未来予測に思うこと

これから我々はどうなるのか?
そんなことを想像するのは楽しくないですか?

未来を想像しておけば、そのための準備をしておけたりしますから、色々メリットがありそうですものね。
というか、我々は未来のために学んだり準備したりして日々を過ごしているといっても過言ではないわけで、日々のこと、手元のことを頑張るのは重要ですが、それは全て未来に繋がることだってことは忘れてはいけません。

なので、ゴールだのなんだのをしきりに言っているわけです。
そういうのを戦略的思考といいます。

さて、その未来予測なのですが、それこそ人によって考え方やアプローチは様々なのですが、過去の事例を元に「今はこうだから、以前のようにこうなる可能性がある」のような考え方は有効な気がしますね。
ただ、それを考える上で、環境条件とかがどのように異なっているかなんてことも考慮に入れないとですが。

今回、ブログのネタにこんなことを選んだのは、以前担当していた授業のネタがたまたま目にとまってしまって、それを再整理したからなのです。

その授業は、新技術が登場する背景とか、技術が停滞する理由などを、紀元前3000年以上前から近代までの長きに渡って解説するものでした。

そういった授業なものだから、資料は年表のようになっているわけですよ。
昔々、いつごろこんなことが起きた、なんて感じに。

それを見ていると、あぁ、我々人類は、似たようなことを繰り返しながら発展してるんだなぁ…なんてことが分かるわけですが、そのうちハッとするのです。

「あれ?今のこの問題って、かつて通った道か!?」

となると、今現在問題と感じていることに対する解決法とか、それによって起きることって、ある程度分かっちゃう。

あと、その今現在の問題ってのも、原因が分かっているようで分かっていなかったりもするわけで、その辺はある程度見通せる気がします。

とか、そんな記事を書きながら
「そうだよなぁ、大事なのは年号を覚えることじゃなくて、この出来事の流れとか中身なんだよなぁ。で、その知識をどう使うかってのが最も重要だったんじゃないの?」
と思うのですよ。

そう、知識って道具なんですよね。
何のためにどう使うか、それによって何を起こすか。
それで意味や価値が決まるのですよ。

持ってるだけじゃ何も起きません。

コロナ禍からのリカバリー…は、まだ続く2

これは推測ではあるけど、恐らくそれほど外れてはいないだろうと思います。

一つは、「変えたくない」という感情の強化。
もう一つは、リスク回避の強化です。
「変えたくない」という感情はリスク回避から来ているのでしょうから、結局はリスク回避ってことなのかな。

一応言っておきますが、これらは学生に対する愚痴ではありません。
自分を含め、周囲の環境から感じていることなので。

さて、この「変えたくない」についてですが、恐らく以前にも記事にしたのではないかな。

今日生きているのは、昨日の行動があったからで、それを変えなければ今日も明日も生き続けられる可能性が高い
という生存本能的なところに根ざした感情なのですよね。有名な話ですが。

当然といえば当然なのですが、コロナのパンデミックという命が掛かるような状態で、そういった感情が強化されてしまう人がいるのはある意味当然でしょうね。
それは学生のような若者よりもむしろ、教員のような年長者の方が強いでしょうけど、いずれにせよその影響は若年者にも及びますので、全体に伝播するでしょう。

そしてリスク回避です。
これはコロナ改善からあった傾向というか、学校なんて常にそういう傾向なのでしょうけど、コロナ禍での生活によって、思考や行動が強化されたってことでしょうね。まぁ、それも当たり前の話ですが。

で、「変えたくない」とリスク回避が合体して強化されてるぞ、と思うのです。

この二つ、とても相性が良くて、合体して威力を発揮すると、何もかもが全く面白くなくなります。
だってゴールは「安心」であって「喜び」ではないから。
そして本能に根ざすことなので、恐らく本人には何が起きているか認識できないでしょう。

変えたくない、余計な事をやりたくない、それが強化されているので、その反対の行き詰まりを感じている人も一定数いるわけで、社会で起きていることをよーく見てみると…見付かりますよ、そういう人。

で、あなたはどちらの側にいたいですか?今はチャンスなのだってことに気付いていますか?という話なのです。

仕事をする上での優秀さ

いわゆる勉強ができる学歴的な優秀さと、仕事をする上での優秀さってのは、一体何が違うのでしょうね?というお話しをしてみましょう。
別に私が優秀なエンジニアであったという話ではないのですが、恐らくエンジニアとしてある程度のキャリアも持つ人なら常識的に理解している内容だと思います。
で、これは多分、大学生にも参考になるのではないかな。

勉強ができるってのは、「論理的思考力」と「知識の修得力」という2つの能力が優れているということだそうです。
これらは、いわゆる定型的な知識のハンドリングですね。それらを「知ってる」「覚えてる」とか、「理解できるか」「覚えられるか」ってことです。

対して、仕事をする上での優秀さってのは、「直観的判断力」と「智恵の修得力」において優れていることだそうです。
これらは、経験に基づく勘とか、知識の活用とか、「やる」ことに大きく関係していて、文字とかにしにくいものです。なので、教科書とかマニュアルにできません。

恐らく学校では、前者を基礎とか基本、後者を応用と呼んだりするのではないかな?
そして、基礎がしっかりできていれば、応用はできるはずだ、みたいなことになっている気がしますが、どうでしょう?

それらの能力、全く違いますよ。

後者は「やる」ことでしか身に付きません。
そして、何も考えずにやっていてもダメで、困難の壁にぶつかったり乗り越えたりすると磨かれます。
さらに言うなら、諦めない事も優秀さとしては重要な事でしょう。

やはりその辺は、好きな事を一所懸命やるとか、のめり込んで何かをやる経験が効いてきますね。