良い環境って何だ?

これも連載ネタみたいになってますね。
前回はこんな記事でした。

人材育成において
環境は絶大な影響があるのは間違いありません。

一口に「環境」とは言っても
様々な要素がありますし
正解も無い。

もちろん設定するゴールによって
必要な要素は変わってくるかもしれませんし
そこに集まる人そのものに起因することにもよるでしょう。

でも恐らく間違いないのは
ワクワクする環境であること
たぶんこれは最も重要です。

だって、それによって成果が出るのだから。

この「ワクワクする感情・感覚」は
一体何なのか
一体何によって生み出されるものなのか
それが問題です。

ワクワクする(だろうと想像する)環境をあらかじめ作っておいて
単にそこに人を投入すればいいかというと
そんな単純なことでは無いようです。
これは経験上分かりました。

モノがあるとかカネがあるとか
そんなことによるワクワク感は一時的で
それで成果が出る保証もありません。

やはり、学生自ら環境を作っていくような経験が重要なのだと思います。

大事なのは
他から「やらされる」ことではなく
自ら「やる」ことです。
自らやって、できたという感覚です。

あとは適切な高さのハードルですね。
「労せずに」というのはナシです。

これは、学生自身が望むなら
高ければ高い方が良いと思っています。

ただ、自身でそんなハードルをセットするということは
その時点でワクワクしていなければ無理ですし
そこでチャレンジするわけですから
失敗が許容される必要があります。

もっとも
失敗しないと成長しないので
これは必須です。

ありがちなケースとして
高い目標を望む若者に対して
年長者が
「そんなのできるわけないだろ」
なんて言ったりしますが
それは最悪です。

多くの場合それは
相手のためでは無く
自分のための発言だったりします。

別に相手を心配したりしているわけでなく
自分のコントロール下に置きたいとか
相手のレベルを引くままに留め置いて
自分の優位性を確保するとか
大抵はそんな理由です。
意識せずに言っている場合が多いようですが。

ワクワクする環境で
ワクワクする人材を育てる
これは難しいことです。

何か良いアイデアを思い付いたとしても
それが全員に適用できるかというと
決してそんなことはありませんし。

今のところ明確なのは
エコランカーやレーシングカー、惑星探査機など
みんな学生自身が持ってきたネタで
それが自律的に延々と続いているということは
やはり与えられたものではなく
自発的にやることが最重要なのだろうなぁ
ということです。

思いは実現する

「思いは実現する」
みたいなことをどこかで聞いたことはありませんか?

初めて聞いたときは
「本当かよ?」
なんて思いがちですが

ものを作っていると
「そんなの当たり前じゃん」
と思えたりします。

なのでこれを
ものづくりのアプローチから説明してみましょうか。

作った「もの」は
作った人そのものが実体化したものです。

なので、「もの」には
考えた人、作った人そのものが現れます。
その人以上にはなりません。

もうちょっと具体的に言うと

何かアイデアを考えて
作りたいと思う
この時点では
ボヤーッとしたビジョンですね。
鮮明でもないし
具体的でもありません。

まずはスケッチとか
要点を文字に起こすとか
そんなことをしていると
何となく形になってきます

その後、より明確にするために
図面を描いたりして
かなり具体化してきます。
この辺になると
思うというよりは
考えるというプロセスと言って良いかと思います。

そして実際に作ってみる。
これは行動ですね。
厳密に言うと、設計をしている段階も「行動」と言っても良いかと思うのですが
ここではプロセスの話をしていますので
こんな感じで良いかと。

で、ものができる
そして、使ってみて
その評価によって結果が出る。

それぞれのプロセスでは色々考えているはずですが
一連の流れでみると
思ったことが結果になって現れているだけです。

なので、最初の段階の「思い」は特に大事なのです。
それが具現化するから。

それ以降のプロセスはスキルを向上すれば
レベルは上がりますから修業あるのみです。

うまく行かないときは
思いがイマイチか
それ以降の技術やスキルが不十分か
だいたいそんなものではないでしょうか。

中でも、思いは
集中力とか継続性とか
全てを支配しますので特に大事ですね。

ものづくりを例にとって説明するとこんな感じです。
作ったものは、作り手そのものです。

作る人、使う人への配慮とか
性能や品質など
全て自分以外の人のためです。

そこに自分の思いが向いていれば
「価値がある」ということになります。

なので
良いものを作りたいと思ったら
人となりを磨かなければならない
ということになるのですね。

ものづくりの場合
プロセスや結果が目に見えるので分かりやすいのですが
他のことでも同様でしょう。

「思い」無しで何とかしようとすると
一般論とか理論とか
そういうものをベースにやらざるを得ないでしょうけど

そうなると出る結果は
誰がやっても同じになってしまって
そこに価値はありません。

そんなことを考えていると
心を成長させるのが大事なんだなぁ
なんて思うのです。

やはり
技術は人なり
ですね。

ミケランジェロかく語りき

学生達は日々成長しています。
特に今回のような困難の後は。

もちろん望んで失敗する者などいないでしょうが
どんな失敗をするかが問題なのだよなぁ
と、つくづく思います。

とか思っていたら
ミケランジェロの名言を見つけました。

The greater danger for most of us lies not in setting our aim too high and falling short; but in setting our aim too low, and achieving our mark.

我々の多くにとって、目標を高く設定しすぎて到達できないことよりも
低い目標を設定して到達することがより危険なのだ。

ミケランジェロは500年以上前のフィレンツェに生まれ
天才の名を欲しいままにした彫刻家であり画家であり建築家であり詩人でした。

後世の評価だけでなく、活躍していた当時も天才と言われていたようですが
本人は
自分は天才ではなく努力と忍耐によって良い仕事をした
と思っていたようです。

さて、上記の名言ですが
「危険なのだ」と言っています。
ということは、超重要だということです。

そして、天才や実力者に向けた言葉ではないことは
文中の”for most of us”「我々の多くにとって」という言葉で分かります。

つまり、一握りの人達に向けたアドバイスではなく
多くの人に向けた警告です。

その後に続く、目標設定の高低については難しい理屈ではありません。

色々御託を並べましたが、簡単に言うと
「無難なことやってるとヤバいんだぞ」
ということです。

「やってみなはれ やらなわからしまへんで」(サントリー創業者 鳥井 信治郎氏)
「やってみもせんで何が分かる」(ホンダ創業者 本田 宗一郎氏)
ということです。

高い目標を設定するからこそ人は成長できるわけで
チャレンジしている限りは失敗しても成長していきます。

安心安全を求めて低い無難な目標を設定していると
本人は現状維持を欲していたりするかもしれませんが
成長できないどころか下降していきます。

世の多くが、そんなふうに生きていたら
そりゃあ大変なことになるでしょう。

世の中を良くしようとしたら
皆の力が必要です。
だからミケランジェロは
「我々の多くにとって」という前提で
こんなことを言ったのではないしょうか。

500年以上前に重要だったことが
今重要ではないわけはないでしょう。