夢工房はこうして回っている

夢工房でやっているプロジェクト活動

一言で言えば
ものづくり
なんですが
こう書くとゴリゴリ工作ばっかりやってるようなイメージがありませんか?
なのでちょっと抵抗があるんですよね。
ものづくり
って書くの。

何かもっとカッコいい呼び方ないかなぁ。

学生達は日々頑張っていますが
一体なぜ、こんなふうに頑張り続けられるのか。
いままでもチラホラ書いていますがまた書きます。
日々気付いたことや考えが整理できたこともありますので。

学生達がどれくらい頑張るのか
言葉にするのは難しいですが、例えば
夢工房に数週間泊まり続けて
盆も正月も無く朝から晩まで設計したり作ったり
これを卒業まで続ける。
と言えば多少は雰囲気を理解してもらえるでしょうか。

「正月くらい帰ろうよ」
と言うと
残念そうな顔します。

これ、別に私が強制的にやらせているわけではないのですが
外部からは無理矢理閉じ込められて
キツいことをやらされているように見えることもあるようです。

はっきり言いましょう。
そんなの無理です。

自発的な行動でなければ、こんなに継続的に頑張り続けることなんて不可能です。
無理矢理やらせていたら暴動起きますよ。

なのでいつも
「コイツら、すげぇな」
と思っています。
はっきり言って化け物ですよ。
好きなことを一所懸命やるって凄い威力です。

なので、できる限り「天井」を外して
好きなだけ、納得いくまでやらせてあげたい。
もちろん、今はコロナ禍の影響で今はできませんが。

ちなみに、これを「無理矢理やらされている」と思っている誤解を解こうとは思いません。
どうせそんなこと言っても信じられないだろうから。
それに、人は見たいものを見たいようにしか見られませんので
実情を説明しても、見方は変わらないでしょうね。
分かってくれる人は分かってくれます。

話を戻しましょう。

まず取り組むテーマは自分発である必要があります。
動機は自分達がやりたいこと、好きなことでないといけません。

その第一のメリットはモチベーションですね。
チャレンジするのに、他人から与えられたゴールを目指すのでは限界があるでしょう。
困難にぶつかったときに、簡単に自分自身に言い訳して諦めることができます。
「どうせ、やりたかったわけではない」って。

人は困難を乗り越えることによって成長するので
その時に簡単に諦められない環境が必要です。
自分達がやりたいこと、好きなことをやっている環境は
自発的に壁を越える原動力となります。

喜びを共有できる人達の存在も重要です。

彼らの活動には資金をはじめ、色々なリソースが必要になります。
それをあらかじめ用意してお膳立てするのは、一見良さそうに見えます。
でも、そのような状態では、頑張っても頑張らなくても良いということになりがちです。

自分達がやりたいこと、好きなことをやるために
魅力的な高い目標を設定して
大学の内外の人達の理解を得てサポートしてもらう。
そうすると、もし困難に遭遇しても簡単に諦めるわけにはいかないので
学生達は次々にハードルを乗り越えて、みるみる成長していきます。
もちろん、サポートしてくれる人達に喜んでもらわないと活動は継続できなくなります。
皆が喜んでくれるような成果を得られれば自分たちもハッピーで周囲もハッピー。

大会の成績は波があります。
うまくいったりいかなかったりするのは当然のことです。

でも、勝つために諦めずに頑張り続けています。
卒業までに、その願いは叶わないかもしれません。
でも、それは卒業で終わってしまうわけではなく
そこから始まる「本番」のためでもあるのだから良いのです。

こんなことを継続していれば
もちろん、就職でも必要以上に悩むようなことはありません。
多くが希望通りの就職をしますし
職場でも、かなり早い時期に戦力になれるでしょう。

そんな一連の流れを目の前で見続けている後輩達も
「夢は叶うんだ」

ということを理解しています。
なので頑張る。

夢工房では、日々そんなループが回っています。

このループ、そもそもの始まりが学生達の「やりたい!」だったのです。
それが20年も継続するって凄いことです。
私は、そんな活動を支え続けている我が東京電機大学は凄いと思います。
日本最古の技術者を育成するための学校というのは伊達ではないってことです。

