オリンピック終了~学生達のオリンピック

東京オリンピックが終わりましたね。

コロナ禍の中での開催ということで
色々と議論がありしましたし
困難もあったかと思いますが
いざ始まってみれば
やはり世界のトップアスリート達の
レベルの高い闘いは見応えがあったし
日本選手の活躍にもエキサイトしました。

私は、開会式や競技はあまり見られなかったけど
閉会式はネットのライブ中継で見ることができました。

当初の計画通りに行かなかった部分も
多かったのではないかと思うのだけど
「さすがトーキョーだな」
って感じにまとめたのではないでしょうか。

やり切った選手達を見るのは気持ちが良いものです。
やはり何かを一所懸命やって極めるというのは凄いことで
人の心を動かすだけのパワーがある。

オリンピックの商業的な効果などは
もちろん大事なことの一つなのでしょうけど
最も重要なのは、この
人の心を動かす
というところなのではないかと思います。

平常時のオリンピックでも
自分の競技が終了した時点で帰国してしまう選手はいますので
今大会の閉会式はどうなることかと思っていましたが
多くの選手が参加してくれて良かったですね。
改めてこれだけの選手達が一堂に会しているのを見ると
理屈抜きで嬉しくなりますが
やはり自国でのオリンピックは特別なのだ
と感じました。

開催できて良かったなぁ。

今回は海外からの観客が来られなかったのは本当に残念です。
その分、閉会式が終わった後に
各国の選手達が日本を充分に
楽しんでから帰国してくれれば
と思うのですが
そうもいかなさそうなのは残念です。

さて、オリンピックのこの雰囲気ですが
我々にとっては
そうそう遠い世界という感じはしないのです。

と言うのも
Formula SAEのイベントは
アメリカ大会やドイツ大会が世界最大規模で
1大会で80チームくらいが世界中から集まります。
人数で言ったらかなりのものだし
会場の雰囲気や盛り上がりで言ったら相当なものです。

近年、我々が参戦しているオーストラリア大会だって
参加数は30チーム強といったところですが
色々な国からの参加があるワールドシリーズの一つなので
レベルが高く
それなりに国際色豊かなイベントです。

もちろん
単純にオリンピックと比べるのは
色んな意味でおかしいのかもしれませんが
参加している学生達にしてみれば
間違いなく
彼らにとってのオリンピックです。

学生が国際的な大会で一番を目指して頑張っている訳ですが
一生のうちに、こんな経験をできる人がどれだけいるでしょうか。

その貴重な機会を大事にして
悔いのないよう頑張って欲しいと願ってます。

学びの根底には心があったりする

難しいお勉強が生き残るために必要なのか?

こういう言い方は語弊があるな。

高いレベルの知識は成功するために必要なのか?

必要だろうね。
でも、違うな。
言いたいことはそうじゃなくて
やはり

外から突っ込まれた知識があると
ハッピーになるのか?

これだ。

答え:ならん!

そう思ってるんですけどどうでしょう?

こういう疑問を投げると
二元論での答えを返されることが多いです。

「無いよりあった方が良いに決まってるだろう!」

違うんです。
ここで言いたいのは
持っている知識の量ではないのです。
心の問題。

と言うのもね
外からいっぱい
「やれ!やれ!!」
って、知識を突っ込まれると
嫌になるわけですよ。

何が嫌になるかっていうと
学ぶことが。

学びって、別に知識を暗記することではないですから。
まして、人にやらされることでもない。

社会人なら多くが実体験として持っていると思いますが
自分が必要と感じて何かを調べたり、試したり
もしくは、業務上色々経験して
それが身に付いて
いわゆる「できる」状態になっていく
これが学びでしょう。

