何よりも大事なこと

これは簡単。
「やること」
です。
何度もネタにしていますけどね。

学生の場合、ここに余計なことがつきます。

「正解」を「やる」
と。

これは
答案用紙に正解を書く
みたいなことで
つまり、正解をアウトプットするということです。

これは、不正解は書けない
ということでもあり
不正解はアウトプットできない
ということであり
正解以外はアウトプットできない
ということです。

これ、一見良さそうです。
でも、致命的です。

どういうことか?

やったことがないことにチャレンジする
なんてことにともなって
アイデアを出す
とかいうことになると
何が起きるか分からないけど
最終的には、望むことや、最適なことを起こさなければならない。

そういう状態では
やってみないと分からないからやる
とか
ダメかもしれないアイデアを出す
なんてことが必要になるわけですが

困ったことに、それらは正解とは限らないし
むしろ、ダメな結果から最適化していくようなことになります。

そこで
正解じゃないからでアウトプットできない
なんてことになると、全く前に進めません。

進めないどころか
始まる前に終わってる
みたいな状態です。

お勉強ばかりして
チャレンジした経験が不充分だと、多くはこうなります。

チャレンジって、リスクを取ることが前提になっているので
安心・安全を追求した価値観だとチャレンジはできません。

開発などに携わるのであれば
価値観をひっくり返す必要があります。

考えすぎて「やる」ための時間が無くなるより
考えが不充分で失敗する方が百倍マシです。
その経験を未来にフィードバックするのであれば。

そんな経験のためのフィールドが夢工房なのですよ。
ま、本人が望まない限りは何も起きないのですけどね。

一体何が大事だったのか

仕事をする上で大事だったのは何だったのだろう?
なんてことを、よく考えるのですが…

具体的に「これだ!」みたいのは無い
というか、簡単には明確化できないのですよ。

そういうピンポイントの要素のようなものではなく
もっとこう、点ではなく、面のような…というか
明文化しにくいものがあったのは確かです。

だってね、そんな簡単に明文化できたら
それを明らかにして共有して
誰だってそれをやれば良いわけで
そうじゃないから苦労するわけで
その中に価値の源泉が隠れているのです。

なので、夢工房の学生達には実践を通じて
大事なことを獲得しているわけです。

とは言うものの
何とか大事なものをひねり出して見えるようにできないかな
と、日々色々考えたり、思い出そうとしたりしています。
それがこのブログ。

正直なところ、実体験に勝るものは無いので
果たして文章でどこまで表現できるか
というのが課題ではありますが。

せっかく前職でエンジニアをやってたのだから
その辺をもうちょっと真剣に考えて
可能なところは明文化にチャレンジしてみるべきだよなぁ
なんて改めて思っているのです。

逆は…不可だ

現状の教育現場はどうなっているのでしょう。
どうしたくて、どうなりたいのでしょう?

学校は、学生を同じように仕上げたいし
学生は、皆と同じようになりたい

そんな感じではないでしょうか。

これを
そもそも同じじゃなくていいじゃん
とすると、どうなるのでしょうね。

というのも
学生達は小さい頃から「やらされ」まくっちゃっているので
心の片隅に、「できればやりたくない」とか
「できるだけ楽したい」とかが見え隠れするというか
やらされているときのやり方しか知らないような感じがするのです。
これ、まずいなぁと思います。
というか、もったいない。

そういう私も学生の時分は、そんなものだった気がします。
機械工学科に入りましたが、授業が全然面白くないというか
これを学んで何かができる気がしないというか
実践に結びついている感じが無くて
なんでこんなことやらなきゃいけないの?
これができないと、仕事もできないの?
と、ずっと思ってました。

なので、「できればやりたくない」とか「できるだけ楽したい」
という気持ちになっちゃうのは分かります。

でも、社会に出たら
そんなのできなくても仕事できるな
仕事しながら必要なことを学ぶのが勉強だ!
と実感しましたが。

勘違いして欲しくないのは
知識なんか不要だ
と言うことではないのです。

エンジニアリングするのに工学の知識が必要なのは当然です。

確かに基本は重要で
細かい個別の知識が基本だと言えば基本なのでしょうが

が!

工学の知識があればエンジニアリングできるとは言いきれません。
これに関しては、逆は不可だと思います。

それ以前に
エンジニアリングしようとして壁にぶつかった時に感じる
「工学の知識が欲しい!」
という自身の「思い」とか「気持ち」が重要なのであって
それが知識をモノにしようとする原動力であるべきでしょう。

本当に必要なときには、知識は自然と入っていきますし
そんな時に掴んだ知識とか経験は
そう簡単には忘れません。

原動力がない状態に、知識を突っ込んだところで
利用なんてできないどころか
外力で突っ込まれたものなんて
遅かれ早かれ嫌になるでしょう。

一番まずいのは、その習慣が身についてしまって
「消極的」が、デフォルトの姿勢になってしまうことです。

そうなってしまったら、仮に何かやりたいことが見つかっても
なかなかうまくいかないだけに限らず
なぜうまくいかないのか、自分でも分からない状態になります。

本人は、自分が「消極的」になっていることに気付いていないわけですから。
それは大変不幸なことです。

「消極的」な人にチャンスをあげたり、協力したりする人はいないでしょう。

…と思ったけど、学校は違いますね。
積極的だろうが消極的だろうが
「やらせる」から、そういうの関係ないのですね。

でも、積極的で行こう!
学校では評価されないけど、その習慣を身に付けるのは
社会に出てからでは遅いから。