新しい学びは新しくなかったりする

今、日本で常識とされている授業の形式
先生が教えて、生徒がそれを覚える
もちろん、答えはすでに決まっていて
正解・不正解は明確
テストではどれくらい上手に覚えられたか確認する
といったやり方は、やはり賞味期限切れのようですね。

今までよく続いたな
とは思います。

すでに形(やり方)が決まっていて
答えも決まっているやされているような方法では
学生にしてみたら「やらされている」わけで
それではやはり限界があるでしょう。

アメリカではすでに講義の形態を壊してしまって
学生が自ら考えてものをつくる形態の学校が増え始めているようです。
「授業」じゃないですよ。
「学校」です。

やっている内容は、それこそピンキリなのでしょうが
自発性に任せて色々やるのであれば
知識の面でもマインドの面でも、もちろんスキルの面でも
得られるものは大きいでしょうね。

そうやって得た「生きた知識」は忘れないし
面白ければ、先へ先へと自ら進んでいきますから。

では、日本でこういうやり方が広がっていくかといえば
まだしばらく後になるでしょう。
よく日本はアメリカの10年後を追っていると言われますよね。
そのセオリーで行けば、日本でスタートするのは10年後です。
それまでもてば良いですが。

なので
我が夢工房は先行逃げ切りで行きます。
と言うか、20年前にすでにこのやり方でスタート切ってますからね。
我々にとっては特に新しいことではなかったりします。

お先に失礼します!!

夢工房はこうして回っている

夢工房でやっているプロジェクト活動

一言で言えば
ものづくり
なんですが
こう書くとゴリゴリ工作ばっかりやってるようなイメージがありませんか?
なのでちょっと抵抗があるんですよね。
ものづくり
って書くの。

何かもっとカッコいい呼び方ないかなぁ。

学生達は日々頑張っていますが
一体なぜ、こんなふうに頑張り続けられるのか。
いままでもチラホラ書いていますがまた書きます。
日々気付いたことや考えが整理できたこともありますので。

学生達がどれくらい頑張るのか
言葉にするのは難しいですが、例えば
夢工房に数週間泊まり続けて
盆も正月も無く朝から晩まで設計したり作ったり
これを卒業まで続ける。
と言えば多少は雰囲気を理解してもらえるでしょうか。

「正月くらい帰ろうよ」
と言うと
残念そうな顔します。

これ、別に私が強制的にやらせているわけではないのですが
外部からは無理矢理閉じ込められて
キツいことをやらされているように見えることもあるようです。

はっきり言いましょう。
そんなの無理です。

自発的な行動でなければ、こんなに継続的に頑張り続けることなんて不可能です。
無理矢理やらせていたら暴動起きますよ。

なのでいつも
「コイツら、すげぇな」
と思っています。
はっきり言って化け物ですよ。
好きなことを一所懸命やるって凄い威力です。

なので、できる限り「天井」を外して
好きなだけ、納得いくまでやらせてあげたい。
もちろん、今はコロナ禍の影響で今はできませんが。

ちなみに、これを「無理矢理やらされている」と思っている誤解を解こうとは思いません。
どうせそんなこと言っても信じられないだろうから。
それに、人は見たいものを見たいようにしか見られませんので
実情を説明しても、見方は変わらないでしょうね。
分かってくれる人は分かってくれます。

話を戻しましょう。

まず取り組むテーマは自分発である必要があります。
動機は自分達がやりたいこと、好きなことでないといけません。

その第一のメリットはモチベーションですね。
チャレンジするのに、他人から与えられたゴールを目指すのでは限界があるでしょう。
困難にぶつかったときに、簡単に自分自身に言い訳して諦めることができます。
「どうせ、やりたかったわけではない」って。

人は困難を乗り越えることによって成長するので
その時に簡単に諦められない環境が必要です。
自分達がやりたいこと、好きなことをやっている環境は
自発的に壁を越える原動力となります。

