流れが見えた

ふと思ったのですが
というか、今さら気付きました。

今の若い世代
どうやって成長するんでしょうか?

恐らく、学校でも会社でも同様だと思うのだけど
ちょっとキツいことに遭遇したり
キツいことを言われると
ハラスメントとかって話になっちゃうのではないかな。
「ブラック」とか言われちゃって。

なので、形式知に偏重した学びや業務の内容になっていくのは当然で
学校で実践的なことをやれなくなっているのは当然で
会社では、熱い仕事ができなくなってきているのではないかな。

そして、それはコロナ禍でブーストかかりましたね。

今後もそんな方向に進むのであれば
リスクや負荷が大きい事をやらないと分からないことは
永遠に分からない。

一頃言われていた「ものづくり教育」が下火になるのは当然です。
だって、ものを作るってリスクも負荷も高いですから。
数字で評価しにくいし。

昨日の記事で「火事場の馬鹿力」なんて書いたけど
そういうのを発動する領域になんて
そもそも行かないのではないでしょうか。

だとすると、これは由々しき問題です。
この先、一体どうなっちゃうのか。

どうなっちゃうのかは分かりませんが
好きなことにのめり込んで
タフにプッシュする環境に身を置いた者であれば
これを解決することができそうです。

でも、従来型の教育では解決できそうもありませんね。

こりゃぁ面白くなってきたぞ!
大変だけどね。

追い詰められると伸びるのは当然

まぁ、人によるとは思いますが
この場合は目標と向上心をを持っているならば。

追い詰められて、壁にぶつかったとき
何かしらの問題が起きたとき
と言っても良いですが

そんな状態で、どうしてもどうにかしたければ
知恵が発動します。

これは、形式知の知識を得るというのとは
内容も使い方も、かなり異なります。

言ってみれば、「火事場の馬鹿力」のようなものですが
これは平常時の限界値を超える力で
コイツが発動することによって
徐々に限界が引き上げられていきます。

そんな経験ができる場に身を置いているかどうか
それはとても大事なことだと思います。

でも、そういう状態って
言ってみれば危機的状態なわけで
そんな環境に好んで身を置く人は少ないでしょうね。

なので、好きなことをやって
その中で壁にぶつかるってのが重要なのです。
しかも、若いうちじゃないとダメ。

我々は何でもできる!

昨日の話の続きでもあります。

どういうことかというと
こういうことです。

我々は、コップを沢山持っています。
壺でも良いです。

それらのそれぞれは
我々がやることを示しています。
自分がやりたいこととか
やらなければならないとされていることとか
そういったことです。

そのコップが一杯になるということは
やり切ったとか
成功したとか
そういうことだとしましょう。

10個でも20個でも良いので
コップが並んでいると想像しましょうか。

あなたは、それら沢山のコップ全てを満たそうとしていませんか?
たぶんそれは無理です。

多くのコップをできるだけ均等に満たそうとしても良いのですが
そうすればするほど多くのコップが中途半端になります。

でも、どれが一つを選んだらどうでしょうか?
そのコップを満たすことはできそうでしょう?

「何でもできる」ってそういうことです。
何を選ぶのも自由です。
勇気は必要かもしれませんが。

実生活では、「どれか一つ」という訳にはいかないでしょう。
でも、基本的な考え方はそういうことです。

どうせ完璧な人間なんていないのです。
それを前提に
あなたはどうなりたいですか?
という話なのです。