2023年オーストラリアツーリングに向けての話

毎日のネタが偏り過ぎな気がしますので、オーストラリア縦断ツーリングのネタでもいってみましょうか。
以前の投稿と内容の重複がありますが、今回は、以前のオーストラリアツーリングはどんな段取りで計画を進めたのかというところから、次回の計画までを何回かに分けてお話ししましょう。
実は自分のための備忘録だったりもするのですが。

思い返せば、そもそもオーストラリアをバイクで縦断したいと思いはじめたのは、2011年頃だったような気がします。
大陸横断なんて夢があるじゃないですか。

で、オーストラリア縦断といえば、南のアデレードから北のダーウィンを結ぶスチュアート・ハイウェイでしょう!
というわけで、いつかこのルートを走れないかな、と何年もチマチマ計画していました。
なんたって休みの日数は限られてますからね。行き当たりばったりとはいきません。

オーストラリアを立てに貫くスチュアート・ハイウェイで約3,000km

大陸縦断3,000kmというと、ちょと凄い距離のような気がしますが、何と我が国の九州南端の佐多岬から、北海道北端の宗谷岬までがほぼ同じ距離なのです。

最南端から最北端まで約3,000km
ちなみに私が住んでる埼玉県は、その真ん中だったりします

ちょっとビックリですが、まぁ距離だけで言うならそういうことになります。
とはいえ、日本はどこもかしこも人が住んでいるので、色んな意味で不便は無いのです。
対してオーストラリアは、衛星写真を見ても分かるように、人が住んでいるのは周辺の緑の部分で、アウトバックと呼ばれる中央部の砂漠地帯はほとんど人が住んでいませんし、環境も厳しい。
なかなかアドベンチャーな感じがするでしょう?
こういうのをやってみたかったのです。

ずいぶん長いこと企画を温めていたのですが、2019年に突然実行に移しました。
その年の年末に行って、年越しです。
なぜ急に思い立ったのか、その時の心境は覚えていません。そういうのにあまり拘らないたちなので。

まずはオーストラリアの往復の飛行機を予約をしたのですが、これは同年の7月末。
出発の5ヶ月前です。
ちなみに、マイレージを利用したので飛行機はタダみたいなものです。

なぜ飛行機から予約したかというと、バイクを予約しても現地に行けなければツーリングはできないからです。当たり前ですが。
最悪の場合、バイクが借りられなくてもレンタカーで動くという手もありますから。

で、飛行機の予約をしたということは、現地でどのように移動するかというプランが大方決まっていたわけです。
実はかなり前から、それこそこのプランを思い付いた2011年頃から暇なときにチマチマ調べてルート設計していたのです。
どこに宿があるとか、毎日何キロ走るとか、そんなことです。
何せ休日の日数には限りがありますので、その日数で実現可能かが最重要でした。

この時に押さえたのは、12月27日に成田発で、上海経由で28日にメルボルンに着く往路便と、1月5日にメルボルンを出て、同じく上海経由で1月6日に成田に着く便でした。

これでオーストラリア往復の便は確保できたので、直後にゴールのダーウィンからメルボルンへの国内便を押さえる前に、バイクの予約を入れました。

その3日後にバイクのレンタル会社から驚きの連絡が入ります。
この季節は北部が雨期で道路が寸断される可能性があるため、縦断ルートではバイクを貸せないとのこと。
そこから数日は、せめてエアーズロックの北のアリススプリングスまではどうか?とか交渉をしたのだけどダメでした。

慌てて計画変更です。

続く

拡散的な思考と収束的な思考

広いところ、大きいところを見るような考え方と
狭いところを深掘りするような考え方
どうやらこの2つは
脳の違う部分を使って考えているようです。

体の輪切り画像を取得できる
MRIという医療用の装置がありますが
アレの脳ミソ版のfMRI(functional magnetic resonance imaging)
というのを使うと
どういう思考をしているときに
脳のどの部分を使っているかが分かるそうな。

それによると…

広いところを、大きいところを見るような
考え方をするときに使う脳の部位で処理されるのは
創造的な思考とか直感的なものとか
潜在的なとか
内発的なものとか
そういうものが処理されます。
いわゆる拡散的な思考です。

狭いところを深掘りするときに使う部位では
理論的な思考とか最適化とか
顕在的なとか
外発的なもの
そういうものが処理されます。
こっちは収束的な思考です。

これらはいずれも大事なわけですが
どうやら学校で鍛えるのは
狭いところを深掘りする後者に偏っていますね。

で!ですよ

前者の拡散的な思考ですが
これは学校では教えにくいのですよ。
答えが無いし
教科書にしにくいでしょう?そういうの。
そしてそういうのって
指示命令によってやらせることも困難です。
もちろん、そんなのを教えたり評価したりできる人間を
育成することも困難です。

この領域を伸ばすには
好きなことを頑張る
くらいしか方法が無いと思うのですが

拡散的な思考が得意な若者を
伸ばしてあげる教育の場はほとんどありません。

自分の資質に合わせた方向を選択する余地がない
という環境は残念です。

選べるのはせいぜい
理系か文系か。

そうじゃないんだって!
って感じですね。

皆さんご想像の通り
脳みそだろうが体であろうが
使わなければ成長しません。

もちろん若いうちに使えば
成長は早いでしょうね。

現状がこうなっちゃっているのは仕方ないわけで
文句を言っても誰もケアしてくれませんし
何より時間がもったいない。
なので、工夫して、できることをやりましょう。

私なんかは
偉そうにこんなこと言ってる割には
結構アンバランスな人間で

拡散的な思考どころか
考えがどんどん発散しちゃって
どうすんだ、それ?
みたいなことに…ならないように努力しなきゃ(笑)


人が悩むとき

人が悩む原因の大半は
人間関係だと言います。

もちろん、自分と他人との関係です。

この人間関係は大変難しいものです。

良好な関係を構築して
それをキープしていくのは
大なり小なり労力や気配りが必要で
時として難しかったり面倒だったり
ということもあるでしょう。

それが面倒だからと
他人との関係を切ってしまったり
自分のことばかり考えて
自分のためのことばかりやっていたりすると
当然ながら孤立するわけで
これでは生きるのが難しくなります。

そもそも最初から孤立していて
より孤立したことにも
気付かなかったりすることもあるかもしれません。

なので、皮肉なことではあるのですが
自分のことばかり考えていると
結局は自分のためにはならない
ということになりますね。

じゃぁどうしたらいいのかというと
結局は
他への貢献と感謝
これしか無いと思います。

人の存在意義とか価値は
これで決まります。

自分がどれだけハッピーになれるか
というのとほぼ同義です。

他にあるなら聞かせて欲しい。

肉親などであれば
「いてくれるだけで価値がある」
というようなことになりますが
他人であればそうはいきません。

技術を学ぶ者であれば
その技術を使って他に貢献するために学んでいるのです。
「自分が知っているだけ」では
何の価値もありません。

この話、当たり前の内容で
分かっている人にとっては
「何を今さら」
といった感じでしょうけど
そうで無い人もいるでしょう。

私なんかは、まるっきり分かっていなかったクチです。
今は、ちょっぴり理解しているけれど
十分にできているわけではありません。

他への貢献と感謝

意外なほど労力や勇気を要します。
でも、本当の価値はそこにしか無い。