主体性は大事…なのだけど

自主的とか主体的とかいうでしょう?
そういうのが大事だって。

では、自主的とか主体的とかの違いは分かってますか?
あまりその辺を考えてなかったりしませんか?

私は学生のこと、あまり考えませんでしたね。
何でそうなのかは、学校の先生をやってみてよく分かりました。

あらかじめ、やるべきことや答えが決まっていて、他から言われなくてもやるなんてのは、自主性です。
これは学校で求められますね。
よく先生に言われませんか?「自主的にやれ」とか。

対して、そもそも何のために何をやるのか?というレベルから考えるのが主体性です。
学校でこれをやると厄介者になる可能性があります。
先生の目から見ると、余計なことを勝手にやっているように見えます。
つまり、言ったとおりにやってくれない、ということですね。

学校は、言われたことをやるトレーニングをするところです。
なので、その環境で真面目にやると、言われたことができるようになります。
そのトレードオフとして、言われていないことはできなくなります。
程度は人それぞれだとは思いますが。

ところで、「教育」って、今ある形が当たり前だと思っていませんか?
そうでもないのですよ、という話しをこの後展開してみましょう。

内的動機の歯止め

やりたいことをやるのは重要です。
が、一つ気をつけるべきことがあります。

好きなことを
好きなときに
好きなだけ
好きなように
”しか”やらない。

ビギナーはやりがちで、最初はそれでも良いのですけどね。
成長過程においてはそういうことも起きがちです。

個人的な趣味であれば問題ありません。
でも、このやり方では価値を生み出せないのです。

だってそのやり方は、自分のため”だけ”だから。

そして、価値は自分で決められるものではありません。
手渡した相手が決めるものです。

どうせやるなら
「お!凄いじゃん!!」
って言わせたいよね。

「どうしたいか」は思った以上に大事だ

何気なくもう
「どうしたいか」
これは以外と深いですよ。

欲求をあらわすものであり
価値観を反映するものであり
方向性を示すものでもある。

そして、「何のために」という上流のゴールとセットです。
もちろんこれも
欲求や価値観、方向性を含みますが、より概念的で抽象的です。

で、この「何のために」はゴールと言いましたが、色々考えたりやったりして、最終的に思い付くものではありません。
名前は「ゴール」ですが、最初に考え、決めるべきもので、思考のスタート地点です。
行動で考えると、最終的に到達すべきところ。
なので「ゴール」と呼びます。

当然ながら、その下流の
「どうしたいか」

「どうやってゴール達成したいか」
であり

さらに下流の
「どうやって」
は具体的な手段です。

ゴールは、最初に決めるべきものなので、あまり悩むところではないかもしれません。
問題は、「どうしたいか」だったりします。

というのも、これを飛ばして具体的な手段の
「どうやって」
を決めてしまうことが多いから。

特に我々技術系の人間は、ヘタに技術が好きなものだからそうなりがちです。
好きな技術を使いたくなってしまうのです。
技術って手段ですからね。

なぜこれが問題かというと、手段を決めると同時に結果も決まってしまうのですが、「どうしたいか」を飛ばすということは、ゴール達成の手段を固定化してしまうということです。

本来、チャレンジする時は、目的を達するために試行錯誤をする必要に迫られます。
この試行錯誤は手段に対するものであって、それは自由であるべきなのです。
だって、そうじゃないと結果は変わらないからです。

というわけで
「どうしたいか」
は大事なのですよ。
というお話しでした。