喜びを共有できる人達の存在も重要です。

彼らの活動には資金をはじめ、色々なリソースが必要になります。
それをあらかじめ用意してお膳立てするのは、一見良さそうに見えます。
でも、そのような状態では、頑張っても頑張らなくても良いということになりがちです。

自分達がやりたいこと、好きなことをやるために
魅力的な高い目標を設定して
大学の内外の人達の理解を得てサポートしてもらう。
そうすると、もし困難に遭遇しても簡単に諦めるわけにはいかないので
学生達は次々にハードルを乗り越えて、みるみる成長していきます。
もちろん、サポートしてくれる人達に喜んでもらわないと活動は継続できなくなります。
皆が喜んでくれるような成果を得られれば自分たちもハッピーで周囲もハッピー。

大会の成績は波があります。
うまくいったりいかなかったりするのは当然のことです。

でも、勝つために諦めずに頑張り続けています。
卒業までに、その願いは叶わないかもしれません。
でも、それは卒業で終わってしまうわけではなく
そこから始まる「本番」のためでもあるのだから良いのです。

こんなことを継続していれば
もちろん、就職でも必要以上に悩むようなことはありません。
多くが希望通りの就職をしますし
職場でも、かなり早い時期に戦力になれるでしょう。

そんな一連の流れを目の前で見続けている後輩達も
「夢は叶うんだ」

ということを理解しています。
なので頑張る。

夢工房では、日々そんなループが回っています。

このループ、そもそもの始まりが学生達の「やりたい!」だったのです。
それが20年も継続するって凄いことです。
私は、そんな活動を支え続けている我が東京電機大学は凄いと思います。
日本最古の技術者を育成するための学校というのは伊達ではないってことです。

夢工房での学び

多くの場合
学校での学びは
言われたことをやる
言われたことができるようになる

ですよね。

もちろんそういう能力も大事です。
でも
そういうのは授業で習得することです。

ここ
夢工房は違います。
授業ではありませんから。

我が夢工房で学生は何をやっているか

学生自身がやりたいことをやっています。
ですが、好き勝手にやっているというわけではありません。

やりたいことを考えて
決めて
約束してもらいます。

平たく言えば
「こういうゴールを達成するために頑張ってやります!」
という約束です。

そうしたら必要なもの(リソース)を提供させてもらいます。

学生に提供できるリソースは
設計と製作のための作業場所
今まで蓄積されたノウハウ
作業に必要な機器類(工作機械や工具類はもちろん
設計のためのPCや各種計測器)
などなど
あとはアドバイザーとしての教員(私です)

今ここで活動しているプロジェクトは
学生自身がぶち上げたゴールに向かって
彼ら自身の力で動いています。

私は、そんな彼らに価値を感じるからこそ協力しています。
逆に、価値を感じられなくなったら協力できません。
なので、彼らはやりたいこと続けるやるために、日々一所懸命やる必要があるのです。

授業だと、点数(単位)を得るために必要最低限の内容になりがちだし
そのために教員は学生に「やらせて」しまう。
当然学生は受動的になってしまいます。
クラブ活動だと、盛り上がっているうちは良いですが
そのうち熱が冷めると、やってもやらなくても自由といった感じになりがちでです。
そいうことに力を貸しても、あまり意味は無いと思っています。
誰も喜ばないですもんね。

でも、学生自身が高い目標を設定して一所懸命やれば
その成果で誰かしら喜んでくれるでしょう。
これ、主体的な学びってヤツですよ。
しかも、自分以外の誰かが喜んでくれるというのは、自身も結構幸せなものです。
だからこそ継続できるというのもありますね。

そうそう、最低限の目標じゃダメなんですよ。
盛り上がらなくて継続できないから。
最低限の目標を達成しても、自身は安心はするかもしれませんが
あまり喜びは無いでしょう?
もちろん自分も周囲も。
そういうのを続けるのは難しいですよ。
色んな意味で。

自分以外の人が喜んで価値を感じてくれるからこそ続けられる活動って
とても意味があるんじゃないかと思うのです。
そりゃもう、色んな意味で。