やれ!と言われてやるなら苦労しません

文句言ってても何も良くならないよね
とはいうものの
じゃぁ一体どうしたら良いのさ?

これは大問題なのでしょうけど
どうにもこうにも難しいですね。

だって人から言われて
物事良くなるなら苦労しませんから。

クリティカルな問題に対する指摘を受けたときなんかは
そりゃぁ何とかしなきゃ
って気になるでしょうけど
多くのことは何ともならないことが多いです。

じゃ、分かりやすい例

親が子供に
「勉強しなさい!」
と言う。

言われた子供は
「よーし!やるぞー!!」
なんてことにはならない。

良くてもせいぜい
仕方なくやる。

大抵はやらない。
少なくともやりたくはない。

いずれにせよ
渋々やっても
良い成果は出ません。

だって本当はやりたくないのだから。

やりたくないものなんて
成果出ませんよ。
当たり前じゃん。

でも「やれ!」って言う。

何でそんなことを言うかというと

ダメだと思ってるから。

ダメだから言わなければダメだと思っている。

そうじゃないですか?
イケてると思ったら
そんなこと言いませんよね。

もし自分がダメだと思われていたらどうでしょう?

少なくともやる気は起きませんよね。

相手に対して
ダメだ
と思うってどういうことでしょうか?

相手を信じていないってことでしょう。

相互に信頼できていない関係で
成果を出すって可能なのでしょうか?

聞くまでもないですね。

中にはまれに
言われて渋々やって
何とかなる
そんなケースもあるでしょうけど
そんなのはレアなケースでしょうね。

じゃぁどうしましょうね?

一つ可能性があるのは

相手を信じることでしょうね。

「今はダメでも何とかなるはずだから大丈夫だ」
って。
凄く勇気が要ると思いますが。

ただ、成果に関しては
冷静かつ客観的な評価があっても良いと思います。
こと、プロを目指す場合なんかは。

そういうことによって
自身による現状の把握ができないと
次のステップが決められませんし
主観的な評価だけでは
自分の外の世界では通用しませんから。

もちろん
本人が現状把握をしたら
次のステップは自分で決めないと意味がありません。

ただ
「やれ!やれ!」
言われ続けていると
やるべき事から素早く無意識に回避する癖が付いていたりするので
そうなるとちょっと難しいことになりますが。

ここでは子供と親の関係を例に挙げてみましたが
実際はこんなに単純なことではなくて
色々と大変なのだと思います。

でも、この関係を
他の様々な人間関係に当てはめてみても
基本的な構造は変わらないと思います。

学生と先生
従業員と経営者(従業員同士も同様)
国民と政治家
などなど

なお、今回言いたかったのは
性善説とかそういうことではなくて
気持ちの問題ですので
その辺は誤解なきよう。

文句言っている暇があったら何かやろう

前にも似たような記事を書きましたが
今の世の中色々あって
文句の一つもいいたくなることがあるでしょう
コロナ禍もありましたしね。

ただ気をつけて下さい。

行動せずに文句を言う
これは自分では無く
他のせいにする
ということです。

ということは
自分には非は無いから
変わらなくても良いということです。

文句を言う相手にやって欲しくて言うのでしょうけど
言われた方は
やりもしないひとも文句言われても
こっちだってやりたくないよ
と思うのが関の山。

…と
文句を言っている人に
文句を言いたいわけではなくて

もしここで
自分にも何かできるはずだ
と思って行動すると何が起きるか。

ちょっとは何かが変わるはずで
誰かがちょっぴり喜んだり
自分が成長したり
良いことが起きるはずで

それをしないのは
もったいない話しだなぁ
と思ったのです。

まぁ、色々文句言いたくなる気持ちは
分からなくも無いのですが
それをやっていると
確実に自分の行動に影響が出ます。

仕事なんかだと
文句を言われないための仕事
をするようになります。

「結構なことじゃないか!」

いえいえ。
文句を言われないための仕事を全うすると
何があるか?

安心です

成果としては最低限
ということになります。

それで十分ならそれでも良いけど
安心は喜び未満なので
幸福とはちょっと違います。

それに
安心に到達するまでは
不十分で不安だということですよね。

そこまでは基本的に
マイナスでネガティブということでしょう?

その状態で
良い仕事をするって無理なんじゃないかな。

それに
ここで言う安心とか不安とかは
あくまで自分の話であって
一緒に仕事をしたり
仕事の成果を受け取る相手はどう感じるでしょう?

例えば
お客さんからクレームを付けられることが無いように
という仕事と
お客さんを喜ばせるための仕事
これ、全然違うでしょう?

でも分かっていても
いつの間にか
文句を言われないように仕事をする
とかいうことになっていたりしませんか?

これ
「何のために」
がどこに向いているか
という話しなのでしょうけど

皮肉なことに
「何のために」
が、自分自身に向いていると
最終的には
自分のために
すらならなかったりしますよね。

逆に
「おや?」
と思って
自分にも何かできるはずだ
と、行動を起こせるなら
何かがちょっぴり良くなって
似たような人が集まってきて
ハッピーな環境が作れるのではないかな。

別に今日、何か嫌なことがあったわけではなくて
コロナ禍が収束するかどうかという昨今
これからはこの辺を見つめながら過ごさないと
成長のチャンスを逃してしまうな
なんてことを考えていました。

気付いている人にはチャンス到来です!

でっかいところから行こう

仕事としてやっている人には常識ですが
「もの」はでっかいところから行きます。

分かりにくいですね。
こういうことです。

夢工房の学生達が
レーシングカーを作ってますが
どんなクルマにしたいの?
という大枠から各部が決まっていくわけで

決して細部の設計からスタートして
最終的に全体ができあがるわけじゃないよ
ということです。

「細かいところからやったら
こんなんなっちゃった」

そんなやり方したら
最後までクルマの形なんて分からないでしょう?

それじゃ
頑張っても報われないですよ。

なので
「最終的にこうしたい」
というゴールを最初に設定して
そのための設計をするのです。

もっと大枠から考えるなら
「こうやって勝ちたい」
という戦略を考えて
次に、そのためのクルマを考える。
そのためのチームを考える。

こういう枠で考えるなら
クルマはそのためのツールにすぎないわけです。
そのツールをどうするかは
戦略によって決まるということです。

そんなの当たり前なのですが
学生にとっては新鮮
というか、信じがたいのかもしれません。

だって
ずーっと
細かいところから始める
というやり方でやってきたのですから
最初は仕方ないですけどね。

なので、大学で勉強しているのに
「将来どうしたいの?」
と聞かれても返答に困る学生がいるのは
当然といえば当然ですね。

細かい要素的な勉強を
頑張って積み上げれば
そのうち何とかなるだろう
ってやってきたのだろうから。
周囲もそう言っていただろうし。

さらに言うなら
理工系の学生って
基本的にテクノロジーとか要素好きなんですよ。
なので、小さい単位の何かに惹かれるとか
拘りを持っちゃう傾向が強いのだと思います。
そういう気持ちは良く分かる(笑)

でも
夢工房に来たら逆になっちゃうんですよ。
でっかいところから行かないと
何のために何をやっているのか
どうしたら良いのかが
分からなくなっちゃって
迷走する。

とはいえ
急に今までの考え方をひっくり返すのは難しいことです。
そう、考え方を変えるって難しいんですよ。
一番大事なことだと思うんですけどね。