ぶっちゃけると

今日はぶっちゃけます。

Formula SAEという
世界中の学生がレーシングカーを作って競い合う
そんなイベントに
20年あまり参加してきて分かったこと

…の一部を記憶から引っ張り出して
今日のネタにしてみましょう。

アジア勢をはじめとする
いわゆる発展途上国など
新興勢力のパワーは
何となく
ではなく
かなり理解しました。

というか
だいぶ前から理解していました。

中語、韓国をはじめ
台湾、タイ、インド、パキスタン、イラン
色んなチームを見ました。

彼らに遭遇した場所は
アメリカとオーストラリア
が中心ですが。

みんな凄いパッションです。

あの連中が社会に出て
良い仕事をするのは当然でしょうね。

一概には言えないとは思いますが
彼らは日本人以上に
こういう活動で海外大会に出るのは大変だと思うのです。

でも頑張ってます。

でも、マシンの性能や品質はどうなんだ?

自動車大国、日本の学生に敵うわけないだろ!
とお思いですか?

それは一概には言いにくいところです。
チームによって色々ですからね。

レベルはピンキリですが
でも、日本が圧倒的に優れている
とは言えないのが現実です。

新興勢力のチームは
何かしら強みを持っていたりします。

あくまでも欧米の大会で見かけた内容を
ベースとしたお話しですが…

約20年前
すでに日本のチームは
韓国のレベルに追いついていませんでした。

今や中国や台湾、タイなどのチームは
外観の品質で言うなら
日本よりレベルは上だと思います。

インドのチームなんかは
以前は、ひどいありさまでしたが
今やカーボンファイバーのホイールを作ったりしてますし

パキスタンなどは
品質こそ低いですが
モノコックのボディにトライしたりしています。

イランなんかは
まともな遠征計画もないのに
何が何でも、とにかく現地行く
で、やれるだけやる。

オーストラリアを含めた欧米はどうかというと
日本のチームよりよほど繊細で
高品質な部品を作ってくるし
戦略面で強いし、スキルレベルも高い。
これはずっと前から当たり前のこと。

日本人は繊細で器用?
そんなことは無い。

じゃぁ、日本人の強みは無いのか?

正直、思い当たりません。

自分達が普通にやっていることは意識できないし
自分達にとって当たり前だと思っていることは見えない
そんなことが思い当たらない理由なのかもしれません。

なので、外から見たら
何かしら良いところがあるのかもしれません。

日本人だって頑張ってはいます。
真面目にやっています。

でも、諸外国勢のパッションをベースとした
チャレンジ精神には到底敵わない
というのが現状です。

日本人、チャレンジできていません。
夢が炸裂していないのです。

Formula SAEは一例です。
私が知っている世界なので
例に挙げやすかっただけです。

でも、たぶんマクロ的に見ても
そういうことになっているのだと思います。

別にここで泣きを入れたいわけでも
言い訳をしたいわけでもありません。

生意気なようですが言わせてもらいます。

日本の企業の給料は
1980年代から下がり続けているそうですね。

たぶん、新興勢力を甘く見ていたのではないでしょうか。
自分達はイケてるから
このまま行けば大丈夫だ
と思っていたのではないでしょうか。

言い方が悪いけど
「あいつらに、こんなレベルの高いことできるわけないだろう」
と思っていたのではないでしょうか。

企業活動はもちろん
学校だって
「レベル高いから大丈夫だよ」
といって
同じやり方を続けてきたのが
原因の一つのような気がするのです。

もちろん、皆がバラバラと違うことをやっていったら
収拾が付かなくてカオス状態になるでしょうから
何でもかんでも変わっていれば良いのかというと
そういうことはないでしょうけれど。

継続すべきこと
変えるべきではないこと
守るべきこと
というのはあるでしょうが

多くが守りすぎで
やり方が単一的すぎた
そんなことはないでしょうか。

周囲が徐々にでも上昇しているなら
水平飛行している者は
相対的には下降しています。

世界はパイ取り合戦なので
周りがいっぱい取っちゃうと
自分の取り分は無くなるのです。

1980年代から比べれば
みーんな塾に行って勉強するようになって
大学の進学率も上がってるし
大学院にもたくさん行くようになった。

でも何で給料下がっちゃうの?

いっぱい勉強すれば
素晴らしい製品が作れるようになって
それが売れに売れて
ハッピーになるはずじゃなかったの?

今は何が致命的かって…

チャレンジできないのですよ。

真面目にはやっています。
怒られるようなことは極力しないから
大した問題は起きません。

でも

欲しいものを
デカイ声で
「何が何でも欲しいんだ!」
って言えないんですよ。

そんなんで面白いのか?
と言いたい。

リスク取って頑張っていれば
失敗して落ち込むこともあるし
思いがけず人様に迷惑を掛けてしまうこともあるかもしれません。

でも、そんなのは成長過程においては仕方ないことで
後になって、何倍にも価値を増幅して
リカバリーしたり恩を返せば良いと思います。

何度も同じようなことを言っていますが
この状態は
私を含む年長者のせいです。

この環境を作ったのは我々だから。

でももちろん
本人にも頑張ってもらわなければなりません。

現状の延長で行くのが嫌ならば
皆でこの状況を何とかする必要があります。

こんなこと
偉そうに口で言っていても
多分なにも変わりません。

なので夢工房で
できる限りやるしかない。

頑張っても、全体に対する影響は
ほんの微々たるものかもしれないし
そもそもうまくいかないことも多いかもしれないけど
それでもやってみよう。

学生達には全力でトライしてもらって
「おお!俺は生きてるぞ!」
という感覚を味わって欲しいのです。



心の重要性を忘れてませんか?

