選択肢が見えるってことは幸運

初めて行った場所で感じる期待感に混じる不安感

困難に遭遇したとき、やらかしてしまったときの焦燥感

サーキットを走るときの緊張感とスリル

どれも最初は受け入れがたいものかもしれません。

でも、変化を受け入れて
それを楽しむことができれば
大抵はうまくいきます。

そういうのが苦手な人もいますね。
嫌なものはイヤだって。

辛い食べ物なんかを例に挙げると分かりやすいかも。
辛さは味ではなく、痛みだそうです。

それに慣れて好むようになる者もいるけど
全く受け付けない者もいるわけで

変化を好む者がいれば
変化を嫌う者もいる

まぁ、そういうことでしょう。

そうなるまでは
環境の影響なんかはあったでしょうけど
どちらを選ぶかは基本的には自由です。

どちらが良いとか悪いとかは無くて
望む方を選べば良いとは思います。

そもそも、現状を把握できて
選択肢が見える
となった時点でラッキーだと思います。

後は選択に準じて生きるだけ。

最初から理想像を探す必要は無い…かも

やりたいことを探す
自分の理想を探す

そんな話を聞くことがあります。
気持ちは分かる。

理想を追求すること自体は否定はしませんが
足を止めて、そんなことを考えていても仕方ないのですよ
というお話しです。

入り口になる、いわゆる「とっかかり」は見付かるでしょう。
恐らく結構簡単に。

でも、その状態で
理想像は探しても見付からないかもしれない。
周囲の容易に見える所には無かったりするから。

それは高い山の頂上にあったりする。
だったら、山を登らないと拝めない。

それは地中に埋まっていたりする。
だったら、掘らないと拝めない。

そんな感じ。
つまり、やってみないと分からない。

やってみて、それ以上ないところに到達したら分かる
ってことではないですよ。

山に登って周囲を見渡したら
もっと高い山が見えるわけだし
掘ってみたら
まだまだ掘れることが分かるわけだし

まずはやってみる
そこで見える景色がある
ってことです。

チャンスがあったら掴んでみましょう。
それができるかできないか?
それが自分に合っているか?
そんなことを考えても仕方ありません。

どうせ最初はできもしないし
合ってもいません。
だって、やったことがないのだから。

間違えないように
失敗しないように

立ち止まって探して、考えていたら
山に昇る時間も、掘る時間も無くなりますから。

上りながら、掘りながら、走りながら考えたら良いですよ。

ガッツは別に古いものではない

「何かにチャレンジして
できなかったときや
失敗したとき
残念な気持ちになるのだけど

よく考えてみると
心の片隅に
やらずに済んでホッとする気持ちがあって
今まで、それに慣れていた」

そんな話を学生から聞きました。

うん。分かる分かる。
背徳的な安堵感とでも呼ぶべきでしょうか。

それを意識していたり、していなかったり
許していたり、許せなかったり

色々でしょうけど
ヤツとどう向き合って
どう付き合っていくかで
結果は大きく変わるんだよなぁ

なんて思いながら彼の話を聞いていました。

ヤツの存在を無視したり
それに慣れたりするのは

本来
やりたいこと
やるべきこと
があったのに

できない
やらない
ということになるのを
自分で決めてしまっているので
自分への裏切りになります。

自分を裏切ることに慣れるとどうなるでしょう。

色んなことに対して
できる気になれない
ということになるでしょうから
あまり面白いことにはならないでしょうね。

というわけで

望み通りにならなかったときに
心の片隅に現れる、ヤツを放置しないってのは
思いのほか大事なことなのです。

ヤツをどのように扱ったか
それによる結果は
年を追うごとに大きくなっていくはず。

結局、大事なのはガッツってことになるのでしょうね。
最近めっきり耳にしなくなった言葉ではありますが
別に不要になったわけではありません。