限界のお話し

特段大きな困難に遭遇したことがなければ
これまで遭遇した経験の最大値が
自分にとっての限界ということになるのでしょうね。

これは喜びも恐怖も同様だと思いますが。

何が言いたいかというと…

困難とか失敗とかを避けてきたり
壁を突き抜けた喜びを知らなければ
低い次元でフラフラし続けるのだろうなぁ

なんて思ったのです。
まぁ、私ごときが何言ってんだ、というのもありますが
当然と言えば当然ですよね。

バイクやクルマに乗っていても同様ですよね。
限界を超えた時のリスクが大きいので
公道で限界を試すのはお勧めしませんが
サーキットで走っていたりすると実感します。

限界に近づくのは怖いのですが
自分のパフォーマンスが低い時って
限界までの距離感が分からないもんだから
どこまで行けるか分からなくて
速く走れないわけです。

で、練習を重ねていって
滑ったり転んだり
時には怪我をしたり
マシンを壊したりしながら
「あぁ、ここまでは行けるんだな」
って感じで限界を掴んでいきます。

問題は
限界は見えない
ってことです。

なので
リスクを取らない幼少期を送ってきたりすると
失敗や困難という限界突破の経験が無いものだから
どこまで行けるか分からなくて
早々に諦めてしまう
なんてことが起きるのでしょうね。

また、限界への接近や突破によって
パフォーマンスは向上するわけで
やはり諦めずに頑張るってのは大事なんですよね。

幼少の頃に大事に保護されて育つと
子供の頃はリスクが無くて良いのだろうけど
独り立ちして社会に出て
酷いことになっちゃうのは仕方ないよなぁ
なんて思うのです。

頭に知識を入れるのは
リスクを伴わないでしょうけど
それを使う段になると
そういうわけにはいきませんものね。

私なんかは
頭に知識を入れる手間と時間によって
機会を失うのがリスクだったわけで
「知る」より「やる」に特化した路線だった…

なんてのは、酷い言い訳ですね。

まぁ、何でも良いので頑張ってみましょう。

一番大事なこと

何かをする上で、一番大事なことは何か?
なんて話がありますね。
ビギナーが良くする質問です。

気持ちは分かります。
「答え」が欲しいのですよね。

良く言われるのは専門知識とかスキルとかですが
その前提となるものは語られなかったりします。

大事なのはパッションです。
明確な、定型的な答えなんて無いと思います。

そんなのがあったら
「じゃ、この本を読めば全てOKだよ!」
ということになるでしょうけど
決してそんなことはありません。

もちろん知識とかスキルは重要です。
それらを会得すべきです。

でも、その先はどうするのですか?

皆が同じことを知って
同じことができるようになって
その先はどうしますか?

もっと凄いことを
とか
もっと面白く
なんて考え始めると
「皆と同じ」という枠から出る必要があるわけで
結局は「自分ならでは」という領域に
行く必要があることに気付くでしょう。

その領域に行くには
好きなことを一所懸命やるとか
やるからには面白くなるように工夫するとか
何かしら熱意を持って前に進めるような状態にするしかないのではないかな
と思っています。

熱意さえあれば、知識やスキルは何とか手に入れようとしますものね。

そんな風にやっていって見えたり気付いたりした
「一番大事なこと」は
人それぞれ違うってことになるわけで
それを知っておくのは大事なことかもしれませんが
結局は、オリジナルで行くことになるのではないかな。

陰陽という考え方

良い出来事と、困難な出来事
これらはセットになっていて
どちらか片方だけ手に入れる
というわけにはいかないようです。

陰があれば陽がある
といった感じですね。
自然の摂理です。

何か大きなことを成し遂げた人はもちろん
そうでない人だって
大抵は、これらのセットの両方を経験します。

困難な出来事を通り抜けたならば
何か良いことが得られる
ということです。

さらに言うなら
陰の大きさに応じて陽の大きさが決まる
という関係もあると思っています。

大きなことを成し遂げた人の多くは
何かしらの困難をくぐり抜けた人です。

もっとも、ご本人がそれを
どう思っていたかは分かりません。
多くの人にとっての困難を
困難と感じていなかったかもしれません。

というのも、困難な経験方見えてくることや気付くことがあって
それが未来に役に立つようになっているからです。

私程度の人間だって、そういう経験はあります。
なので、それは間違いないと言えます。

ただし、ここには注意点があって
降りかかってきた事象に対して
「大変だけど、これを乗り越えたら、きっと良いことあるんだろうな」
というように
未来を信じるというか
そういう姿勢は大事で

降りかかってきた事象に対して
逃げるとか、文句を言って呪うような姿勢に対して
良いことが起きるなんてことはありません。

教科書などから得られる知識や
物質的なもののみを信じる人って
良いことばかりで人生を形作れる
と勘違いしているのではないかな。

確かに相手が物体であれば
好きな方だけチョイスすると言うこともできるでしょう。

でも、人生はそうは行きません。
どちらか一方だけ手に入れようとするのは無理だし、不自然です。

往々にして、そういう人は利己的だったりして
困難なことや、不運なことに遭遇すると
強烈に感情が反応したりするのではないか
なんて思っています。
文句ばかり言いますものね。

果たして、そんな人のところにチャンスが放られるか
というと…そんなことは言うまでも無いですね。

チャンスを放る方の身になってみれば
一目瞭然。考えるまでもありません。

チャンスなんて自力で作るから大丈夫だって?

無理無理。
人は社会で生きているのですから。

思えば私なんて、ダメでバカなガキだったのですが
色んな人のお陰で、色んな経験をさせてもらって
ちょっとだけこんなことが見えてきたわけで

レベル的にはまだまだなのですが
見えてきたことはシェアしないとな
なんて思っている次第です。