何のための学び? 環境が大事

ぶっちゃけ私の大学は、ずば抜けて勉学のレベルが高いわけではありません。
そもそも実践力重視の大学で、「勉強さえできればいいよ」という訳ではありませんから。

その「実践力」は何かというと、細かいところでは色々あるでしょうけど、大事なものの一つが創造性。クリエイティビティでしょう。
そしてもちろんこれは「やる」を含んでいます。
考えているだけでは何も起きませんから。

特に夢工房であれば、彼らのほとんどはエンジニアを目指しているのですから、なおさらです。

では、クリエイティビティを養うためにはどうしたら良いか。
これはもう、日々考えています。
そして機を見て色々試しています。
もちろん試しても外すことは多い、というか、外れる方が多いかもしれませんが、かと言ってやめるわけにはいきません。

とにかく経験の数を増やすことが重要なのですが
その前提として大事なのは…

やらせないことです

別に禁止するってことじゃないですよ。
「やれ」と言うことによって行動を促さないという意味です。

おそらく多くの人が誤解しています。
「やれ」と言われてやらされて、そのやっていることが好きになることなんてほとんど無くて、逆に嫌いになったりすることの方が多いでしょう。
嫌いなものなんてうまくいくわけないのですよ。

嫌いなことばかりやっていたら、そりゃぁ失敗したくありませんよ。
そもそもやりたいことでなくて、さらに失敗したくないということになったら、最高の選択は「やらないこと」です。
ノートライ・ノーエラー
これは最悪です。

じゃぁどうするか?

ここが難しいところです。
が、現状では、夢工房のスタイルは案外理想に近いのではないかと思っています。

授業ではなく、クラブ活動でもない。

これ、何が良いかというと…

もし授業だと、やらないと単位を取れないわけですが
これは、やらされている状態に極めて近い。というか、ほぼイコール。
なので、なんとか単位を取れる最低限を目指すことになるでしょう。
そしてもちろん失敗を恐れる。

クラブ活動だと、一見自由にやれて良さそうですが、やる自由があるけど、やらない自由もあるというか、緩さを許容してしまう。

「好きなことやるのにシビアにやる必要あるの?」
と思う人は、緩いことをやっても、何ら問題ないのですが
夢を実現するとなると話は別です。

やはり本気じゃないとね。
本気でやりたい、と思える環境が重要なのです。
そしてそれは、教員だけで作れるものではありません。

何のための学び? 「自分事」にしよう

他人事ではなく、自分事にしましょうよ。
と言うお話しです。

例えば、何かの理論があったりして
授業では、それが何に必要なのか実感できないままに「覚えろ」みたいなことになります。
それは何かのための手段なのですが、その「何か」が腹に落ちていなければ、頭に入っていきにくい。
本当に必要だと思っていないものなんて、本気でモノにしたいとは思えないでしょう。
まるで他人ごとのような学びになります。

学校では、それが受験のためとか、単位のため、なんてことになっていますが。
そもそも、受験とか進級とか卒業なんてのは、最終的なゴールにはなりません。
だって、それは手段に過ぎないから。

なので、学校での学びは、手段のための手段を学ぶ
みたいな複雑怪奇なことになっていて
そんなものはそう簡単に腹に落ちないでしょう。

なぜそんなことになっているかというと
汎用的な学びをしなければならないからでしょうね。

要は、色んな分野にまたがったことを勉強することが前提になっていて
具体的なゴールが提示できないのです。

例えば、クルマが好きな学生に、力学とかを教えても、そう簡単に頭に入っていかないでしょう。
クルマを設計するのに力学が必要だと分かっていても、です。

もっと具体的なクルマのビジョンを想像して
その使用用途とか、求められる性能とか、構成する要素…
と、落とし込んで、その末に

「この部分には、こんな力がかかるのだけど、こういう結果が欲しい。
じゃぁ、どうしたらいい?」

みたいなことになれば、かなりやる気になるはずです。
だって、自分が好きなものを構成するための具体的な手段ですから。

で、実際に作って、できたものを試して、出た結果について

「じゃぁ、次はどうしよう」

と考えてトライしてみる。

海外大会に行くなら英語が必要になるし
イベントで事業展開のプレゼンテーションがあるなら、そのスキルも必要になる。

こんな学びがあって良いと思うのですよね。
というか、これこそが学びだと思っています。

我が国は少子化に向かっているのであれば、学びもそれに合わせて
少人数で、より質の高い実践的なものにしていけば
何の問題も無いどころか、より高い価値を生み出せるはず。

何のための学び? こんなのどうかな?

やはりね、やりたいことをやるのが一番でしょう。
大学生は義務教育は終えているわけだし、義務的なやり方はいい加減終わりにしても良いと思います。

やりたいことを徹底的にやろう
やりたくないなら、やらなければいいじゃん

こういうのがあっても良いと思うんですよね。
そういうのが心配な人は、あらかじめ用意されたプログラムを粛々とこなせば良い。

やりたいことをとことんやれば、かなり尖ったパフォーマンスを持てるのは間違いないでしょう。
仮に最終的な成果が満足いかないものだったとしても、です。
そこから学ぶものは大きいから。

そう、そういうことから得る経験や、気付きこそが「学び」だと思うのです。
しかも自分から掴みに行っているわけで、やらされるのとは大違い。

こういった経験から得たものは、そう簡単には忘れません。
自分にとって必要だったから得たものは、その後も何度も使うことになりますし。

対して、授業で覚えたことは、卒業したら数年もたたずに忘れてしまうことが多い。
学校で色々学ぶのは良いですが、すべてが必要なことではありませんし
使わないことなんて、いずれは忘れてしまいます。

現在の教育の形は、効率を追求した結果だと思うのですが
果たしてそれは、何に対する効率なのか?
そもそも、教育に効率を求めるのは良いことなのか?

こういうのは常に考え続ける必要がある気がします。

やりたいことをやるために行く大学の中で
さらにやりたいことにフォーカスした夢工房
ここでは授業ではできないチャレンジをするのです。