バカになれるかい?

たまに聞くことありませんか?
「バカになれ」
とか。

これね、意外と深いですよ。
「バカ」ってどういうことなのか?というところがポイントなのですけどね。

「バカになれ」という字面を見て浅く捉えるなら、いわゆる馬鹿げたことができるか?面白いことをして周囲を楽しませることができるか?みたいな感じに捉えられるでしょう。
そういうのも大事ですけどね。

戦略的な捉え方もできます。
本当に大事なもののために、優先順位の低いものを切り捨てるという捉え方です。

人の力には限界があるので、色んなものに労力をかけたら、それぞれのレベルは上げられません。
本当に優秀な人は、そういうことができちゃうのかもしれませんが。

でも、誰しも一点突破で力を集中したら、結構なことができるはずなのですよ。
トレードオフが発生して、本当に重要なことを掴める可能性が高くなります。

学校や家庭で「あれもこれもできるように」と教育されているので、あれもこれもやらなければいけないと思い込んでしまいます。

それに、基本的に人は何かを手放すのは怖い。
特に多くの人が「普通に大事にしていること」を手放したりするのは勇気が要ることで、普通の人からそれを見たらバカみたいに見えるかもしれません。
やらないことを決めるのも戦略上大事なことです。

それができるなら、大きな強みになると思いませんか?

大抵の人はそれができないのですよ。
だからこそ「普通」なのですけどね。

そして、その普通の状態から脱するのは勇気が要ることです。

「普通」をキープしたまま「何か特別なことはできないかな」「特別なことをするにはどうしたらいいのかな」なんて思ったりしがちなのですけど、それは普通じゃない「バカ」から見たらバカなことなのかもしれません。

技術って何だ

あまり大層なことではありませんが、私ごときでも分かることや気付いたことを記事にしてみます。

昨日の記事では、専門家の出現によって技術レベルが向上したという話をしました。
これはつまり、専門家を養うだけどの余裕を作れる社会で技術は発達し、それによって生まれた余裕によって、さらに技術は発達するということを示します。

仕事は、何かしらの方法を用いて価値を生み出すわけですが、人力では限界があるので、利用できるリソースは大きいに越したことはありません。

例えば、仕事の動力源です。

そもそもは、全て人力なので、いかにその効率を向上させるかという手段として技術が発達しました。農業では、鍬とか鋤とかの道具の誕生です。
この場合、仕事量の限界は人間の体力です。

その後、人間以外の動力としての動物の利用が始まります。
しかし、動物では話が通じないし、繊細な作業ができないので、より使い勝手の良い動力源である人間(つまり奴隷)の大量利用を経て、自然エネルギーである水力や風力の利用、蒸気機関をはじめとする人工動力が発明されます。

で、それら全てに技術が用いられているというか、それらこそが目的を達するための「技術」と呼ばれる「手段」です。人類は、それによって生産性を向上して、余裕を増大し、それによって技術を向上するというサイクルを回してきたのです。

そんなふうに、技術の誕生の経緯などは大変興味深いのですが、農業の誕生以前はどうなのでしょうか。
実は、そこには衝撃的な技術がありました。

それは「土器」です。

これは衝撃的なテクノロジーです。
現代で、土器の誕生に匹敵するテクノロジーがあるのか?と問われたら、答えに窮します。
それくらい凄い。まさにゲームチェンジャーです。
…と、そう思っています。

何が凄いって、土器の誕生以前は、煮炊きができなかったのです。
これ、どういうことか分かりますか?

土器が誕生する前は、穀物は食べられるものとしてカウントされていなかったはずで、それが食料に変わったということです。
そして穀物は保存が利きます。
ということは大幅に、というか爆発的に食料の面での余裕が生まれたはずです。
もちろん調理することによって栄養価が上がったりもしたでしょう。

食料は人間のエネルギー源ですので、当然ながらアウトプットの量、つまり仕事の量が増大して、余裕が生まれます。
そしてその余裕が技術の発展に繋がったことは間違いないはず。

世界最古の土器は縄文時代のものだと言われています。
確かに縄文の土器は凄いです。現物を見ると分かりますが、想像以上に精巧で緻密で、工夫がされています。
あんなものは暇がないと作れない…というのは言い方が悪いですが、生活に余裕がないと作れないはずです。
土器の誕生によってできた余裕は、あの複雑な土器の製作などに充てられていたのかもしれません。

