学校のやり方 夢工房のやりかた

学校教育で難しいとことは色々ありますが
全員が同じようにはならないってことも一つかな。
相手が人間なわけだから当たり前ですけどね。

もっとも、皆が同じになっちゃったら面白くも何とも無いんだけど、管理って見方をするなら、それが楽なんでしょうね。
仕事が楽なら良いのかというと、決して良くないし、誰も得しないと思いますが。

学校に限らず、組織において全員が同じようなモチベーションや、同じような能力を持つことはありえないですよね。
でも、学校で教育をする上では、「全員が同じように」という前提があるように感じます。
明確にそうしろと言われている訳じゃありませんが、大抵は暗黙のうちにそういう方向になっているケースがほとんどではないでしょうか。
ぶっちゃけ全員から同じ学費もらっていますからねっていうのもあるのかもしれませんが、学校の方針がとか、文科省がなんたらとか、そんなのを抜きにしても、自然とそうすべきだという方向になる気がします。同調圧力ってヤツかな。

で、同じような教育効果を与えるなら
飛び抜けたことはやらせないで、底上げを図った方が均質に近い状態になるでしょう。
恐らくこれは意識はしていないけど、結果としてそうなっているんだと思います。

だってめんどくさいもん。

上に上に行きたいヤツは、勝手に色々やりたがります。
ところが、それが先生の専門領域外のことだったりするし
もちろん本人は経験が無いもんだから失敗も多い。
で、先生はそこで「教えなきゃ」って思ってしまう。
でも、ヤツらがやりたがるのは、自分の専門のことばかりじゃなかったりするから困っちゃう。

本当は、学生が自分の専門領域外のことをやろうとしたら、それは喜ぶべきことです。
そんな時は専門の人を紹介したり、調べ方を教える程度で良いんだと思うんだけど
先生は真面目な人が多いので、そういうのは無責任なやり方と感じてしまうのか
あまりやりたがらない人が多いようにも見えます。
もちろん人にもよるだろうけど。

やる気に満ち溢れた暴走野郎のハンドリングは面倒なのかな?
面白いと思うんだけど。

会社で仕事してる時って、専門領域外の問題があったら
頑張って自分で調べてやってみるか
「そんなの専門の人に聞けばいいじゃん!」
とかで一発解決です。
学校でもそれで良いんだと思います。

暴走野郎の頭を押さえつけ続けると、つまんないヤツになっちゃうもんね。

本当は「教える」んじゃなくて、逆に「どうしたらいいと思う?」って聞いて、まかせて、やらせてみて、結果を評価してフィードバックするのが一番良い学びになると思うんですけどね。

私は、いまだに会社で仕事してたやり方が抜けないので、万事そんな調子ですが。
今のところこれで良いと思っているので、このままいっちゃいますよ。

でも、細部のモディファイは日々やってます。

考えるのは良いけど悩んじゃダメよ

このブログは、開発者を志す若者の面倒を見ている元開発者の教員が書いているので、方向性に偏りがありますが、人は色々いていいのです。

開発するならもちろんクリエイティブな人は必要です。
でも、その人が全てをできないとダメかというと、そんなことはありません。

言われたことをきっちりできる者

繰り返しや継続に強い者

記憶とか思考とか、知識・知能に優れた者

特定の技能に強い者

人と人を繋ぐのが得意な者

いるだけで環境が良くなる者

たまに何でもできるマルチプレイヤーのスーパーマンも現れますが、そういう人はそんなに多いわけではないし、仕事の規模によりますが、一人で全てはできません。

一つのことに特化して、とにかくそれを延ばすのもアリですが、中途半端に色々できるという部分をトコトン伸ばすと武器になったりもします。

こんなふうに色んな人がいるのですが、彼らをそこそこのレベルに押さえ込んで、均質化するのは非常にもったいないし、面白くない!
でも、学校ではよくあることかも。

あと、ある特定の個人にとって重要なこと、正しいことを、他に対してもそのまま適用しようとすることもあるかな。
これ、我々教員はよくやってしまいがちです。
気をつけねば。
ただし、時として多くに適用した方が良いこともあったりするので、判断が難しいところ。

人は成長するにしたがって、キャラクターが立ってきたりしますが、学生のうちは、持っている強み自体をつくっている過程なので、最初から適性とか見えないんですよね。

やはり本人が何かに執着して、一所懸命やって、その中から見出すのが一番ですね。

とは言うものの、本人は悩みます。
「これ、自分に合っているのだろうか?」
ヘタすりゃ、やる前から悩みます。

本当は悩む必要なんて無いんです。
やらないと分からないんだし、やりきれば大抵のことは武器に変わりますから。

そもそも何をしたら良いかを悩むこともありますよね。
これも悩む必要はありません。
大抵の場合は悩む前に、すでに答えは自分の中にあるものです。
ここに他人の価値観や変な打算を入れちゃうと後悔に繋がることが多いですね。

まぁ、こんなのは自分で経験すれば良いことなんですが、大学など、時間が限られた環境では結構重要なことなので念のため。

悩んでる暇があったらやった方が良いってことですよ。大抵のことは。

失敗しようぜ!今すぐに!

