技術との付き合い方

「技術」は、そもそもの太古の昔は存在せず
何らかの目的を達するために生まれたわけで
「手段」に過ぎない…

なんて言ったら軽く見過ぎているようだけど
実際その通りです。

要は、ある手段を達成することができるのなら
どんな技術でも良いわけです。

もちろん、高度な目的を達するためには
高度な技術が必要なわけで
そういった経緯で技術は発達してきました。

ちょっと厄介なのは
理系人間の我々は
「技術」が好きなわけで

何かをやるときに
ついつい技術の側から
全体を構成したくなっちゃうのです。

つまり、手段を先に決めがち。

細かいところからやろうとするのは
学校教育の弊害でもあるとは思いますが

手段を先に決めると
それによって為されるゴールが制限されちゃって

ヘタすると目的が手段にコントロールされる
なんてことも起きて

それではまさに本末転倒。

技術の進歩は
実現手段は置いておいて
高いゴールを設定して
「これ、なんとかならねぇかな」
というところから生まれます。

ゴール到達のモチベーションが高ければ
何がなんでも手段を生み出そうとするでしょう。

これに対して
楽をすることがゴールだったりすると…

目標(形上のものであって、すでにゴールではない)を設定して
実現手段は、できるだけ労力が必要無いことを選択する(むしろこっちがゴールだから)けど
無理そうなら目標を手段に合わせて下げちゃったりして
一体、何のために何をやっているのやら…
という状態になります。

ヘタすれば
「それは不可能である」
ということになれば
それこそやる必要が無くなるので
最高に楽になる。

しかもこのロジック
意外なほど蔓延していると思います。

まぁつまり
技術と付き合っていくなら
好きなことに熱中するようなやり方をしないと
ちょっとうまくいきそうもないわけです。

これ、知識とか知能とかじゃなくて
心の問題でしょう?

そう思いませんか?

環境やチャンスは見えない…けれど

我々は
実は色んな意味で恵まれた環境にいるのに
その奇跡的なチャンスに気付いていない。
そんなことが多いな
と思います。

チャンスは見ようとしないと見えませんし

…いや
見ようとしても見えなかったりもするかな。

環境なんてのは空気みたいなもので
そこにあるけど見えないようなもの。
仕方ないと言えば仕方ない。

若ければなおさらかもしれない。

で、自分が恵まれた環境にいたと気付けるのは
時が過ぎて、ずっと後だったりします。

…気付かない事も多々あるでしょうけど。

果たして自分のいる環境はどうなのか
考えても分からなかったら…

そんな時にうまくいく考え方、やり方があります。

自分はついてる!
今しかない!

と思い込めば良いのです。

それで思いが発動して
何かに熱意を持って取り組めば
大抵は何かしらの成果は得られるし
少なくとも経験は得られる。

それらを次のループに繋げていけば
大したことができるようになりますよ。

賢い人は、その過程で
疑いを持ったりしちゃうかもしれません。

諦めたら、そこでお終いです。
諦めなければ何とかなったりするものです。

そういう勝負の仕方もあります。

未来予測とその対応 その4

今回は、これ。

・大学の教育が社会とかけ離れているので、日本では大学卒業のニーズが高まらず、逆に下がったりする

学校の先生にこういうことを言うのって、勇気要ったんじゃないかな
と思います。今さらながら。

そもそも、大学の教育が社会とかけ離れていることに気付いているのか?
それが問題だと認識しているのか?

たぶん認識していません。

大学を出たら仕事をするわけで
そのためにはスキルが必要です。

スキルとはなんぞや?
というと
仕事に必要な技能だったり能力だったりするわけです。
もちろん知識も重要です。

仕事にはスキルが必要で
スキルを構成するのは技能とか能力とか
つまり実践する力ですね。
そのために知識も必要
ということです。

本来、そういうのって
「やってみて」初めて分かることです。

学校で学生は
それが本当に必要だ
なんて思っていません。

そういうのを実感する機会なんてありませんから当然です。

「重要だ」
と言われているからやっているだけです。

本当は、実際に仕事をしてみれば良いのかもしれません。
すると
「あぁ、こういうスキルが要るのだな」
と分かる。

で、技能やら知識やら
欲しいものが見えてくる。

「欲しい!」と思ったときに
手に入れるのが一番良いはず。
そうやって自ら進んで手に入れたものは忘れませんし。

なので、学生のうちに
好きなことをやってみるのが超重要なのです。

これ、逆は不可です。

知識を手に入れていくと
やがてそれが技能になって、スキルとなる
そして仕事ができるようになる
なんてことは起きません。

どんなに「知って」も「できる」ようにはなりません。

学ぶ内容や、持っている知識の量が問題ではなく
仕事をする上で必要なスキルを身に付けようとしていない
そこが問題の本質的な部分ではないかと思うのです。

でも現状は
やり方に問題があるのに
コンテンツの問題にしようとしている
そんな気がしてなりません。

授業を変えたり増やしたり
内容を変えずにハードにプッシュしたり
そんなことで本質的な部分は変わりません。

でもそういう状態から
学校は変わりたくない
学生も変わりたくない
言ってみればウイン・ウインの関係が現状。
もちろん悪い意味で。

ついでに言うなら
親も塾の先生も変えて欲しいとは思っていないでしょう。

新人を受け入れる先輩エンジニア達は…
まぁ、そりゃぁ…ねぇ。

Formula SAEやCanSatなど
好きなことを一所懸命やっている学生達って
就職に困らないのは当然ながら
卒業後は楽しそうに仕事をしてるわけですが
そりゃぁ当然だろう
と思う理由の一つが今回の内容です。

生意気にも色々と理屈を書きましたが
教育に関する問題の本質はこの辺だと思います。

恐らく似たようなことを考えている人が
日本中にいるのだと思います。
そのうち変化の時が来ることでしょう。