多くの人が
学校での教育のやり方で得られるものが
「学び」って思っているかもしれませんが
それは単に記憶としての知識に過ぎないでしょう。

「学び」という行為についてはむしろ
社会に出てからの方が意味のある学びをしている
と言えるでしょう。

でね
学校で無理矢理色々突っ込まれちゃうと
とにかく自発性とか探究心とか
致命的に重要なことを失っちゃうケースが多い
そんな気がします。

これを失ったら学べませんから。

そもそも
「これができないと単位出さないぞ」
と言ってやらせるのって
恐怖によるコントロールでしょう?
それによる行動が将来的に役立つとは思いにくいのですよ。

その結果
学びに対する心が折れたりするのでしょうけど
それで社会に出ちゃったりすると
凄くもったいないんですよ。

だって、仕事って結構面白いものですからね。
実社会との真っ向勝負で
顧客満足度とか実績で
成果や成長が分かりやすいので
自身の満足度も高いです。

学校じゃ、授業で頑張ったところで
成績表に表された記号とか数字でしょう。
その先が欲しいですよね。

たまに卒業生から
「在学中に、あの授業をもっと頑張っておけば良かった」
なんて聞きます。
よくある話ですよね。

気持ちは分かるけど
そんなことはありえません。

だって、その時は
やりたくなかったのだから。

問題は「やりたくなかった」ことです。

解決策は「やりたい」と思わせることです。

と、理屈はシンプルなのですが
解決は結構難しいです。

理屈だけで何とかなるものではないからです。
「これが正解!」という答えも無い。

理屈で解決するなら
「この本読んどけ」
で済むでしょうし

「これは重要だから、やれ!」
「はい!」
で終わりでしょう。

でも、そうはいかない。
心の問題だから。

文科省のお役人とか
学者さんとか
いわゆる「頭の良い」皆さんでも
どうにもならんから
現在の状況があるのです。

きっと難問です。

だからこそ
そこに価値があって面白いんですけどね。

というわけで
これからも授業はもちろん
夢工房の活動でも
チマチマ工夫していきますよ。

「みる」

コロナ禍の自粛環境で
何で視力が落ちるかが分かりました。

昔から
暗いところで本を読むと…
とか
テレビばかり見てると…
なんて言われてましたね。

ま、一理あります。

私が出した答えは
焦点距離を変えないまま長時間過ごすから
です。

目のピント合わせって
眼球内の水晶体を筋肉を使って変形させる
ことによって行われるのですが
焦点距離を変えないと
その筋肉が衰える
ということが
部屋に籠もって仕事をしていて分かりました。

なので
ずーっと本を読んでいたり
ずーっと画面見てたり
そんな環境なら
そりゃ視力落ちますよ。

でも、近くを見たり遠くを見たり
そんなことができる環境にいれば
結構回復します。
意識的にやらないとあまり効果無いかもしれないけど。

そんなの常識で、みんな知ってる?
ですよね(笑)

でも、私の職場がある埼玉の鳩山は
山が多いので、視力のトレーニングにはもってこいです。
遠くの森の木の頂点にある葉っぱを見たりしてますよ。
「おー、結構見えるもんだぜ!」って。
やっぱり田舎って良いです。

さて、人の五感のうち
視覚からの情報量は結構大きいと思いますが
この場合は、眼球から入力された映像の情報で
本来三次曲面である網膜に投影された像を
脳の処理によって本来の形状に…
とか、説明するのが大変な専門的なことを
話したいわけではないのですけど
この話も面白いかもしれません。
それは機会があれば改めて。

今回お話ししたいのは
視野とか視界とかなんですが
一口に「見る」と言っても
意味合いとしては
実際に目で見るものはもちろん
意識の上とか考え方とかの場合もあります。

「お前、視野狭いな~」
とか言いますものね。

面白いのは
目で見る視野(行動)と
考え方などの視野(心)
これ、結構連動してたりします。

人の行動って、気持ちとか考えによるものなので
当たり前と言えば当たり前なのですが。

なので
一点を凝視す続ける傾向が強かったり
というか
注視した視点の周囲の視覚情報が少なかったりするタイプの人は
考え方も狭い範囲で深掘りする傾向が強い気がします。
でもその分、集中力は高い傾向かも。

同様に
姿勢がうつむき加減の人は
心も下向きの場合が多い。

これ、思い込みじゃなく
学生達を見ていて感じたことです。

と、このように
行動と心って
結構連動してると思うのです。

であれば!
逆に
行動や姿勢を変えれば
心も変わるの!?

変わると思いますよ。
こういうのって
可逆性と言います。
逆も可なヤツです。

ぜひ試してみて欲しいと思います。
ひょっとしたら
こんなの思い込みかもしれませんけど。

でも良いんです。
自己暗示って思いのほか強力ですから
きっと効果あります。

「何をいい加減なこと言ってるんだ!
科学的なエビデンスを示せ!」
とか言う人は
論文とか見て
人から得た「正解」をやってください。
その方が安心できるでしょう。
あ、嫌な言い方だな。

面白そうだと思ったり
藁にもすがりたい人は
色々やってみると良いでしょう。

日頃意識的に上を向いて歩くとか
周りをキョロキョロしたり
一点を注視してるのに気付いたら
ちょっと視野を広げる意識をしてみるとか。

私はこんなことを考えて
日々、自身で実験してます。
面白いですよ。
人間的には、まだまだなんですけどねー(笑)