問題の先に理想があるのか?

問題を解決するのはもちろん意味のあること。大事です。
学校でも「問題解決能力を!」なんて言ってますものね。

しかし、問題を解決した先に何があるかが大事では?
というのが今回のネタです。
何のための問題解決なのかが重要ですよね
というお話しです。

まず、問題が完全に解決して、完璧な状態になることなんて無い
というのが最初に言っておきたいことです。

「完璧な状態」なんてのは、理論ではあり得るでしょうけど
現実社会ではまずあり得ません。
とはいえ、それを目指して頑張るのは意味があることだし
ことによっては、そうありたいとも思ったりします。
でも今回、これはオマケみたいなものなので、このくらいにしておいて
問題は「問題」についての認識です。

そもそも、ものごとは多面性をもっているので
「問題」とはいっても、別の側面から見ると
何かしらのメリットがあったりもするわけです。
なので、あっちを立てればこっちが立たず
みたいなことになりがちです。

学校での教員と学生の関係とか会社の労使関係なんてのは
そういうことになりがちでしょう。
特に、組織としての方針とか方向性がはっきりしていないと
そうなりやすい気がします。
というか、そうなります。

そんな状態で
双方が力を合わせて良い成果を出す
なんて無理でしょう。
共通の理想もないのに
力を合わせて同じ方向に進んでいく
なんてできるわけはないのです。
なので、社是が明確化されて意思統一された会社組織などは
成果を上げられたりするのでしょうね。

「社是とか理想とか、そんなのきれい事だ」
なんて言いがちな人の多くは利己的だったりする気がしますけど
そういう人が多い組織は
大抵は大した成果は上げられていないと思いますよ。

利己的な人って、組織としてのゴールを嫌う傾向がありますよね。
だって、組織としてのゴール達成を最大化していくと
そのために我慢したり頑張ったりってのが増えるわけで
自己の短期的な利益とか欲求がトレードオフで最小化されちゃう可能性がある
なので、組織としての長期的で大きな利益は達成しにくくなるのだと思います。

というわけで
問題だの何だの言う前に
皆で目指せる共通のゴールや理想の明確化をしないと
そもそも何のための問題解決なのさ?
ということになりがちですよね
というのが今日言いたかったことなのです。

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