我々の周りを取り囲んでいるものは
全て人が作った物です。

自然溢れる地域に住んでいる場合は別かもしれませんが
それでも人が作った物は相当あるはず。

我々の周囲
そりゃぁもう、何でもかんでも驚くほど
人が作った物ばかりです。

そして、ほとんど全ては
人の考えによって作られています。
当たり前ですね。

では、その「考え」を構成しているのは何でしょう。

理論などの定型的な知識だったり
経験知であったり
サイエンスとかテクニカルな要素は
もちろん必要ですよね。
物を作るんだから。

それだけで物はできますか?

できませんね。

心が無いと無理でしょう。
ちょっと捉えどころがありませんが。

テクニックとかスキルとか
知識とか
どんどん掘っていくと

奥底の方にあるのは
感情だったり
熱意だったり
そんなものがあって

そういう根源が色んなものを駆動して
形になっていくんだと思います。

なので
勉強するのは結構ですが
何か大事なことを忘れてはいませんか?
と思うのです。

技術的なものって
知識があれば良いものできる
なんてことは無いです。

知識や技術と心が両輪となって
形になるものだと思います。

レーシングマシンなんて良い例です。

あまり機会はないかもしれませんが
レーシングマシンの開発者と話をすれば分かると思います。
単なる「頭良い人」じゃないですよ。

学生だってやってみるチャンスはあるのだから
実際にやってみれば分かります。

勉強できる人なら
速いマシン作って勝てるかどうか。

そりゃ無理です。

でも、勉強できて
凄いパッション持っている人もいるわけで
そういうケースなら目立つ成果も残せる可能性が高いでしょう。

そういうところから
ちょっとハードルが高そうなことに対しては
「そういうのは、頭良い人じゃないと…」
なんてことになるのかもしれません。

ところが、逆のケースもあるのですよ。

勉強なんて興味ないけど
どうしてもやりたいことに必要だから
必要なことは全力でやる!
結果、色々できるようになっちゃう
とかね。

長くなりましたが
頭を鍛えるのはもちろんですが
心を鍛えるのも忘れずに!
という話でした。

コロナ禍で
ものづくりができなくなった夢工房
そのための2年間でした。

もちろん十分とは言えないかもしれないけど
やるだけはやった。
ボチボチ勝負掛けないとね。

言ったって分からない でも、やったら分かるね

夢工房にずっといる
ということは
ものをつくる現場にいる
ということなのですが

こういうフィールドにいると
よーく分かることがあります。

「言っても分からない」
でも
「やれば分かる」
ってことです。

表現としては極端ですが
いくら大事なことを伝えたつもりでも
当人がそれを必要と思っていなければ
理解できない
ってことです。

逆に
よく分からないことでも
とりあえずやってみれば
結構色々分かります。

特にものづくりの現場では。
結果だけでなく、プロセスを見られるならなおさらです。

なので、ものづくりのほとんどの工程を
一部屋の中でやっている夢工房は
最高の環境だと思っています。

例えば
図面に描かれた一本の線。

これでどういう考え方をしているか
そんなことも分かったりしますし

企画段階の構想図なども
自分が出ますね。

材料の加工なども分かりやすい。

特に溶接なんかは
手元で大きなエネルギーを扱う反面
とても繊細な作業なので
何を考えているのかとか
時として価値観なんかも分かります。

手元から生まれる物は
自分自身を表したものです。
自分の考え方に基づく力量以上のものは
決してできません。

そんなことなので
何かをつくると
つくったものが教えてくれるのです。

「今のお前はこんなもんだよ」
って。

なので、素直な心を持って
結果を見つめれば
どうしたら良いかが分かるのですね。

明確な答えが分からなかったとしても
「これじゃダメだ」
ってことが分かる。
これ、凄く重要なことです。
やれば何かが分かるってことですから。

本当は、何事もそんなものだと思うのですが
物体を相手にしている場合は
分かりやすいのでしょうね。

中には、失敗したくないとか面倒とか
内的な理由でなかなか手が動かない場合があるのですが
そういう場合は
間に合わない=できない
という結果が出ます。

何事も締め切りがありますからね。
作る部品だって、使うタイミングはあるし
自分の成長に使える時間だって限られている。

学生はよく
「良いものをつくるには長い時間をかけて当然」
と勘違いしがちですが
「そんなものは無価値だ」
という事実を知る良い機会でもあります。

という風に、どんな結果が出ようと
その結果と原因を見つめ直せば
どうすれば良いかが分かる…
と結論付けたいのですが

ところがどっこい
多くの場合は、感情とか価値観の壁が邪魔をして
なかなか前に進めないこともあります。
良くあります。

でも、それも勉強です。
というか
それこそが勉強じゃないかと思うのです。

こういうのって、決められた答えを導くようなことだと
なかなか分かりにくいんじゃないかな
と思うのですが、どうなのでしょう。
専門の人だと、色々分かったりするのかな。

昔ながらの仕事をする職人さんなどに
結構深いものの考え方をする
しっかりした方がいる
というのは、ごく自然なことだと思います。

精度や、品質など、レベルの高いものを
つくろうと思ったら
自分を磨く他ありませんから。

自動車をはじめ、多くのメーカーでは
新人に生産現場の研修をさせますが
これ、凄く理にかなっていると思います。

ま、新人の頃は、その中身の重要性に
気付かないことも多いのでしょうけど。

自分で考えて
自分で作る
そんなことを繰り返している夢工房は
修行の道場みたいなものなんだよなぁ
というお話しでした。