ポジティブ思考とネガティブ思考の狭間には

自分がポジティブな思考をできているかは良く分かりません。
何に対して?どの程度?
というのもありますし。

でも、なるべくポジティブな考え方をしようとはしています。

とはいえ、何でもかんでもストレートにポジティブに考えられるかというと
決してそんなことは無かったりすると思うのです。

分かりにくいですね。

例えば
何か失敗したとします。
別に小さな失敗でも大きな失敗でも良いのですが
その際に、やってしまったことや結果に対して
全くネガティブな感情を持たないかというと
決してそんなことは無いのです。

そこには小さな後悔ののようなものが芽生えるのですが
その時にどう考えるかが重要だと思っています。

「あー、やっちゃったな」
のあとは
「じゃ、次はこうしよう!」
です。

そうしたら、その小さな後悔はお終いです。
だって、次のアクションが確定しているのだから。
それでうまく行くかどうかはやってみないと分からないので
それまでは悩む事自体が無駄です。

それで頭の中を占有していた領域はリセットされるので
他のことを考えたり
他のことをやったりできます。

いわゆるネガティブ思考の人って
たぶんこの「小さな後悔」にフォーカスして
引きずってませんか?

それが頭の中の広い領域を支配し続けて
他のことが手に付かないとか
そういうことになっていて

「次はどうするか」
を考えるどころではなくなって
「できればやりたくない」
みたいなことになっちゃうのではないでしょうか。

もちろん、自身にそういう経験があるから
こんな想像をしているわけですが。

なので気持ちは分かるのですが
こういうネガティブ思考って
人生の無駄遣いをしている気がします。

だってね
「小さな後悔」
をどれだけパワフルに考えると
それは良いことに繋がるのですか?
何がどれだけ良くなるのですか?

それ、脱出口がないので
グルグルループしちゃって
何も良くならないでしょう。

だって「悩み」って
自分の中だけの問題ではなく
外側、つまり他人が関係するものでしょう?

自分の頭の中だけでループしちゃってるなら
決して解決しませんよね。
グルグルしちゃって外に出ないのに
外のものが変わるわけないから。

そしてもう一つ

そんなあなたを必ず誰かが見ていたりするのです。
で、どう見えるでしょうね。
期待を掛ける価値があるように見えるでしょうか?

「失敗するよりはマシだよ」
って?

そんなことはありません。

失敗しながらも
工夫をしながら動き続ける者には期待ができます。
いつかうまくいくかもしれないから。

もちろん
「じゃ、次はこうしよう!」
を考えて、やってみても
うまく行く保証はありません。

けど、前と違ったことをやれば
前と違った結果になります。
それはやらないと分からないことです。

そして、それを諦めずにやっていけば
そのうちうまくいくかもしれません。

「私は天才ではない
成功するまで諦めなかっただけだ」

みたいな名言がありましたよね。
確かにその通りだと思います。

そんなふうにやっていくと
経験がどんどん増えていって
できることがどんどん増えていきます。
やればやるほど
うまくいく可能性が上がります。

悩み続ける人は
そのうち何かに気付くかもしれませんが
悩んでいる間は何もできないままです。
ひどい言い方かもしれませんが。

「好きで悩んでるわけじゃない」

そうですか。
本当は悩みたくて悩んでるんじゃないの?
好きじゃなかったら悩むの止めたらいいですよ。

そんな言い方、ひどいですか?

モチベーションのお話し

モチベーションが低い人は
どうやったら高い人に変われるのでしょう。

これは長いこと課題でした。
もちろん今も最重要の課題なのですけど
難しい問題です。

好不調の波によって
たまたまモチベーションが低下している場合などは
対応が簡単なのですが
そもそもモチベーションが低い人の場合は
一体どうしたものでしょう。

何とか出来たら良いのですが
どうにもならんのかな
とも思います。

だって、そもそもモチベーションが低い人って
自ら望んでそういう情況になっているわけですよね。
違いますか?

