リスクとか しょうもない過去だってリソースだ

今の自分はどうなのか?
という視点を持てるかどうか
という話しなのですが

どうもこれ
それまでの育ち方というか生き方というか
過去が恵まれすぎていると
そういう視点を持てないのではないか
そんな気がするのですが、どうなのでしょう。

物心ともに満たされて
リスク無く、不安無く生きてきたら
現状を疑う必要なんて無いですものね。

さらに言うなら
そういう状態の者に対して
「ハングリーになれ!」とか
無理言わないでくださいよ
ってな話です。

そもそも、生まれてから
いかにハングリーにならずに済むか
という環境で育ってきて
急にそんなことを言われてもね。

成功者に大きな失敗を経験した人とか
不遇の人生を歩んできた人とか
そんなケースが結構あるのは
当然と言えば当然なのかもしれません。

そこで、自分に降りかかってきた境遇に対して
どう思ってどう対処するかでその後が決まるのでしょうね。

なので、しょうもない過去ってのは
まんざら捨てたものではなかったりするのではないか
なんて思ったりしています。

そういう経験に対して
後悔とか恨みとか
そんな感情が頭の中を占有していたら
前に進む余裕なんて無くなるでしょうけど

それを受け止めて、受け入れて
その先に進むことができれば
むしろ武器にすらなると思います。

例えば、戦後に頑張った世代の人達は
それこそ命が掛かっている状態で
その状態から何とかしなければならなかったわけで
選択の余地がない状況で
まさに、やるしかない状態だったわけですよね。
「ハングリーになれ!」
どころじゃなくて
「ハングリーなのは当然で、やらなきゃ死んじまう」
みたいな。

それこそ必死でやったわけだから
それなりの大きな成果を残したわけで
「やればできる」を体現したわけですよね。
そういう経験をした人は強いです。

じゃ、何のリスクも不自由も無く生きてきた者は
どうにもならんのか?
ということになるのですが…

まぁ、どうにもならんこともあるでしょう。
というか、そういう場合が多いのかもしれない。
時代が時代なので仕方ないだろうし
それが今ですよね。

けれど、どんな状況であろうと
現状に対して高い理想をセットできれば
相対的に現状は不十分な状態
つまりハングリーな状態になるわけで
それができるかどうかが
成長とか成功のカギになるのではないかな。
もちろん本人次第なのですが。

やはり環境か。

一応言っておきますが
夢工房の連中は、比較的ハングリーです。
なんだか良く分かりませんが
結構モチベーションの高い連中が集まってます。

そんな彼らをさらにハングリーにしたいのです。

視座とか自己変容とかのお話し

やっていることがうまくいくためには
別に最初からうまくいく必要は無いのですよね。

特に初めてチャレンジすることならなおさらで
むしろ最初はうまく行かないのが当然。

なので、まずはやってみて
どうしたらうまくいくのかな?
と工夫することが大事なのです…が!

今の自分はどうなのか?
という視点を持っているのか否か
その自己評価の結果を行動に移せるのか?
それがその後を決めるわけです。

それが無いと
うまく行きそうもないやり方で
いつまでもズルズル行ってしまったり
同じような失敗を繰り返したり
そんなことになります。

それは当然なことなのですが…

自分の現状を見る視点
つまり「視座」ってヤツですが
最初は無いものなのでしょうか?
無いでしょうね。

では、何かをきっかけにそういう
ものの見方ができるようになるのか?

ならない場合はなぜなのか?

そんなことが今日、ふと気になりました。

「これでいいのか?」
と自らに問い、変化する
いわゆる自己変容ってヤツですかね。

ネットで検索すれば色々出てくるのですが
そういう情報って
本人が自己変容を求めているなら参考になるのですが
どうしたらそこに至るか
という情報はありません。

まぁ、良く探せばあるのでしょうけど
今気付きました。

そんなことを考えてるってことは
誰かを変容させたいのだけど
そんなの外力じゃ無理なわけで

結局は本人が欲しないと無理ですね。

求めよ、さらば与えられん
ですよ。

となると、やはりカギになるのは環境ですね。
うん、結局はそういうことだ。

どうも当人を見てしまうと
直接いじりたくなってしまう。

そういうのも時と場合によっては必要なのだろうけど
やはり環境をどうすべきか
というところに注力すべきなのでしょうね。

視座が低くて自己変容できない学生は
結局のところ
そんなことを望んでいないわけです。
だからそうなっている。
超シンプルです。

なので、現状から変化したくなる何かが必要なのですが
それはやはり環境でしょうね。
それしかない。

学生には
「視座を変えなきゃ」
みたいな話をするのですが
自分の視座を変えることを忘れてはイカンですね。

「若い」というのはチャンスなのだが

学校のお勉強、もうちょっと何とかならんのか
という話です。

まぁ、何というか
授業として恐らく扱う内容それぞれは
重要なことではあるのでしょうけど
順番が逆というか何というか…。

まず、動機付けの部分が弱いと
どうにも「やらされている」ということになっちゃうわけです。
本人がやりたいと思うところからスタートしないと
どうにもならないでしょう。

そもそも、やる気になれないものを
できるようにするって
凄く難しいことではないでしょうか。

内容に関して言うなら
要素がバラバラ過ぎちゃって
知識にしても技術にしても
どうやって実務に活かしたら良いか
想像しにくいでしょうね。
というか
そういうのは無理なレベルになっちゃっているような気もします。

これは最近に限ったことでは無いのですが
例えば、機械関係のことを大学で学ぶとなると
製図とか、加工の実習とか、実験などの授業があります。

これらはものを開発するなら必須の経験を
授業という単品要素に落とし込んだものですが

では、そういう単品をやると
開発の一連の流れができるかというと…
面白いくらいできません。

例えば、実験の授業をやったところで
実務における「本当の実験」なんてできません。

製図も実習もしかりで、例えて言うなら
鉛筆の持ち方を学んだんだけど文章が書けない
みたいなことになっちゃってる気がします。

そもそも最も大事な
何のために何をどうするの?
というような最も重要な
根源の部分を考える機会なんて無いわけで

そんな状態で「やらされて」いたら
残念なことになっちゃうのは当然なのでしょうけどね。

さて、今回は何が言いたかったかというと
やはり学生が主体性を持って
プロジェクト活動をするというのは
最高なんだな
といいうことなのです。

でも、そこに加入した1年生は
「やらされる」感覚が抜けていなくて
フルパワーで動くようになれない
というか
それは習慣になっちゃっているので
まるまる1年くらいは時間を無駄にしちゃうわけで
凄くもったいないなぁ
というのが毎年思うところ。

まぁ、何もしていない学生に比べれば
はるかにマシなんでしょうけど
学生にとってのこの時期は
大きく人生を左右する可能性があるのですよね。

高校だって義務教育じゃないのだから
プロジェクト活動みたいなことをバンバンやって
主体性とか「やる」ことの面白さとか
そういうのを体験させたらいいのになぁ
とも思います。

「若い」ということは
それ自体が大きなチャンスなのですが
むざむざそれを捨てちゃってるような気がするのです。
あぁ、もったいない。

ただ、同時にこれは
夢工房の環境を彼らにとってもっと魅力的にする必要がある
ということであるのかもしれないわけで
その辺は検討と改善が必要です。