徳は本なり、財は末なり

カネとかモノに強く執着していると…
これは、それらをゴールとしていると
という意味ですが
それで幸せになれるのか
といえば、そうでもないであろうことは
きっと誰でも思うことではないかな。

でも、現実はどうか?
自分はどうなっているのか?
社会の空気感はどうだろう?

「徳は本なり、財は末なり」
という言葉があります。
原典に興味があったら検索すれば簡単に分かりますが。

簡単に言うと
「得がある人になれば、財産は着いてくるもんだよ」
という意味です。

逆に
「徳が無いのに直接的に財を求めても
それは身に付かないものだよ」
ということでもあります。

全くもってその通りだとと思います。

まぁ私の場合は大して徳が高くないので
ビンボーなままなわけですが。

私は、今でこそ大学の先生なんてやらせて頂いてますが
職歴を辿れば、職人をやっていたりした時期もあったり
プータローも経験していたりして
学生時代にレースをやっているときなんかは
時代が時代だったので
ヤバめなスジの凄まじくお金持ちなスポンサーさんと
接する機会を頂いたりもして
色んな立場で色んな人と接する機会を頂けました。

とはいえ
世の中にはまだまだ幅広い経験を持つ人が
ゴマンといるわけで
こんなのは大したことない方だと思います。

でも、お金に関しては少々分かったことがあって
それがまさに
「徳は本なり、財は末なり」
だったのです。

強烈にお金を求めた結果
短期的に凄まじい財産を手に入れて
その後、消息不明になる
なんて知り合いもいました。

これは極端な例ですけど
パワフルにお金を追い求めれば
何とかならないこともない
ということですね。
でも、そういうのは身に付かないようです。
あまり幸せそうでもありませんでしたし。

人格的に素晴らしくて
立派な仕事をされている方は
やはり相応の財を成していますよね。

そのようなケースは
価値のある人そのものに
「財が着いてくる」
といった感じなのでしょうね。

生きるのに困るほど経済的に困窮していたら
それはもう徳だのなんだの言っている場合では無くて
直接的に生きるためのリソースを
求めるしかなくなるかもしれません。

でも、そうであってもそうでなくても
日々徳を積むような生き方をしていれば
他人が必要としてくれるわけで
それこそが価値の根源になりえるわけです。

と、言うのは簡単なのですが
実践するのは難しいですね。

やはり手強いのは自分自身ですね。
自分自身を御するというのは難しいことです。
分かっていてもできないことだらけ。

ついつい手を抜いてしまいがち。
なかなかうまくいかないしね。

「もういいかな」
なんて思うこともしょっちゅう。

だけどここで
考えるのをやめたり
ちっちゃな努力をやめたりしたら
それこそ無価値街道まっしぐらです。

難しいのだけど
日々ちょっとずつでも何とかしないとな
と思いながら過ごしています。