近年、若者には課題解決能力が求められているって言うじゃないですか。
答えのない問いに対して問い続ける能力
とか言いますよね。
なんか難しい表現だな。

話を簡単にするとこういうことですよ

速いレーシングカーをつくる
これを課題としましょうか。

これに正しい答えがあると考えると
エンジンの馬力を大きくするとか
ウイング付けてダウンフォースをとか
そういう既存のやり方で性能を上げるってことになります。
そういう風にして性能が上がるのだから、それは一つの正しい答え。

でも、実際は
「速い」の実現方法は沢山あるわけです。
だって、前提条件として既存の方法を使えなんて一言も言われてないわけですからね。
今現在、世に無いやり方を考えるなら、それこそ方法は無限にあると言っていい。

さて、そうなると色々アイデアをひねり出す必要があります。
ただし、正解なんて無いのだから、それはダメな方法かもしれない
やってみないと分からない。
それを確認するためにトライ・アンド。エラーを繰り返す必要があるってことですね。

もちろん、その過程ではエラーが発生します。トライとエラーですから。
ダメかもしれないけど仮定してみて確認する。
その結果から、何がダメなのか、どうしてダメなのかを考えて、再度トライする。

さて、ここに現代の問題が露呈します。

ダメなものを出せないのですよ。
だってダメそうだから。

ダメなものを出さなければ、何がダメなのか、どうしてダメなのかは分かりません。
なので、どうしたら良いかは分かりません。

でも今まで、ダメなものを出すと、授業だと点数もらえない。何も得しない。
ヘタすりゃ、怒られたり、否定されたり、バカにされたり…
とにかく、ダメなもの出しちゃダメ!ってトレーニングされてきたものだから、そうしてしまうのは仕方ないのです。

そう、これは本人の責任じゃないんですね。
年長者や環境の影響でそうなってしまってるんです。
とはいえ、誰も責任取ってくれませんが。

なので、夢工房では
ダメでも良いから出そうぜ!すぐ出そうぜ!どんどん出そうぜ!
というふうにやってます。

あと
失敗に対してどうするか?
ですね。

いいじゃん、どんどん失敗すれば。
何で失敗したか?
次はどうしたら良いか?
それを考えて次の行動に繋げることができたら、それはそれで一つの成功ですよ。

チャレンジャーはチャレンジできる必要があります。当たり前だけど。
チャレンジは、リスクを取って、やるってことです。

何でリスクを取れるかというと
その先にあるゴールの魅力の大きさによって、相対的にリスクを最小化できるとか
そもそもリスクをリスクと思わない価値観を持つとか
色々あるでしょうけど
ダメでもいいじゃん!失敗してもいいじゃん!
で、前に進んでいけるのも重要です。

もちろん、考え無しに行動するのは問題ですけどね。
考えすぎて時間を無駄にしちゃダメ。

以前、学生に対して
「社会に出たら失敗は許されないんだよ!」(だから失敗すんな!)
というステキなアドバイスをしてくださったベテランの方がいらっしゃいました。

学生に社会のシビアさを教えてくださるのは大変有り難いのですが
「まぁ、そうなんだろうけど、あんただって若い頃は散々失敗して
その中から学んで成長してきたんじゃないの?」
と思ってしまいました。

かなり腕の立つ方だったので、多くの失敗を経験したはずです。
もし失敗が無いなら、その方から学ぶことはありません。

自分は失敗から学んで
若いコにはそれをさせないというのはずるいですね。

私だって、かつてはさんざん恥ずかしい失敗をして、その中から色々勉強させてもらったクチですので、学生達にはそれを上回る最高に恥ずかしい失敗を…じゃなくて、有意義な失敗を沢山して、その中から学ぶ経験をしてもらいたい。
頑張ってチャレンジしたら、無駄な経験なんて何一つ無いです。

若いっていいですね。
時間をいっぱい持っているわけだから、それだけで大きな可能性を持っているということですものね。
…有意義に使うならね。