今日は西の卒業生と

もう週末だ。
一週間経つのが早い!
というか、もう秋だよ!
一年なんてあっという間!

今日は、関西方面で活躍している卒業生と話ができました。
最近は親元を離れたがらない若者が多いそうですが
ウチの卒業生の多くは、躊躇無くどこへでも行っちゃいます。
環境をはじめ、あまり枠ってのを意識しないんでしょうね。

仕事の内容も枠を意識せずにワイドに動くのが彼らの特徴です。
例えば、設計と作りの現場との境目を軽々超えていくとか。

設計の仕事って、図面とか書類とにらめっこばかりしている
一般的には、そんなケースが多いのかもしれませんが
現場に行って色々見た方が話が早いし
何より面白いじゃないですか。

そういうのが新人のうちから身に付いてるので
仕事が楽しく感じられるのでしょうね。

こういうのも
夢工房のように設計と製作の現場が一体になっている環境
だからこそ身に付けられるのではないかと思っています。

あと、ウチの卒業生の特徴としては
久々に合って話をしても
あまり会社の愚痴を言わないってところかな。

色々問題が起きたり、課題があって
努力や工夫で乗り切ってる
という話は多いかもしれません。
そういうのは、こっちとしても有用な情報です。
現在の環境をどうしていったら社会のニーズに応えられるか
という参考になりますから。

何より、ヒーヒー言いながらも仕事が充実している
そんな彼らの話を聞くのは楽しいものです。

今後は、卒業生達と現役生達の繋がりを
いかに新しい形で結びつけていけるかというのが課題です。

よく部活なんかでありがちな
OBが後輩に威張るとかそういうのではなく
お互いに色々と発見があって
それが社会の発展のほんの一材料でも良いので
何か良い原動力になるような
そんな方向を模索していく必要があると思っています。

コロナ禍の今だからこそ
そういうネタを熟成するチャンスなのかもしれません。

さてさて、どうしようかな。

自由ってなんだ?

自分で決めるってことです。
多くは束縛から解放されることだと誤認してますけど
そうじゃない。

ちょっと想像してみましょう

大自然の中に自分一人だけだとしたら
生きるために必要な全てのことを
自ら決めて実行しなければならない
凄く面倒だけど
そうしないと死んでしまう。

食料も衣類も住居も
どうするかを自ら決めて実行しないと
生きていけません。

これ、自由なのか?

言葉の意味で言ったら
そうなのでしょうね。

環境は厳しいでしょうけど
何をしても、何もしなくても誰も迷惑しません。
何をしても責任は全て自分にあるわけで
責任を取るのも自分です。
命と引き換えに。

対して現代社会は
身の回りのことを
全て自分でやらなければいけないかというと
決してそんなことはありません。

文明社会では
多くが仕事を持って
自分の果たすべき特定の役割を全うすることによって
その価値と引き換えに望むものを得ます。

つまり
仕事してお金もらって買う
ってことです。

皆それぞれが役割を分担して
自分が決めて実行する
「自由」の領域を狭くすることによって
能力や労力を集中して発揮して
そんなことを皆が相互に補って
便利で快適な社会を作り上げている
ということです。

これは、自分の領域以外の自由を
手放してるということでもあります。

なので、豊かな文明社会に生きる我々は
そもそもあまり自由じゃないんじゃないでしょうか。

ただ、そんな環境でも、面倒なことでも色々やっていたりすると
結構自由を感じられたりします。
「できてるぞ!」って。
あ、やらされてちゃダメですよ。

で、頑張っていくと色々手に入ります。
富とか名声?
まぁ、そういうのもあるかもしれませんが
大事なのは「人の役に立っている感」です。
人から必要とされるというのは幸せなものです。

現代社会って難しいですね。

皆好き勝手にやっても良いように見えるけど
実はそんなことなくて
誰かが「余裕」を作ってくれているから
自分がやるべき事が最小化されていて
サボっていても、なかなか死なない。
でも、代わりに自分が果たすべき役割がある。

