いとは思うのですが
自分が本当に必要だと思うものを
自力で掴みに行って試すとか
そういう機会がほとんど見当たらないのですが
そういうのが無くても良いのでしょうか?

というのも
仕事をしながら必要な知識を得ていく時って
自分にとっての不足を認識して
自分が本当に欲しいと思うものを
自力で掴みに行くわけで
そうやって得た知識とか技術って忘れませんよね。
何より、学んだものがすぐに役に立つって面白いですしね。

そんなのが本当の勉強だと思うのですが
どうでしょう?

そんな風に問題を感じていたりするのですが
もっと大きな問題もあるのですよ。

言われたことばかりやっている人って
自分から進んでやるってことができなくなっちゃいますよね。

これ、学生だと理解できないかもしれません。
それが日常だから。

でも、仕事をしている人なら誰でも分かるでしょう。
言われたことしかしなかったら、それはアルバイトですものね。

言われたことをやる経験しか無い学生が
将来は開発の仕事をやりたい
そのために頑張って勉強します!
なんて言ってたりすると、ちょっと切なくなります。

もちろん、会社に入って開眼する人もいるのですが
中には、言われたことはしっかりやろうとするのだけど
言われたことしかできないって人がいるわけで
そんな人は学校で最高の評価を得ていたりするわけです。
「君は完璧だ」と。

でも、受け入れる会社側からしてみれば
大学、大学院を卒業して、高い基本給払ってんのに
言われたことしかできないって…なんだよ、それ!?
ってなるでしょうね。

これ、どうするんですかね?
誰も得しないし
誰も責任取りませんね。

なんか歯車がかみ合ってないというか
ボタンが掛け違っているというか
世の中頭の良い人がいっぱいいるはずなのに
なんでこんなことになっちゃうのでしょうね。

と思うのは自分だけで
実は、そういうニーズが沢山あったり…しませんよ。

でも、この状態はまんざらでも無かったりするのですけどね。

だって、夢工房で解決できそうでしょう?
まぁ、簡単にいかないのは分かってますけどね。

でもたぶん
似たような思いを持ってる人が沢山いると思うんですよ。
で、そのうち凄い勢いで動くんじゃないかと。