未来予測とその対応 その4

今回は、これ。

・大学の教育が社会とかけ離れているので、日本では大学卒業のニーズが高まらず、逆に下がったりする

学校の先生にこういうことを言うのって、勇気要ったんじゃないかな
と思います。今さらながら。

そもそも、大学の教育が社会とかけ離れていることに気付いているのか?
それが問題だと認識しているのか?

たぶん認識していません。

大学を出たら仕事をするわけで
そのためにはスキルが必要です。

スキルとはなんぞや?
というと
仕事に必要な技能だったり能力だったりするわけです。
もちろん知識も重要です。

仕事にはスキルが必要で
スキルを構成するのは技能とか能力とか
つまり実践する力ですね。
そのために知識も必要
ということです。

本来、そういうのって
「やってみて」初めて分かることです。

学校で学生は
それが本当に必要だ
なんて思っていません。

そういうのを実感する機会なんてありませんから当然です。

「重要だ」
と言われているからやっているだけです。

本当は、実際に仕事をしてみれば良いのかもしれません。
すると
「あぁ、こういうスキルが要るのだな」
と分かる。

で、技能やら知識やら
欲しいものが見えてくる。

「欲しい!」と思ったときに
手に入れるのが一番良いはず。
そうやって自ら進んで手に入れたものは忘れませんし。

なので、学生のうちに
好きなことをやってみるのが超重要なのです。

これ、逆は不可です。

知識を手に入れていくと
やがてそれが技能になって、スキルとなる
そして仕事ができるようになる
なんてことは起きません。

どんなに「知って」も「できる」ようにはなりません。

学ぶ内容や、持っている知識の量が問題ではなく
仕事をする上で必要なスキルを身に付けようとしていない
そこが問題の本質的な部分ではないかと思うのです。

でも現状は
やり方に問題があるのに
コンテンツの問題にしようとしている
そんな気がしてなりません。

授業を変えたり増やしたり
内容を変えずにハードにプッシュしたり
そんなことで本質的な部分は変わりません。

でもそういう状態から
学校は変わりたくない
学生も変わりたくない
言ってみればウイン・ウインの関係が現状。
もちろん悪い意味で。

ついでに言うなら
親も塾の先生も変えて欲しいとは思っていないでしょう。

新人を受け入れる先輩エンジニア達は…
まぁ、そりゃぁ…ねぇ。

Formula SAEやCanSatなど
好きなことを一所懸命やっている学生達って
就職に困らないのは当然ながら
卒業後は楽しそうに仕事をしてるわけですが
そりゃぁ当然だろう
と思う理由の一つが今回の内容です。

生意気にも色々と理屈を書きましたが
教育に関する問題の本質はこの辺だと思います。

恐らく似たようなことを考えている人が
日本中にいるのだと思います。
そのうち変化の時が来ることでしょう。

未来予測とその対応 その3

お次はこれです。

・これからは、マーケティングと技術の両方が出来るようにする必要がある。作れるだけではダメ

これは、ずいぶん前から意識していました。

ものを作る仕事をしている人は
当然のように理解している人も多い
…と思いたいのですが
意外とそうでもなかったりするのが現状ではないしょうか。

設計するにしても、製作するにしても
「何のために」が分かっているといないでは大違い。

前職では開発をやりながら

製品は商品としてお客さんに喜んでもらう必要があるのだから
売ることを理解していた方が良い仕事ができるに決まってる

なんて思いながら
独学でマーケティングを勉強していたのです。

業務上のオーダーがあったわけではありません。

ものを作る仕事なのだから、ものの価値について興味があって
なぜ売れるか、どうすれば売れるか、売るためにはどうしたらいいか
なんてことが気になっていたのです。

単に、やるべきことをやる、言われたことをやる
ってのもつまらなくて
その上を狙う、より付加価値の高い仕事をするにはどうしたらいいのだろう?
なんてことも考えていました。

これ、実に勉強になったし面白かった。

領域を限定して深掘りするタイプではないので
色々な分野にまたがって
相互の最適化みたいのが性に合っていた
というのもあるのかもしれません。

学生もマーケティングを知るべき
というのは同意できます。完全に。

お客さんが喜んでくれる価値を創造して提供する

設計だって製作だって、そのためにあるのです。
知識も技術も、そのために得て
そのために使うのですから。

より良いものを作るというのは
もっとお客さんを喜ばせる
ということで
そのためにはマーケティングの知識は必要でしょう。

未来予測とその対応 その2

次はこれについて考えてみましょう。

・幸福な子供とは
学校が好き、親と話が出来る、友人がいるとか

「子供とは」という表現になっているのは
「学生」とか「生徒」とか
学校で学ぶ者ってことでしょうね。

大学生は子供ではありませんが
社会に出て自立しておらず
親に依存しているということでは
「子供」という見方をしても良いのかもしれません。

学校が…親が…友人が…

そう。
結局、楽しさも悩みも
大抵は人間関係が根源にあったりします。

それがうまくいっていれば楽しいでしょう。

特に、自分が相手の役に立っていて
相手が喜んでくれるなら、なおさら。

やりたいことができて嬉しくて
それが相手の役に立って喜んでもらえて
そのリアクションで嬉しくなる
というようなループができると良いのですけどね。

なにもその場で相手が喜ばなくても
明るい未来が感じられれば良いのでしょうけど。
でもやはり、継続のためには
誰かしら相手が必要でしょう。

さらに
チームで力を合わせて何かをやる
ということになれば
表面的な友人関係を超える人間関係の構築に繋がるわけで
将来仕事をしていく上で重要なことでもあります。

そんなわけで
好きなことを一所懸命にやるのは
幸福感の源泉となり得ます。

大学なんてのは
基本的に自ら望んで行くのだから
そこで好きなことを一所懸命やるべきなのです。

が!
そうはなっていませんね。

学校教育は
教員側は、「やらせるものだ」
学生側は、「やらされるものだ」
ということになりがちです。
もちろんいずれも「外的動機によって…」と付きます。

そういう状況で
好きになって一所懸命…
というのは無理そうです。

学校で好きなことができているのか?
学校が好きになれるか?

これは学校側、学生側
双方にとっての課題です。

学生が金払ってるんだから
それは学校側の課題だろうって?

いやいや
学校側が一方的に準備するって時点で
「やらせる」
になっちゃって
楽しくなくなっちゃって
本末転倒、振り出しに戻る
です。

今の授業の形態と評価のシステムでは
どうも無理っぽいですね。当面は。

とはいえ、それらが変わる保証も無いし
それまで何もしないってのもどうかと思うので

当面は有志が自力で何とかしていくしかない
と思っています。