エコランで燃える

夢工房の今年一発目の勝負
エコランのもてぎ大会が終わりました。

50ccのエンジンを積んだ
手作りマシンでの燃費競技です。

これは、夢工房で活動している
理工学部自動車部の活動です。
私は顧問をやってます。

やっぱり勝負事
ことにチーム戦ってのは難しいなぁ
と実感しました。
毎度のことですけどね。
難しいからこそ、やるんですけどね。

大会では、終始雨が降っていて
サバイバルレースの様相を呈していました。
こんなにひどい状況は久しぶりです。
結果としては、大学生クラスで2位と3位を獲得したのですが
完走はわずか3台です。
3位なのにビリッケツです。

エコランといえども
立派なモータースポーツです。
嘘だと思うならやってみたらいいです。
手作りマシンで一発勝負
超シビアな世界です。

よく考えたら
手作りのマシンでレースができるなんて
貴重なイベントなんですよね。
フォーミュラSAEもそうですが。

雨のレースでの勝敗は
色んなものに起因します。

まずは気力。
雨に負けて萎えていたら勝負になりません。
絶対に諦めてはいけません!
雨のレースは何が起きるか分かりませんから。
今回は、クルーもドライバーも良い働きを見せてくれました。
まだまだいけますけどね。

人の実力とマシンのパフォーマンスも重要です。
クルーとして頑張ってくれた1、2年生達
初めてのイベントとしては良くやりました。

当チームのマシンは、完成から時間が経っていて
性能面ではまだ詰め代があるのですが
基本的なパッケージがそこそこイケてるのと
信頼性がボチボチあるので
その辺が功を奏したのかもしれません。

なんと言っても
レーシングカーを設計している連中がパッケージングしてますから。
安定性と運動性能は密接な関係があるので
その辺をそこそこ分かっていて設計すれば
路面のミューが低い状態でも運動が破綻しにくいはずです。

何とか走り切れたのは
その辺が要因かなと思います。
でも、まだまだ頑張らないと。

幸いにも、チームメンバーは今回を機に
さらに燃えはじめたので今後が楽しみですね。

レースは、勝者がいれば敗者もいるわけで
みんなでお手々繋いで一緒にゴール
というわけにはいかないリアルワールドです。
で、結果が明確なので
教育には最適だと思うのです。

その証拠に、近年では高校生のみならず
中学生までエコランに参加しています。
良い傾向ですね。

中学生や高校生が、エコランカーとはいえども
車を自分で作って走るんですよ。
さぞかし楽しいんだろうなぁ。
そして上位チームは
さぞかし大変な目にあっていることでしょう。
いいぞいいぞ!

そんな彼らが成長して
良いエンジニアになってくれるのでしょうね。
将来が楽しみです。

次は10月23日の全国大会です。
今年はコロナ禍のために
従来の2日開催を1日に短縮して
一般クラス(社会人)と二輪車クラス(市販バイク)の
2クラスは実施しないそうです。

夢工房の多くのメンバーは
自動車部としてエコラン
プロジェクト活動メンバーで研究室の卒研生としてフォーミュラSAE
と、2つの活動を掛け持ちして全力疾走です。

4年間なんてあっという間なので
できることをできる限り頑張ってみてもらいたいものです。

技術は人なり

撮影のために一時的にマスクを外しています

アイデアのお話し

何か新しいことをやるには
アイデアが必要です。

目的に合わせて
自由自在にアイデアが出てくれば苦労しないのですが
そうもいきませんね。

まぁ、そんなに簡単にアイデアが出てきちゃったら
そもそも価値が無いのでしょうね。

さて、学生を見ていても
アイデアを出せる者と出せない者がいます。

どうやったらアイデアが出せるのか
なぜ出せないのかは
大変興味があるところではあります。

ただ、全体的な傾向で言うと
近年はアイデアがあまり出ない傾向です。
ちょっと残念ではありますが
これを何とかしたい。
たぶん、本人も何とかしたいと思っているでしょう。

アイデアが出ない理由は色々あると思いますが
比較的多くに当てはまるケースについて考えてみました。

近年、本学は偏差値が少しずつ上がってきたことが関係しているのか
それとも時代の流れなのか
真面目な学生が多いです。

真面目というと
良いことじゃないか!
となりそうですが
何というか
無駄な経験が少ない
と言うべきでしょうか。

そもそもアイデアの元には何かがあります。
情報とか経験とかですね。
何も無いところから生み出すわけではありません。

元になる何か
それを利用する発想です。
元になる何かを、足したり引いたり、ひっくり返したり…

なので、元になる何かを
あらかじめ取り込んでおく必要があるのです。

大抵の場合、その元になる何かは
今、手元にあるアイデアを投入する対象から
離れたところにあります。
関係ない世界です。

車に関するアイデアであれば
航空宇宙や船舶のネタだったり
無線通信のネタだったり
技術的なことなら何でもネタになりそうですね。

私の場合なら
縄文の土器とか土偶とか竪穴式住居…
なわけはないか。
いや、まんざらでも無いかもしれません。

とにかく
一見「余計なこと」を沢山持っていると
スタートしやすいですね。
というか、それらからしかスタートできません。

だって、余計なこと以外と言えば
今そこにあることなので
それを元にしたところで
何ら変わりませんから。

余計なことを沢山手に入れようとする者は
落ち着きが無い
とか
集中力が無い
なんて言われちゃうことが多いのではないでしょうか。
一般的にはダメな子かもしれません。