話をしていても、そう感じてしまうのです。

前職で部下の悩みの相談に乗っていた時に
悩みの根源にある問題を掘り下げていくと
どうも好き好んでそういう情況に突入しているのだなぁ
と感じることが多かったのです。

そう!
好き好んでそうなっている可能性が大きいのだと思うのですが
どうなのでしょう?
ひょっとしたら本人も意識していないかもしれませんが。

だって、話をしていても
そもそも現状を変える気が感じられなかったりして。

まぁ、私みたいなタイプと話すと
そうなっちゃうのかもしれませんが。

この問題を掘り下げていくと
心理カウンセラーの領域に行っちゃうと思うのですが
その辺も少しは理解しないとなぁ
なんて思ってはいますが
そっちに行き過ぎちゃっても
それはちょっと違うのかなぁ
とも思っています。

結局何が言いたいかというと

自分の情況なんて自力でいくらでも変えられるのに
若いならなおさらなのに
なんて勿体ないことをしてるのだろう。

ということなんですよ。

自由が欲しくないのかな。
自由って面倒くさいですからね。
自分で決めて、自分でやらなきゃいけないから。

本当に面白いものは
その中にしか無いのですけどね。

面倒なことや大変なことはやりたくないけど
やり甲斐とか面白さは欲しいとか
そんなジレンマにいるってことなのかな。

だとしたら
そういう情況を自分で作っているってことで
だったら違う情況を自分で作るだけ
という話だと思うのですけど
人の心は難しいですね。

「変えろ!」
ったって変わるわけじゃないでしょうから
やはり環境の影響とかが大きいのだと思います。

幸いにして夢工房は
比較的モチベーションの高い連中が集まっているので
それをさらに高める環境作りに邁進しましょう。

技術と心

昨年亡くなられた京セラ創業者の稲盛和夫さんといえば
生前「利他の心」の大切さを説いていました。

もうずいぶん前のことですが
経営の神様のような稲盛さんの著書を読んでいて
「これだ!」
と思いました。

このワードで
仕事に関するモヤモヤがスッキリしたことを思い出します。

利他心って物事がうまくいく原理原則ですから。

会社の経営のみならず
我々皆が心がければ
あらゆることがうまくいくに決まっています。

「自分が食うために」やっている利己的な仕事は
うまくいかないに決まっているでしょう。

そんなことは
その仕事の成果を受け取る側になって考えてみれば
当たり前の話なのです。

そんな当たり前のことを
仕事をする側も
その成果を受け取る側も
気付いていなかったりするのです。

ストレスが溜まる職場は
大抵が利己的な価値観が充満していたりするものです。
自己の利益とか保身とか。

技術を学ぶ大学で言うなら
技術は他を利するためにある
こう考えて良いと思います。

これまた当然のことです。
人の利とならない
つまり人の役に立たない技術なんて
存在価値は無いですから。

こんな先行きの読めない時代になると
不安や恐怖から
ついつい自己の保身を動機とした
考え方や行動を取りがちになるかもしれません。

でも、人は自分で自分を守れません。
自分を守るためのリソースは
自分では作れないのです。

社会で生きるとはそういうことでしょう。

仮に
本気で自分を守るために
独力で原爆を作ったら破滅しますし

自分が最大限に楽で儲かるような仕事をしょうとしたら
うまくいかないことは目に見えているでしょう。

利他心で行動するからこそ
結果として価値が認められたりするわけですよね。

では、教育機関はどうあるべきか。

まずはお勉強をして、後に心を…
というアプローチはたぶん難しいのではないか
と思っています。

本当は
まずは心を…
が理想なのでしょうけど
今やそういうご時世ではないようです。
多くが目に見えるものしか信じませんから。

でも、その「目に見えるもの」は
心が作り出しているのですけどね。

なので夢工房では
チャレンジを通して
心と技術を同時に学ぶようにしたいのです。

それこそがチャレンジかもしれませんが。