学びの根底には心があったりする

難しいお勉強が生き残るために必要なのか?

こういう言い方は語弊があるな。

高いレベルの知識は成功するために必要なのか?

必要だろうね。
でも、違うな。
言いたいことはそうじゃなくて
やはり

外から突っ込まれた知識があると
ハッピーになるのか?

これだ。

答え:ならん!

そう思ってるんですけどどうでしょう?

こういう疑問を投げると
二元論での答えを返されることが多いです。

「無いよりあった方が良いに決まってるだろう!」

違うんです。
ここで言いたいのは
持っている知識の量ではないのです。
心の問題。

と言うのもね
外からいっぱい
「やれ!やれ!!」
って、知識を突っ込まれると
嫌になるわけですよ。

何が嫌になるかっていうと
学ぶことが。

学びって、別に知識を暗記することではないですから。
まして、人にやらされることでもない。

社会人なら多くが実体験として持っていると思いますが
自分が必要と感じて何かを調べたり、試したり
もしくは、業務上色々経験して
それが身に付いて
いわゆる「できる」状態になっていく
これが学びでしょう。

多くの人が
学校での教育のやり方で得られるものが
「学び」って思っているかもしれませんが
それは単に記憶としての知識に過ぎないでしょう。

「学び」という行為についてはむしろ
社会に出てからの方が意味のある学びをしている
と言えるでしょう。

でね
学校で無理矢理色々突っ込まれちゃうと
とにかく自発性とか探究心とか
致命的に重要なことを失っちゃうケースが多い
そんな気がします。

これを失ったら学べませんから。

そもそも
「これができないと単位出さないぞ」
と言ってやらせるのって
恐怖によるコントロールでしょう?
それによる行動が将来的に役立つとは思いにくいのですよ。

その結果
学びに対する心が折れたりするのでしょうけど
それで社会に出ちゃったりすると
凄くもったいないんですよ。

だって、仕事って結構面白いものですからね。
実社会との真っ向勝負で
顧客満足度とか実績で
成果や成長が分かりやすいので
自身の満足度も高いです。

学校じゃ、授業で頑張ったところで
成績表に表された記号とか数字でしょう。
その先が欲しいですよね。

たまに卒業生から
「在学中に、あの授業をもっと頑張っておけば良かった」
なんて聞きます。
よくある話ですよね。

気持ちは分かるけど
そんなことはありえません。

だって、その時は
やりたくなかったのだから。

問題は「やりたくなかった」ことです。

解決策は「やりたい」と思わせることです。

と、理屈はシンプルなのですが
解決は結構難しいです。

理屈だけで何とかなるものではないからです。
「これが正解!」という答えも無い。

理屈で解決するなら
「この本読んどけ」
で済むでしょうし

「これは重要だから、やれ!」
「はい!」
で終わりでしょう。

でも、そうはいかない。
心の問題だから。

文科省のお役人とか
学者さんとか
いわゆる「頭の良い」皆さんでも
どうにもならんから
現在の状況があるのです。

きっと難問です。

だからこそ
そこに価値があって面白いんですけどね。

というわけで
これからも授業はもちろん
夢工房の活動でも
チマチマ工夫していきますよ。

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