本音でガツンと行ってみよう

今の大学生の世代は
腹を割って本音で話せる人が少なくなっている気がします。

でも、それも理解できる。

本音で話すと
色々とぶつかっちゃうことが多いですからね。

なので、本音を隠して
うわべで
建て前で
周囲に合わせていれば
短期的には傷付かなくて済むし
楽でしょうね。

あくまでも短期的には。

彼らにしてみれば
自分を守るためには仕方なくて
そうするしかないのかもしれない。

それに
本音でぶつかるなんて
非常に面倒くさい。

自分の価値観と
相手の価値観を
ぶつけて、摺り合わせをして
着地点を作って…

理想が高ければ高いほど
ぶつかるエネルギーは大きくて
ますます面倒なことになります。

でもそのままでは
チームで大きな成果を出すことは難しくなると思います。
どんなに優秀な人材が揃っていても無理でしょう。

だって、大きな成果には
大きなチャレンジが必要になってくるのだけど
チャレンジすると失敗も多くなるわけで
安心して失敗できる環境が必要ってことです。

本音で向き合えない相手のために
全力でフォローしてくれる者はいませんものね。

なので、メンバー相互の信頼が
パフォーマンスの土台になってくるってことですが
その信頼の出発点は一体どこなのか?

そんなの簡単に決められたら苦労しないわけですが
ジタバタしながら
そういったことを構築していく必要があります。

夢工房は
それができるような環境にしていかなければならないのですが
まだまだ十分とは言えません。
というか
そういうのって、きっと終点は無いのでしょうね。
時代も変わっていくし。

こういうのって
知識や知能だけではどうにもならない世界なのですが
そこがまた面白くもあり
興味深いところでもあります。

ピンチとチャンスの話

ピンチはチャンスだ

よく言われることで
「そりゃそうだ」
と思う人もいると思いますが
理解できない人もいますね。
まあ当然でしょう。
学生ならなおさらだと思います。

ヤバいものはヤバいわけで
嫌なものは嫌なんですよね。

まぁ、それはそうでしょう。

嫌なものを避けて通れるうちは
よく理解できないかもしれません。

仕事をするようになって
嫌でも避けられないものが増えてくると
そのうち気付くのではないかと思います。

仕事してると
やらかしちゃうことや
意に沿わないことなんて
当然あるわけですが
それらから逃げられないことが当たり前だったりします。

そんな時思いましたよ
「これ、神様に試されてるぞ」
って。
「これを乗り越えたら、きっと神様がご褒美をくれる」
って。

まぁ、そうでも思わないとやってられない
ってのもありましたが
今思うと
「神様に…」
ってのが良かったのかもしれない。

だって、神様に嫌な顔できないでしょう?

「ご褒美を…」
ってのは欲の皮がつっぱってて
今思うと恥ずかしいですが。

でも、そんな風に思いながらも何とかすると
当然ながら自分のパフォーマンスは伸びるわけで
そんなこんなやっていると
仕事が面白くなってきて
ピンチはチャンス
を実感したりするわけです。

学生の中には
最初の頃からこういうのを何となく理解している者がいたり
やっていくうちに分かってくる者がいたり
もちろん、いくらやっても分からない者もいます。

在学中に色々やって
自身が「うまくいった!」という
感覚を持って卒業してくれれば最高です!

と言いたいところですが

そうじゃなくても良いのです。
在学中に大事なことが掴めれば
それで良いと思っています。
というか、それが一番大事なんです。
そのために本気で頑張り続けて欲しい。

その大事なものを持って社会に出て活躍してくれれば
それが私にとっての成功なんですね。
まぁ、その成果は大抵見えないんですが。

本当は、在学中に成果を出して
コンペティションで良い成績を取って欲しいので
成績だけにフォーカスするなら
「あれやれ、これやれ」言って
やらせちゃえば良いのでしょうけどね。

それをやると、色々知ってるだけの薄っぺらい人間になっちゃうし
言われたことをやるだけになっちゃうから
あまり意味が無いと思うんです。

そういうのを望んでる人は多いのかもしれませんけど
そんな風になっちゃうと
自分は一時的に気持ち良くなるかもしれないけど
周りをハッピーにできないですから
最終的に自分もハッピーにはならんだろうな
と思っています。

なので
学生時代はピンチに激突して
ヒーヒー言いながら克服する経験を沢山して欲しいのです。

私の仕事の一つは
学生がピンチに向き合った時に
彼らの背中を押すこと…

嫌なヤツだな(笑)

自分が変わるんだよ

「なんかうまくいかないなぁ」

そんなことがあるでしょう。
誰でもありますよね。

もちろんそんな時に

「どうしたらいいんだろう」

と考えるでしょうけど

「何をしたら良いか」

という方向で考えがちで

「何をやめたらいいか」
とか
自分の「やり方」を変える
そういうことは意外と考えていないものではないでしょうか?
そんなことないですか?

これ、どういうことかというと

そもそも、やっている事自体が
うまくいかない原因である場合があって
それが見えていないから
同じようなことを繰り返しちゃって
結果が変わらない

とか

やっている「事」が原因ではなく
自分の「やり方」に原因がある場合があって
手を変え品を変えするんだけど
もちろん結果は変わらない

もしそうなっているとしたら
いくらハードにプッシュしても結果は変わりません。
むしろ悪化することもあるかもしれない。
その結果、砕けて落ちて…
気付く時が来るかもしれないけど
中途半端だと
いつまでもそのままだったりして。

とか言うのは簡単だけど
そういうのって自分で見えていないわけだから
気付くことすら難しかったりします。

そういう指摘をしてくれる人が周囲にいれば幸運だけど
あまりそういう環境って無いかもしれませんね。

仲の良い友達ほど
そういうことを言ってくれない場合もあるでしょう。
同世代では気付かないこともあるし。

たぶん年齢を重ねれば重ねるほど
指摘してくれる人は減っていきます。

残念ながら、そういう環境に恵まれていないなら
本を読んだりして自分と異なる価値観を知って
色々やってみるしかないかな
と思っています。

で、結局
現状に満足できなくて
「うまくいく」ようにしたいと思ったら
そために自分が変わる必要があるんだね
なんて思うのです。

変わらなければ
常に結果は同じですから。