どこまで考える?

我々の周囲には多くの「もの」がありますが、それらの多くは人の手によって作られたものです。当然ながらそれらは人が思って考えて作ったということです。
そして、それらは何かしらの目的に沿って作られているわけですよね。

作る過程では、「何のために」「どうする」という2つの考え方が必要になります。

「どうする」は手段です。いわゆる過去の経験をベースとしたノウハウなんかがこれに相当します。新しいアイデアだったりもしますが。

対して「何のために」は目的で、未来に関することです。
これは、未来を「どうしたいか」という想像力ということですよね。もちろん、色んなことが対象になるでしょうけど、最終的に行き着くのは「人」です。「何のために」をどんどん掘り下げていくと、最終的にたどり着くのは人の心だったりします。誰にどう思ってほしいか、とか。
一般的には、対象の大きさが価値の大きさということになります。

で、これらを実現するためには「行動力」が必要になるでしょう。
これはちょっとどういうものかというのを一口に表現するのは難しいのですが、勇気とか精神力とか、そういった気持ちの強さと持続力でしょう。

もちろん、これらは完全に独立したものではなく、それぞれの能力とか経験が相互に影響していて、ものを作った経験がなければ未来は予測しにくいということもあるでしょう。
もちろん、色々な経験がそれぞれの能力を育てるわけですから、経験の質とか数は何よりも重要でしょう。

社会において何かをするときには、これら3つをどのようなバランスで持っているかによって立ち位置が決まるということになるのだと思います。

今、目の前に現れた快楽を手に入れたかったり、不快を排除したいなんてことは良くあることで、そんな時は「今」目の前にあるものにフォーカスしています。すごく短期的な未来に焦点を当てているということです。

それは誰でもやっていることなので、別に良いとか悪いとかを言いたいのではなく、そういった「反応」的な行動で日常を埋めてしまうのではなく、どのくらい先の未来まで、どのくらい考えるかというのは自由なわけで、そのための行動も自由です。それによって、自分や自分が関わる人たちの未来が変わってくるわけですよね。程度問題ってのもあるでしょうけど。
だったら、少しでも望む未来に向けて、長い時間軸で考えて行動するというのをやってみても良いのではないでしょうか。
というのが今回言いたかったことです。
もちろん、日々の自身の課題でもあるわけです。

思い通りにやってみな

かつて日本が大成功していたときは、同じものをたくさん作っていました。
それをたくさん売って大成功!
いわゆる薄利多売というヤツです。

そのためには、決められた一定レベルのことができる同じような人がたくさん必要でした。

もちろん、そのためのに必要なことを考えて決める人も必要だったのですが、何せ、低い利益率で沢山作るわけですから、そういう人は相対的に少数です。

ところが、経済が発展して人件費が問題になってくると、今までとは同じやり方では成立しません。
人件費を抑えるために、発展途上国に生産拠点を移したりするわけです。

そんなふうにして経済とか産業がグローバル化していくわけですが、もちろんそういったことによる弊害というのがあるわけで…
国内の産業の空洞化とか、サプライチェーンの問題とか、その辺は良く言われることでしょう。

ところが問題はそれに留まらず、以外と着目されていないのが、ものづくりそのものに関することです。言ってみれば、ものづくりのための人づくりですかね。

例えば、学生や若い技術者が、基本的なものづくりのセンスを獲得する機会が減ってしまったがために、現実的な設計ができないとか、そんなことが問題になるでしょう。

学校での学びは、狭い専門領域の学び、特に座学に特化していて、実践的な経験ができない状態になってきています。
それに加えて、全体を考えるとか、纏めるとか、そういった経験はほとんどできないと言っても良いでしょう。

もちろん狭い領域で深掘りしていくようなテクノロジーは重要なのですが、そればかりでも困りますし、そもそも個別のテクノロジーは、ゴールとしての「全体」によって必要性が決まるのです。

勘違いしてはいけないのは、個別のテクノロジーを合体させていって全体ができあがるわけではないということです。
全体のあるべき姿や、必要な機能に対してテクノロジーが必要になるわけで、個別のテクノロジーを使うために全体があるなんてことはありません。大抵は。

なので、全体を構成するとか、全体から考えて必要なテクノロジーを決定するというようなアプローチを経験した人が必要になるわけですが、こういった経験はなかなかできません。
でも、そういうことができる人は絶対に必要です。

というわけで、夢工房でやっているようなレーシングカーとか惑星探査機をゼロから考えて作っていくというような経験は、とても重要なのです。

でも、そういった経験が無い学生がやるわけなので、どうしたら良いか分からないところからスタートするわけです。

するとどうなるかというと、彼らは今までの学校での学びでやってきたように、テストの解答のようなやりかたをしてしまいます。
「きっと正解があって、考えていけば導き出せるだろう」のような。

ところがそうはいきません。
「どうすべきか」は「どうしたいか」で決まるのですが、そもそも何が何だか分からないところから、仮定をしてトライアンドエラーをしながら限られた時間内でどうにかしないといけません。

そんなことをしていると間違いなく失敗を経験するのですが、過去の経験からは「失敗は悪いことだ」といった先入観もあって、なかなか前に進めないかもしれません。

でも、そもそも失敗も重要な経験なので、そんなものを恐れずにチャレンジすべきです。
「自分はこうしたいのだ」って。

失敗したって怒られたっていいじゃないかと思います。
ジェットコースターだって、何度も乗れば楽しくなってくるもんですよ。
そこで初めて見える景色があるのです。

理屈・理論では動けない

人は理屈とか理論、公式では動けません。
法律やルール、常識などに縛られていたりもしますが、それによって動くわけでもありません。

では、何によって動いているかといったら、やはり自分の「心」に従っているということになるかと思うのです。

だって、理屈やルールに従って、なんでもキッチリできるわけじゃないでしょう。
いくら理屈通りでも、やりたくないものはうまくいきませんし、ルールに従えないことだってあるでしょう。ここでは、それが良いとか悪いとかという話をするつもりではありませんが。

結局、行動を決めるのは各人がどう思っているかということです。

なので、国や組織、個人の行く末とか、そういったところを理想に近づけていくには、同意できたり信じることができるゴールが必要で、それに対して「どう思っているのか」というのがとても重要になるかと思うのです。
だって、どう思っているかが行動につながって、それによって結果が決まるのですから。

我々の心が何をするかを決めている、未来を決めているということになりますね。

そんなことを考えていると、一人の学生がやりたいこと、やるべきことを一所懸命やるというのは、実はとても大事なことなんだよなぁ、と思うのです。
その成果が及ぼす効果は、本人が思っている以上に広範に影響を及ぼすはずですしね。

そういったことがうまくいかなかったりする理由などは、調べたり考えたりすれば色々出てくるかと思うのです。でも、大事なのは「ではどうするか?」です。
これも答えなんて無いでしょうから、やはりトライアンドエラーで模索するしかないのでしょうね。これまた理屈じゃないってことですね。