こだわらず 離れる

チャレンジが多ければ失敗が多いのは当然なのですが
失敗から来るネガティブな感情にとらわれて
そこに「執着」「こだわり」が生まれてしまうと前に進めなくなります。

当然と言えば当然なのですが
実際に、これを何とかするのは結構難しいことです。

これは、ネガティブな感情に限らず
我欲や、目の前の仕事などに対しても同様で
仏教では、この執着から離れることを説いていますね。

目の前に見えているものが全てではない
そこから視野を広げて
今の自分は何をすべきかを考える必要があるのでしょう。

と、そんな事がある一方
自分がやりたいことなどは
強い執着心が原動力になったりします。

お釈迦様は
我欲や執着が苦悩の根源だとも仰っています。

己の欲望と
自分がおかれた現状のギャップが
苦悩の根源だということですね。

でも、現実と理想のギャップが
パワーの源だったりもします。

こんな風に書いてしまうと
なんか矛盾だらけのような気もしますが
「理想」を我欲ではなく
自分以外の人のため
とすれば話は変わってくるんだよ
と思えば
なんかすっきりする気もします。

我欲は身を滅ぼすが
他人のためなら話しは別だ
と。

なので
自分のやりたいことと
他の利益になることの摺り合わせは大事でしょうし

こだわるべきものと離れるべきものを
はっきり分けて行動できると良いのではないでしょうか。
断捨離だって、そういうものでしょう?

100%他人のために行動できるなら
そりゃ聖人君子で神様なんでしょうが
人間はそう簡単にはいきませんわね。

でも、それが少しでもできるなら
多くの人が喜んで
必要としてくれるでしょう。

もし、100%自分のための行いばかりなら
うまくいかなくて当然かもしれません。

なぜ?なんて聞かないで下さいね。

トラブルの原因

なぜ事故(トラブル)が起きるのか?

企業に勤めた経験があるなら
多くの方はご存じかと思います。
特に自動車関係の企業だったり
安全管理者などの経験があればなおさらですが。

なぜ事故が起きるかというと
「大丈夫だろう」
と思うから起きるのですね。

「大丈夫だろう」
と思った瞬間にトラブルの発生は確定します。
しかもそれは最悪の時に起きる。

なぜかというと
トラブルは常に想定外なわけで
だからこそトラブルなのです。

「大丈夫だろう」
と視野を固定したら
その外にあるんですね。
なので見えなくなる。
「だろう」が問題。

人は見たいものしか見えないのです。

例えば
見通しの悪い交差点への進入や
単なる車線変更などでも同様なのですが
「大丈夫だろう」
と思いながら確認行動をすると
大丈夫なようにしか見えないので
そこでアクションをすると
死角にあるものを見落としたりします。
いともたやすく。

では、どう考えたら良いかというと
「~かもしれない」
と思うのです。

「車が来ているかもしれない」
「死角にいるかもしれない」
という具合に。

機械のオペレーションや
製作作業の場合は
「この部品が外れるかもしれない」
「何か忘れているかもしれない」
といった感じです。

設計でも同様で
一見、設計が完了したように見えても
「どこか間違っているかもしれない」
という視点でチェックすると良いのですね。

もちろん、いずれの場合も
「大丈夫だろう」
と思ってチェックすると
大丈夫なようにしか見えません。

自動車の開発に限らず
多くの研究開発の現場や製造業では
安全管理がクリティカルに重要です。

ですが、そのノウハウは教育現場には落ちてきません。
なんで学校で教えないんでしょうね?
こういう考え方って
色んな事に応用が利くので便利なんですけどね。

伸びる資質

色んなタイプがあると思うけど

新しいものを生み出すために
チームで動く
技術を使う

となると
前向きで愛嬌があること
これは非常に重要だと思う。
特にビギナーの場合。
なぜでしょう?

まず、頑張って何かを考えて形にしても
それが可能な時間には限りがあるということです。

十分な体力がある時期
柔軟な思考や失敗を恐れない勇気を発揮できる時期(これは年齢は関係ないかも)
もちろん生物としての寿命など

なので、自分が持っている時間内に自力で
ゼロから何かを形づくったとしても限界があって
皆が同じようにゼロからやっていたら
皆似たような結果になります。

では、なぜ現代まで技術が発達してきたかというと
先人が知識を残し
それが継承されてきたからです。

それは口伝にはじまり
文字や図によって伝えられてきました。
こういうのを形式知と言います。
これは視覚情報を読み解いて理解する能力によります。

ところが技術を使う場では
形式知だけでなく
実践知(暗黙知)が重要になります。

実際にできるのか?とか
やってみないと分からないことですね。

なので、自分で調べたり考えたりするだけでは
分からないこととか
やってみたけどうまくいかない
なんてことは
他から継承しなければならないのですね。

そうなると
人と人との関係がものを言います。

学校なら
「授業料払ってるから」
とか、そんなのが動機だったりもしますが
伝える側は「仕事だから」という義務感では限界があります。
誰にでも限界まで多くのものを深く伝える
そんなことはできません。

基本的には
知を求める側と与える側
双方共にコミュニケーションの能力が必要とされるのは当然ですが
それ以外にその人が持つ資質が重要になります。

それは当然
求める側と与える側 双方の資質です。

聞きやすい
とか
与えたくなる
とか
色々あるでしょうけど
やはり基本的には熱意があるとか
ポジティブな印象を持つ場合は有利に働くでしょうね。

冒頭の
「前向きで愛嬌があること 」
というのは分かりやすい一例です。

こういうのも実践知でしょうから
色々工夫してやってみないと
ってところなんでしょうね。

私は、いい年してまだまだですが
死ぬまでジタバタ工夫していきたいなぁ
と思っています。