しかし、徐々にその余裕は他のことに使われるようになっていく。

1万5千年も続いた縄文時代には戦争がなくて、稲作が本格化して土器の形状が簡素化した弥生時代には戦争の痕跡があるのはそういうことかもしれません。

何事もトレードオフがあるってことですね。

仕事って何だ

学校を出ると、ほとんどの人は仕事をします。
学校は、社会に出るための準備をするところなのですが、そもそも仕事って何だ?というのは分からないまま…じゃないですか?
そんな状態のまま、仕事に必要であろうことを学ぶって変じゃないですか?

黙って学べば見えてくる?
いやいや、そんなことはないでしょう。

何のために学ぶのかが明確になれば、どのように学ぶかは変わってくるはずです。
というわけで、仕事って何なのさ?というお話しを展開してみましょう。

以下の内容は専門外のことなのですが、ちょっと調べたり考えたりすれば、誰でも見当が付く内容だと思います。それをあえて文字にして、昔々のお話しから、「仕事って何だ」というところを明確にしてみましょう。

人類が誕生したとき…そもそもどういう状態が「人類」と呼べるのか、そんなことすら専門外の人間には良く分からなかったりするのですが、とにかく最初は大した組織でもないし、大した技術もなかったことであろうことは簡単に分かります。

構成単位は数家族で、衣食住が全く無い状態から想像してみましょうか。

何はともあれ、食べないと生きられませんので、食料を調達しましょう。
まず、この時手に入れるべきは、簡単に調達できて、そのまま食べられるものですね。生きものを捕まえる道具なんてありませんから。
皆で探しに行きましょうか。人数分うまいこと確保できると良いですね。

木の実や果物は飽きたから、動物性のタンパク質が欲しいですか?
だったら狩猟用の道具でも作りましょうか?
弓矢でも落とし穴でもいいですし、釣りの道具でもいいですよ。

でも、経験がない者が、そういったものを発案して、それらを作るための道具も作って、完成したら、ちゃんと役に立つように性能向上しなければなりません。
そして、そんなことに時間をかけているうちに、お腹が減って動けなくなりますよ。

そうこうしていると天候が悪化して、暑くなったり寒くなったりもします。
家も衣類も欲しいですね。
でも、それらも作るための道具や材料が必要だし、ちゃんとしたものにするためには、試行錯誤してスキルを向上する必要がありますので時間が必要です。
そうなると食料を調達しに行く暇がありません。ますますお腹が減りますね。

というわけで、衣食住は、どれも低レベルで妥協しないと、そもそも生きることができなさそうですよ。
その状態では、組織も大きくできません。栄養状態が不十分だと人数は増えませんから。

でも、何とか衣食住のレベルを上げたい。
どうしましょうか?

そこで専門家の登場です。

とは言っても、いきなり専門家が現れたわけではなく、
「これ、やっとくよ。
そのかわり俺の分の食料調達してきて」
という者が現れます。

頑張って同じことばかりやれば、技術レベルが向上して、より高性能なものを作れるようになります。

食料調達係は、自分の仕事に専念できるし、専門家が作ってくれたものを利用できるので、ますます効率が向上します。

そんなふうに、専門家が登場して、相互に価値を提供することによって、環境が整って組織のパフォーマンスが向上して発展していくということです。

そして組織の規模は、家族から地域、国へと大きくなって、パフォーマンスもますます向上して、環境が良くなったり、生活レベルが向上したりする、ということでしょう。
その基本的な構造は今でも変わりません。

ただ、生活レベルが低く、組織の構成員が少ないうちは余裕がないので、部族内の専門家が欠けてしまったり、利己的な考えや行動は全体にとって死活問題になったりするわけで、相互に提供する価値の持つ意味とか意義とかは大きい。

でも、生活レベルが向上して余裕がある状態になると、生きるか死ぬかという心配はしなくても良いわけで、利己的な考えをしても全体には大きな影響は及ばない…ような気がしてきます。本当はジワジワ効いてくるはずですが。

というところで、仕事って何だ?という本質的なお話しでした。