で、ですよ
その自分が果たすべき役割なのですが
これをどう決めるんだ?
って話ですよ。

社会に出るってことは
自分の役割を決めなければならない
ってことです。

これ、どう決めるかは自由です。

なかなか決められないこともあります。
リスクがあるし、面倒なことも多いし。

でも決めないと、社会に対する責任を果たせない
ってことになっちゃうわけで
それは許されないから何か決めないといけない。

せっかく何か決めないといけないなら
自分のパフォーマンスを最大化できそうなことが良いですよね。
でも、そんなの自信が無いし、分からない。

なので、好きなことを色々やって
準備しておくのが良いのです。
好きなことなら頑張れますから。
専門を決めて学ぶとかってのも
結局はそういうことでしょう。

ただし注意点があって
この準備段階で「やらされる」経験ばかりしてしまうと
自由な心を失います。
だって、自分で決める機会が最小化されちゃうから。

そうなっちゃうと、将来、自分の果たす役割なんて
なかなか決められないってことになるのでしょうね。

まぁ、凄く考えて頑張って
深く掘るか
できるだけ広げるか
そんなのが
自分の領域における自由なのだと思うわけで

そのためには
好きなことをやるか
やっていることを好きになる工夫をするか
その辺が鍵になるのだと思います。
そうじゃないと頑張れませんから。

こんな偉そうなことを言っていても
ヘマはやるし、まだまだ不十分だし
どうせ完璧なんて無いんだから
とにかくやってみたら?
と思うのです。

結局「心」が作るのだ

当方は工科系大学なので
「良いもの」を作れる学生を育成したい。
もちろん、我が夢工房もしかり。

学生達は、クルマとか惑星探査機とかを作っているわけですが
よく頑張ってますよ。

クルマにせよ惑星探査機にせよ
何のためかというと
人のためなのですよね。
人のための良いものです。

レーシングカーであれば
ドライバーにとって扱いやすく性能を発揮できるように。
惑星探査機であれば
…なんだろう(笑)
惑星探査機の場合は、目的が非常に広範囲に及ぶので
表現するのが難しいのですが
望む機能を発揮するように、ってところでしょう。
もちろん「人が」望む機能です。

そういったことのために
学生は色々学んでいます。
工学をはじめ、それはもう色々。

卒業すれば
彼らは、お客さんのために力を発揮するのです。
良いものを作ってお客さんを喜ばせるために。

もちろん、そこには個人としての欲求もあるでしょうね。
「こんなものを作ってみたい!」
そういうパッションは大事です。
が!
それが組織とお客さんの利益に繋がらないと意味がありません。
エンジニアのパッションは
組織のパッションと合致しないと意味はありません。

個人的な欲求を果たしたいだけなら
趣味でやるべきです。
おっと、話が脱線しそうだ。

良いものを作るには
高い技術が必要なのは当然ですが
それだけで良いものになるかというと話は別です。

ものは理論とか数式でできているわけではないからです。

誰にどんな風に使ってもらうの?
どう感じて欲しいの?

そういうのって凄く大事です。
近年に言われ始めた
ユーザ・エクスペリエンス(ユーザー体験)
ってヤツですね。
これが価値の本質でしょう。

でも、こういうのは学校では教わる機会が無いのではないかな。
仮に教わったなら、それを実践して磨きたいとことです。
そこが学びとして一番面白いところだと思うのです。

作り手側が、使い手側の視点を持って考えるという
最も重要なところでもあります。

で、この辺を考え始めると
作り手側の人となりが大事になってきます。

理論とチェックリストがあれば
良いものが作れるってわけじゃないよ
ということですね。

東京オリンピックのキャッチフレーズでしたっけ?
「おもてなし」
とか、しきりに言われるようになって
なんか言葉が上滑りしてるんじゃないか?
とか思っていたのですが
やはりその辺は重要なのだと
今更ながら感じでおります。

日本の製品に対する評価って
その辺が効いてきてるのでしょうね。

やはり、作り手側の心が大事だってことです。

そんなことを言うと
「なに言ってんだ!心だけで作れたら苦労しないぞ!」
とか言われそうですが
パッション(心)があれば
欲しい技術を手に入れようとしますから大丈夫。

逆に、知能が高くても心が無ければ
良いものは作れませんよ。

うん。「技術は人なり」だな。