夢工房での学び

多くの場合
学校での学びは
言われたことをやる
言われたことができるようになる

ですよね。

もちろんそういう能力も大事です。
でも
そういうのは授業で習得することです。

ここ
夢工房は違います。
授業ではありませんから。

我が夢工房で学生は何をやっているか

学生自身がやりたいことをやっています。
ですが、好き勝手にやっているというわけではありません。

やりたいことを考えて
決めて
約束してもらいます。

平たく言えば
「こういうゴールを達成するために頑張ってやります!」
という約束です。

そうしたら必要なもの(リソース)を提供させてもらいます。

学生に提供できるリソースは
設計と製作のための作業場所
今まで蓄積されたノウハウ
作業に必要な機器類(工作機械や工具類はもちろん
設計のためのPCや各種計測器)
などなど
あとはアドバイザーとしての教員(私です)

今ここで活動しているプロジェクトは
学生自身がぶち上げたゴールに向かって
彼ら自身の力で動いています。

私は、そんな彼らに価値を感じるからこそ協力しています。
逆に、価値を感じられなくなったら協力できません。
なので、彼らはやりたいこと続けるやるために、日々一所懸命やる必要があるのです。

授業だと、点数(単位)を得るために必要最低限の内容になりがちだし
そのために教員は学生に「やらせて」しまう。
当然学生は受動的になってしまいます。
クラブ活動だと、盛り上がっているうちは良いですが
そのうち熱が冷めると、やってもやらなくても自由といった感じになりがちでです。
そいうことに力を貸しても、あまり意味は無いと思っています。
誰も喜ばないですもんね。

でも、学生自身が高い目標を設定して一所懸命やれば
その成果で誰かしら喜んでくれるでしょう。
これ、主体的な学びってヤツですよ。
しかも、自分以外の誰かが喜んでくれるというのは、自身も結構幸せなものです。
だからこそ継続できるというのもありますね。

そうそう、最低限の目標じゃダメなんですよ。
盛り上がらなくて継続できないから。
最低限の目標を達成しても、自身は安心はするかもしれませんが
あまり喜びは無いでしょう?
もちろん自分も周囲も。
そういうのを続けるのは難しいですよ。
色んな意味で。

自分以外の人が喜んで価値を感じてくれるからこそ続けられる活動って
とても意味があるんじゃないかと思うのです。
そりゃもう、色んな意味で。

理論が先か実践が先か

学校では理論をまず学ぶけど、これで本当に良いんか?と思うことがあります。

勘違いしないでくださいね。
理論は重要です。
でも、理論から入って、理論のみで終わるようなやり方に疑問を感じるということです。

今日はたまたま製図の授業をやったので、図面の話しでいきましょうか。

そもそも昔は図面なんて必要なかったんです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの頃なんて、図面じゃなくて「絵」ですから。

要は、考えた人が、欲しい物を、一個だけ作るのであれば、基本的に図面は要らんということです。

そもそも、なんで図面が必要かというと
まず一つは、設計者と製作者という分業にすると、意思伝達のために必要
あとは複数個を生産するときに、もしくは時間が経った後に生産するときに、寸法とか品質をそろえたり、再現したりするために必要

他にもあるのでしょうけど、代表的なのはざっとこんなもんでしょう。

でね、そういったことを体験していない者に
「物をつくるのには図面が必要だから、知識やスキルとしての作図ができるようになるのだ!」
と言ったとことで、なぜ、何のために、どの程度、何ができると、どういうことが起きるかは良く分からんのですよね。腹落ちしない。
つまり、学びの動機が不十分ということです。
もちろん、作図自体が好きで喜びを感じられるケースもありますが、これは例外でしょう。

なので、自分が欲しい物を考えて、そのために必要だと思う図面を描いて、自分で作ってみると良いんですよ。

そうしたら、なぜ図面が必要かなんてのはもちろん、寸法の振り方とか、精度の要否とか、重要なことは、ぜーんぶ体験として身に付いちゃうでしょうね。

物は正直なので、それを考えた者、作った者の、その時の状態を、そっくり現します。
その人間以上の物ができるということはない。
なので、物を良くしたいと思ったら、自身を磨くしかない。
良い物をつくりたいと思ったら、学ぶしかないわけです。

おお!技術は人なり!

そもそも、良い物をつくりたいと思う動機が必要なのですがね。
動機付けこそが難しいところで、最も重要なのかもしれません。

てなわけで、レーシングカーとか惑星探査機、ロボット、鳥人間なんかはテーマとしては最適なんでしょうね。
エコランカーなんて、最近じゃ中学生もやってますもんね。

やっぱり、根源をたどっていくと、大事なのは「思い」とか「夢」ってことになるのでしょうね。
その実現のために理論や実践が必要なんですよ。