やらされマインドからの脱出

自分の学生時代を振り返っても
今の学生達を見ても

この
やらされるマインド
は、何とかならんものか
と思います。

学校では
決められたことを
やらされます。

それが全てではないかもしれませんが
ほとんどがそうででしょう。

それによって何が起きるか?

当然、やらされるばかりだと
うんざりします。
できればやりたくない
と思います。

そうじゃないですか?
私はそうでした。

なので
貴重なリソースを

愚痴や文句を言ったり
面倒を回避することに使うのです。

できればやりたくない
でも
やらないと卒業できない
とか
そんな不毛な悩みに
貴重なパッションを消費していくのです。

若いうちは
時間があって
気力もスキルも
大きく伸びる可能性を持っています。

なのに
やらされマインドで
できればやりたくない
と思いながら日々を過ごします。

そこまで消極的でネガティブじゃないにせよ
深層心理に刷り込まれていて

好きなことをやっているにもかかわらず
「できるだけ楽なやり方で…」
とか
最小限で最低限なやり方を
自動的に選択しようとしたりします。

すると
視野狭窄になって
最小限で
最低限で
目の前のことだけをやろうとします。

当然、結果も最小限で最低限になります。

アウトプットを軽視して
受け止める側に回ります。

本当は、凄い勢いで成長する可能性を持っているのに
自ら自動的にブレーキを掛けているのです。

当然
そうなっていることに気付いてさえいませんし
そういう状態を望んでもいません。

もちろん全員ではないですが
多くがそうなっているのではないでしょうか。

まあ、皆がそうなっているなら
それが普通なわけで
疑問に思ったりはしないのでしょうね。
だって、普通だもん。

もったいないですね。

で、ここまで書いておいて何ですが
別に悲観的になっているわけでもなかったりするのです。

どうやったらこれをひっくり返せるのかなー?
なんて、作戦を考えたり
チマチマ試したりしています。
なかなかうまくいきませんけどね。

でも、簡単なわけ無いのですよ。
長い長い年月を掛けて
この状況が作り上げられてきたのですから。

でも、だからこそ
価値があるし、面白いのです。

ツーリングネタ やってみたいこと

MotoGpのオランダラウンド
小椋選手が、フロントロー、2番手からのスタートで優勝しました。
素晴らしいですね。
前回のチェコでは2位だし、彼は本当に速い。
久々にMotoGPが楽しみになってきました。

さて、日曜日なので息抜きにツーリングネタでいってみましょう。

たまに時間ができると考えるわけですよ。
面白いルート無いかな
と。

私の場合、観光とかはどうでもいいので
面白い…というか
バカバカしいルートを考えてしまうのが悪い癖。

で、今回考えたのは

大洗-苫小牧(フェリー)
苫小牧-仙台経由で名古屋
舞鶴か敦賀から小樽か苫小牧東
苫小牧-大洗

と、フェリーばかり乗ってグルグルする。

または、そこに

鹿児島ー沖縄

を加えるのもアリかな
とか。

他には、そうだなぁ…

24時間で何キロ走れるか?
というか
24時間走り続けることは可能なのか?

これはさすがに危ないか。

そうそう
オーストラリア横断もやらないとね。

モンゴルツーリングに行った卒業生の大橋君の話を聞いて
モンゴルも良いなあ
バイクじゃなくて、馬でツーリングってのはどうかな?
とか考えてしまうのでした。

とまぁ、妄想は尽きないのだけど
夢工房の連中が、自身の夢を叶えてくれるのが最優先ですな。

今後の教育について考えてみた

そもそもゴール無しで
つまり動機無しで学ぶってのは
ボチボチ限界なのではないだろうか。
これ、何度も言ってますが。

学びにはゴールはありません。

「○○ができるようになりましょうね」
みたいな目標はあるでしょうけど。

でも、それが「何のためなのか」は、無い。
むしろあったら困る。

それは他人から与えられるものでは無い。
自分で考えて
自分で決めるべきことだから。

そう。
学校にはゴールは無い。

学びはゴールに到達するために必要な
「手段」

…なのだけど

ゴール無しの状態で手段を提示されて
それができないとダメ
ってことになると

当然ながら手段が目的になります。

単位を取るために勉強する
って、そういうことでしょう?

手段が目的化してしまう
ってのを軽視してはいけません。
考え方が逆になってしまうからです。

最高のクルマを作るために
最高のボルトの構想からスタートしていたら
いつになってもクルマはできません。

何かをやるにしても
「何のため?」が無いと

ただやればいい
とか
むやみにやる
とかいうことになって
落としどころがありません。

そんなの面白いわけありません。
面白くもないことが
うまくいくはずありません。

そして
「単位を取るために勉強する」
なんてことになっていると
問題を解くために脳ミソを使ってはいるけど
一番大事な
「何のため?」
「で、どうする?」
を自分で考えられなくなる。

ゴールの設定と
そのための手段の発想や選定が
できなくなるということです。

これはとても残念なことです。

でも
学びにゴールがないことが
問題なのではないと思っています。

ゴールを持たないまま学ぶことを
教育の中心に据え続けていることが
問題なのではないでしょうか。

そして

ゴールを与える教育ではなく
ゴールをセットしたくなる環境を作る

これが今後の課題ではないだろうか
なんて思ったりしています。