ここまではネタを集めるプロセスです。
今そこにあるものとは
関係ないものが沢山あった方が良いですね。

ところが
真面目な良い子は
余計なものには手を出しません。

このプロセスでヘタに集中力が高いと
それは単に視野の狭さに繋がっているわけで
ネタが集まらないのです。

余計なことは
すでにフィルタリングされて除外されてますから。

さて、その「余計なこと」は
単品で、そのままでは利用価値がないことが多いです。
なので
足したり引いたり、ひっくり返したり
いじり回すことが必要です。

こういう行為は
ひょっとすると
変なこと
なのかもしれません。

こういうのが得意なコは
学校の科学部で
先生から「それだけはやっちゃダメだ」と言われた薬品を混合して
爆弾を作っちゃうようなヤツかもしれません。
私の同級生にはいました。
それはもう激しく先生に叱責されていました。

でもきっと、元をたどれば
先生が調子に乗って爆薬の作り方を教えたに違いありません。
「でも、やるなよ」
とか言って。
当時はネットありませんから、きっとそうです。
私はそんな先生が大好きでしたけど。
昔はそういうしょうもないのが沢山いましたね。
今ならきっと大問題でしょうけど。

さて
良い子は
余計なことをせずに
言われたとおりに
与えられたものを使います。

でもそれでは
新しいアイデアは出せません。

馬鹿野郎は、そんなの知ったことではありません。
我慢できないのです。

先生に怒られることを避けるより
己の興味を満たすことの方が
はるかに優先度が高かったりします。
平気で
怒られるけどやる
というトレードオフをします。

今は情報の伝達速度が速くて広範囲だから
ヘタなことできませんよね。怖くて。

あ、なんか話が脱線気味ですね。

こんなふうに余計なことをいじり回して
「あ!そうか!」
がやってくるわけなのですが
そういうタイミングは
多くの人が共通しています。

考えて考えて考えて…
ふっと気が抜けた時が多い。

私の場合は
通勤で車を運転している時とか
トイレや風呂に入っている時とか
寝床に付いた時とか
そんな時が多いのです。

頭の中の意識が無意識に移行する時かな。

しかしこれがまた困ったもので
そういう時のアイデアは忘れがちなんですよね。

思い付いた時は
「こんな凄いアイデア、忘れるわけない!」
と思うのですが
大抵は忘れちゃう。

なので、手元にメモを用意したり
スマホに入力したり
何も無い時は
ひたすらアイデアを唱え続けて覚えます。

はい、まとめです。

世の中、平和で安全になって
みんな良い子になると…
つまんなくなっちゃうよね。

あれ?
こんなんでいいのかな?
あながち外れていない気もするんですが。

アイデアによって良い世の中がつくられたら
アイデアが要らなくなる。
皮肉ですが必然のような気もします。

ボチボチそんな状況から移行する時かもしれませんね。

できるヤツってなんですか?

人に教えるのって難しいです。

例えば、A君に
「これを見なさい。この部分はこうなっているんだよ。
これは重要だよ」
と教えたとします。

真面目なA君は、言われたことを覚えます。
これを「知った」と言います。

いっぱい知っていれば優秀だと言われます。
できるヤツだと言われます。

でもA君は、言われたことをやっただけです。
他人に重要だと言われたから、重要だと覚えただけです。
なぜ重要なのかは分かりませんし
それを使って何ができるかは分かりません。

こんな状況があったとして
これ、本当に優秀で、できるヤツなのでしょうか。

本当に優秀で、できるヤツは
「何だ、これは!?」
「これはどうなるんだ!?」
という気持ちが抑えられないヤツだと思うんです。

で、やりたくて仕方なくて
やっちゃう。
その結果をいっぱい知っている。

うまくいったら
「もっとだ!」
もしうまくいかなくても
「何でだ!?」
と前進できる。

そんなこと分かっていますよね。
言われるまでも無いことです。

でも、なかなかそうはいかない。

その根底には何があるのでしょうね。

成長過程で形作られた性格とか
そんな所だと思うのですけどね。

だとしたら、不可抗力ですね。
若者であれば。

だって、子供が自力で成長過程の環境なんて作れませんもの。

じゃぁ仮に
成長過程の環境を「良いもの」にしたらどうか?
という話なんですが
この場合の「良い」って何?ということになります。

衛生環境とか、成熟した社会とか、豊富な情報のリソースとか
色んな尺度の色んな内容が考えられると思うのですが
我々が考えつく限り、最高のものを用意したらどうでしょうか。
最高の環境になるのでしょうか。

レオナルド・ダ・ヴィンチは
1452年のイタリア生まれです。
今から500年以上前の人です。

当時のイタリアに比べて
今の日本はどうなのでしょう?

教育環境に関して言えば
圧倒的に優れた状態ではないのでしょうか?

ではなぜ
今の日本は大量のダ・ヴィンチを生み出せないのでしょうか。

環境を当時のイタリアにしたところで
問題は解決しないでしょう(笑)

今も昔も
高度な知識とか技術が発達する土台には
好奇心とか熱意が欠かせないのは言うまでも無いことでしょうけど
多くの教育環境では
そこには手を付けられていないと思います。
学校で「やる気」は評価されません。
1点にもなりません。

じゃぁ、それに点数が付けば良いのか?
というと、そうとも限らないと思いますが。
そもそも、点数で評価するシステム自体どうなんだ?
と思います。
それは若者の琴線に触れるのか?とか。
こういうことを考えはじめたらきりがないですが。

飛ぼうとしない鳥に強制的に餌を与えても
フォアグラができるだけですね。

さて、いったい誰が美味しく召し上がるのでしょうね。

と、そんなことを考えていると
必死に飛ぼうとする学生達が集まっている
夢工房と言う環境は恵まれているなぁ
と思うのです。

そんな環境に身を置かせていただいているのは
本当にありがたいことです。

技術は人なり